今朝Twitterで、このツイートに接しました。
今朝の京都新聞朝刊のコラム。諫言の本来の意味をはじめて知った。 pic.twitter.com/4CKv2gCziO
— 渡辺輝人 (@nabeteru1Q78) October 20, 2020
荀子は二千年以上も前の人です(『荀子』としてまとめられたのは唐の時代)。二千年以上も前にここまで明快に言われちゃってることを、まったく学ぼうとしないんですよね。Z国も、うちの国も。小島毅氏がおっしゃるように、Z国をあれだけ警戒して、うちはZ国みたいなのとは価値観を全く異にすると言っておきながら、やってることはどんどんZ国に近づいています。
近視眼的で、大局的かつ長期的な視野で国を考えることができないというの、暮らしを回すことに汲々としている庶民ならいざ知らず、天下国家を論じるべき政治家こそそうした視野や世界観が必要なのに、本当に情けないです。
ネットではずいぶん話題になっていますけど、今度の新しい首相なんか、ほんの8年ほど前に出したご自分の著書でこう書いていたんですよ。「千年に一度という大災害に対して政府がどう考え、いかに対応したかを検証し、教訓を得るために、政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為」だと。
なのに、ご自分たちが政権を取ったら、そうした記録を残さず、改竄したり、処分したりした上に、その著書の新版でもこの記述をばっさり隠蔽しちゃう。単に当時の与党・民主党をディスりたかっただけでしょ。本当に目の前のことしか考えておらず、まさに「国家にとっての良し悪しを気にかけず、自分の地位を保つことだけ考えて権力者に迎合する連中」じゃないですか。小さい、あまりにも小さすぎる。
最近はコロナ禍でずいぶんご無沙汰していますが、以前は通訳者として日本や台湾や中国の大企業の方々の会合でお仕事をすることがありました。守秘義務があるのであまり詳細には書けませんが、大企業のトップの人たちも、同じように目の前の短期的なこと、もっと有り体に言えば目の前のお金儲けのこと(四半期の決算とか、せいぜい一年二年単位の業績)しか考えていなくて、長期的な視野で国とか公(おおやけ)のことを考える人が少ないんだなあと感じていました。
折しも、日本学術会議がZ国の「なんとか計画」と深くつながっているという情報が与党の大物政治家から発信され、その根拠を問われて主張がトーンダウンするという顛末を見せられたばかりです。この件については引き続きいろいろな立場から発信がなされていますが、面白いことにそのどれを見ても(つまり正反対の立場からの主張であっても)、結局のところうちの国が学問や研究という学術全般にわたって長期的な視点に著しく欠け、予算的にも冷遇を続けていることへの危惧についてはほぼ一致しているんですよね。
www.dailyshincho.jp
grici.or.jp
news.yahoo.co.jp
作家の百田尚樹氏など、この三つ目の記事を「マジで1万くらいリツイートしてほしい!!」なんて無邪気につぶやいていますけど、この記事だって結局は「日本では科研費をどうやって取るのかで皆が汲々としている」、「面倒なことをやらずに学問に没頭できて本当に幸せ」という日本の抱える問題点を露わにしちゃってる。Z国の「なんとか計画」に日本の研究者を取られたくないなら、日本の学術環境を飛躍的に向上させなきゃならないという主張において右も左もないんです。
なのにいまの為政者にはそうした「諫言」を容れる度量すらない。夏目漱石の『三四郎』冒頭に出てくる「滅びるね」をつい思い起こしてしまいます。
https://www.irasutoya.com/2020/07/blog-post_48.html
▲「いらすとや」さんには本当にいろいろな絵がありますね。