インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

不自由だけれど落ち着いた暮らし

緊急事態宣言の全国解除を受けて、今朝の東京新聞「筆洗」にはこうありました。「解除は喜ばしいが、その不自由な生活と別れるのがどういうわけか少々寂しいところもある」。

なるほど、その感慨は分かるような気がします。うちの学校でも六月中旬からは通常とほぼ同じ時間割で対面授業が復活しそう。当面は時差通勤・登校に加えて、広い教室の使用や分散授業みたいな形が取られるようですが、あれだけオンライン授業に知恵を絞って努力してきたのに、何となく拍子抜けしたような心持ちです。

私は最初の一ヶ月ほどは在宅勤務で仕事をしていましたが、極端に狭い家の中では家族も自分もストレスがたまり、加えて極度の運動不足で体調がすこぶる悪いので、その後は自転車通勤で毎日職場まで通ってきました。職場にはほとんど人がおらず、とても静かで仕事が捗ります。なにせ、誰も訪ねてこないし、内線電話も鳴らないし、退屈な会議(こらこら)も一切開かれないのです。

早朝から自転車で都心に向かう道も人や車はかなり少なかったですし、早めに出勤したぶん早めに退勤して、帰りにスーパーに寄り、いつもより余裕を持って晩ごはんを作るなど家事をすることができました。朝夕の自転車に加えて、誰もいないオフィスで腕立て伏せなどをして、運動不足もかなり解消されました。最初はかなり抵抗のあったオンライン授業も、いろいろと取り組んでいるうちに新しい発見がたくさんあって、新しい教案のアイデアをいくつかつかみかけていたところでした。

もともと人の多いところが極端に苦手で、通勤電車は(ラッシュを避けた「オフピーク」でさえ)かなり耐え難く思っていましたから、この数カ月間はとても心静かに仕事ができたというのが正直なところです。もちろんオンライン授業でトラブルが続発して、その時はかなりストレスを感じて悩みもしましたが。それにこれは私のような仕事の人間だからほざいていられるような「たわごと」で、コロナ禍によって仕事が激減、あるいは皆無になってしまった方々からすれば「何を呑気なことを」とお叱りを受けるでしょうけど。

ともあれ、学校の現場も通常に近い状態に戻るとはいえ、当面は細かいところで新たな発想が求められるでしょう。それに、留学生のみなさんは、これまで遅れが出ていたぶん少なからず不満を抱えているので、それに応えるべく、単に元に戻す以上の工夫も必要でしょう。秋冬になって感染症の第二波が来たときのことも織り込んでおかなくてはなりません。

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https://www.irasutoya.com/2020/05/blog-post_881.html

……と、いうのは、優等生の仮面をかぶった自分。その下にある素顔の自分は、あの慌ただしい日常に戻るのをどこか面倒くさく感じているのです。「筆洗」氏の書かれている「小体で不思議と落ち着いた暮らし」という一節が心にしみます。「小確幸」という言葉を連想しました。せっかくこれだけの非日常な体験をしたのですから、何もなかったかのように元に戻るのは惜しいような気もします。コロナ禍は確実に自分の中の何かを変えてきた。それがどんなふうに変わったのかは、これからゆっくりと腑に落ちていくことでしょう。