“covidiot”という英単語が生まれたそうですね。新型コロナウイルス感染症の“covid-19”と「馬鹿者」を意味する“idiot”からなる造語で、外出自粛など感染症の蔓延を抑えるための要請に従わず、おバカな行動をしてしまう人々を揶揄した言葉だそうです。
「家にいよう」、“Stay at home”が提唱されてからこのかた、なるべくそれに従うべく努力してきました。スーパーへの買い出しも2〜3日分まとめて行い、外に出るのは運動するときだけ。ところが運動のために近くの公園へ行ってみると、これがけっこうな人口密度なのです。
私は家から2kmほど離れた駒沢オリンピック公園まで走って行って、公園内のジョギング専用コースを走り、筋トレなどして帰ってくるというのを繰り返していますが、公園内はわんこを連れた方々がベンチに集って談笑し、元気を持て余した子どもたちが走り回り、マスクはしていません。家族連れで散歩する人も多く、ちょっと怖い。いくら屋外だからといって、私は自分の運動も自粛すべきかもしれないと思っています。
スーパーもすごいことになっています。スーパーでの買い物に関しては、大阪市の松井市長が“idiot”ぶりを発揮されていました。いわく「(女性は)商品を見ながらあれがいいとか時間がかかる。男は言われた物をぱぱっと買って帰れるから(男性が)接触を避けて買い物に行くのがいいと思う」。何重にもツッコミポイントがあって、それだけでうんざりですが、日々の献立を「メニュー主義」ではなく「材料主義」で組み立てている我々は、やはりそれなりに時間がかかるんですよね。
「メニュー主義ではなく材料主義」というのは水俣生活学校の創設メンバーのひとり、栁田耕一氏がおっしゃっていたことです(私もかつてこの学校におりました)。要するに「今日は〇〇を作ろう」とメニューから献立を発想するのではなく、「家や畑に✗✗があるから〇〇を作ろう」とあり物を繰り回す発想から献立を作り、それに必要なものだけを買う……という考え方です。まあこれ、日常的に炊事をしている方なら家計を考えて誰でもやっていることだとは思います。そんな材料主義の私たちは、やはり多少は「商品を見ながらあれがいいとか時間がかかる」。
ともあれ、それでもなるべくスーパーに行く回数を減らし、滞在時間を短くしようとは思っています。スーパーの人出については、すでにもうあちこちから批判が出ていますが、たしかに家族総出で来ていらっしゃる方も多い。小さなお子さんがいらっしゃるご家庭は、子どもを家においておくこともできないでしょうし、かといってご近所で面倒を見合うのも人の集まりを避けるという点で矛盾しているし、批判するのもちょっとはばかられます。
https://www.irasutoya.com/2013/11/blog-post_325.html
思い返せば一ヶ月ほど前、ロックダウンを無視して外出しているイタリアの市民に、その街の市長が「火炎放射器を持った国家治安警察隊を送る」と激怒しているのを半ばネタ的に、対岸の火事的に眺めていた時期がありました。それが事ここに至って、観光地やレジャー施設に押し寄せる人々を“covidiot”と揶揄するような状況になるとは。
家での蟄居が長引けば段々イライラしてきて、つい大勢に従わない人を批判したくなる……私はふだん「みんながひとつに」的なスローガンをあれほど毛嫌いしていたくせに。おのれの「ダブスタ」ぶりにため息が出ます。今朝の東京新聞「筆洗」にはこう書かれていました。
自粛要請に平然と背を向ける人も嘆かわしいが、不自由な生活の中で、人々が次第に余裕を失い、「正義」を振りかざす風潮があるとすれば、これもまた恐ろしい。
このゴールデンウィークは(ぜんぜん「ゴールデン」な感じじゃないけど)なるべく心静かに暮らして、“covidiot”批判は為政者のみなさんにおまかせしようと思います。もっともその為政者が“idiot”だと目も当てられないんですけど。