インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

失敗の本質

1984年に出版された『失敗の本質』という本がありまして、現在は中公文庫で読むことができます。その「文庫版あとがき」は平成三年(1991年)、つまり今からもう30年も前に書かれたもので、最後はこう締めくくられています。

企業をはじめわが国のあらゆる領域の組織は、主体的に独自の概念を構想し、フロンティアに挑戦し、新たな時代を切り開くことができるかということ、すなわち自己革新組織としての能力を問われている。本書の今日的意義もここにあるといえよう。(412ページ)

この本を読むと、30年も前の「今日的意義」がいまなお有効どころか、現今のコロナ禍への為政者の対応を見ている限り、ちっとも変わっていないことを痛感させられます。

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失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

この本では、ノモンハン事件ミッドウェー海戦ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦という六つの「失敗」について、そのプロローグから実際の推移と帰趨が詳細に記されています。特に六つの失敗を踏まえて分析を行っている第二章「失敗の本質」は、あまりにも現在の日本と符合する(ちっとも変わっていない)ことが多く、大量の付箋を貼る羽目になります。例えば大きな課題に対する戦略策定において多分に「空気」がその場を支配するという問題。

日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、多分に情緒や空気が支配する傾向がなきにしもあらずであった。これはおそらく科学的思考が、組織の思考のクセとして共有されるまでには至っていなかったことと関係があるだろう。たとえ一見科学的思考らしきものがあっても、それは「科学的」という名の「神話的思考」から脱しえていない(山本七平『一九九〇年の日本』)のである。(283ページ)

この「空気」はノモンハンから沖縄までの主要な作戦の策定、準備、実施の各段階で随所に顔を出している。空気が支配する場所では、あらゆる議論は最後に空気によって決定される。もっとも、科学的な数字や情報、合理的な論理に基づく議論がまったくなされないというわけではない。そうではなくて、そうした議論を進めるなかである種の空気が発生するのである。(284ページ)

日本軍は、初めにグランド・デザインや原理があったというよりは、現実から出発し状況ごとにときには場当たり的に対応し、それらの結果を積み上げていく思考方法が得意であった。このような思考方法は、客観的事実の尊重とその行為の結果のフィードバックと一般化が頻繁に行われるかぎりにおいて、とりわけ不確実な状況下において、きわめて有効なはずであった。しかしながら、すでに指摘したような参謀本部作戦部における情報軽視や兵站軽視の傾向を見るにつけても、日本軍の平均的スタッフは科学的方法とは無縁の、独特の主観的なインクリメンタリズム(積み上げ方式)に基づく戦略策定をやってきたといわざるをえない。(285ページ)

どうですか、付箋を貼ったうちのほんの一部ですが、ここだけでも現在のコロナ禍への対応や東京五輪をめぐる不可思議な状況ときわめてよく符合しているではありませんか。この本では場の議論が「空気」に支配され、なおかつコンティンジェンシー・プラン(最近よく聞く言い方だと「プランB」ですか)が検討されないという日本軍の欠陥をも指摘しています。これも「このような状態に至ったら、こうする」という明確なプランが示されないまま突き進んでいる今の状況に酷似しています。

現在販売されている中公文庫版には、販促のための特別なカバーがかけられていて、「各界のリーダーが絶賛!」との惹句が踊っています。その一番上に東京都知事小池百合子氏が載っているのを見て、複雑な気持ちになりました。インパール作戦にもなぞらえられる(実際、この本を読むと、現在の五輪へ突き進む状況はきわめて似ています)東京五輪を強硬に推し進めようとしている開催都市の首長が、絶賛?

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このカバーには「なぜ日本人は空気に左右されるのか?」という惹句も載っています。東京都に三度目となる緊急事態宣言が発せられても、もはや多くの人が「お上の言うことなんて聞くもんか」とばかり街に繰り出しています。その意味ではもはや私たちは「空気に左右されない」日本人になったのでしょうか。いやいや、そうではありますまい。変異株などの脅威も取り沙汰されている中、「科学的な数字や情報、合理的な論理に基づく議論がまったくなされ」ずに動いているのだとしたら、それはもはや自律性を失い、まわりの空気に左右された結果ではないかと思うのです。