インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

結婚も幸せの形も人それぞれ

先日の国会、衆議院での首相の施政方針演説に対する代表質問で、選択的夫婦別姓の導入を訴えた野党の代表に対して、「だったら結婚しなくていい!」とヤジを飛ばした議員がおりました。あまりの愚劣さに驚きますが、この議員が「してやったり」とばかりに勇んでヤジを飛ばせるのは、その意識が周囲の仲間や所属する政党の価値観とリンクしているからこそなのでしょう。

選択的夫婦別姓なのですから、これまでのように同姓にしたい人はすればいい。そこに新たな選択肢を増やすことでより多くの人が幸せになるというお話なのに、あの人たちはいったい何に反対しているんでしょうね。というか、反対している「あの人たち」は自民党(の主流派)だけです。早くあの人たちを政権の座から引きずり降ろさなければなりません。

この課題について民意はもう明らかに「賛成」です。私が最初に結婚したのは三十年ほど前ですが、当時「夫婦別姓」を選んだ私としては、ここ三十年ほどでよくここまで民意が変化してきたなあと感慨深いものがあります。でも私はこの課題についてほとんど何も主体的なアクションをしてきませんでしたから、エラそうなことは言えません。地道に主張し続け、活動し続けてこられた方々に心から敬意を表します。

三十年前に夫婦別姓、つまり事実婚を選んだときは、様々な局面で制度上の不利益を被りました。でもまあそれは最初から覚悟していたことですから特につらくもなかったのですが、一番つらかったのは周囲の人々から投げかけられた言葉の数々でした。「事実婚? それは本当の結婚じゃないよ(本当の夫婦、本当の家族などバリエーションは様々)」といったたぐいの。みなさんどうして人様の結婚に、そして人様の幸せの形に、勝手な定義や解釈を加えたがるんでしょうね。

けさの東京新聞に、能町みね子氏がご自身の著書について書かれたコラムが掲載されていました。「結婚の定義なんて、それぞれが勝手に決めればいいと思うのです」。ホントにそのとおりだと思います。そしてまたこの部分に関しては心から同感です。

ドラマも映画も音楽も、(主に男女の)愛を、ラブを、まあしつこいほどに賛美しつづけているけれど、私はあれがそもそも間違っていると思っています。

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そうそう、現代ではかなり多様化してきましたけど、私は若い頃、どうしてポップスも映画もみんな愛だの恋だのばかりがテーマになるのか不思議でした。ハリウッド映画なんか絶対にキスシーンを放り込んできますし。人は(主に男女の)ペアになって結婚するのがデフォルトという強い価値観は、冒頭に書いたヤジ議員がかつて雑誌に開陳した「生産性云々」の暴言とどこかでつながっているようにも思えます。だってあの人たちの理屈は、生き物はペアになって生殖して子孫を残すことだけが絶対善なんですから。

でもまあ私は二度目の結婚では何だか色々とめんどくさくなって籍を入れちゃった日和見者です。やっぱりエラそうなことは言えません。能町氏のような、こうした自由で気持ちの良い関係を、しかも胸を張ってごくごく普通に淡々とつづけておられる姿をまぶしく仰ぎ見ながらコラムを読みました。