インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

就活しなきゃいけないの?

3月1日は就職活動の解禁日でしたね。うちの学校で学んでいる留学生も、卒業に際して就職先が見つかった人がいる一方で、まだ見つからず、「留学ビザ」を「特定活動ビザ」に切り替えて就活を続ける人もいます。こんなご時世でも日本で働きたいと思ってくださる留学生のみなさんに心からエールを送りたいですが、いわゆるリクルートスーツに身を包んであちこち飛び回る留学生を見ていて、日本はいつまで若い方々にこういうことをさせるんだろうなとも思います。

日本には日本なりの歴史や事情があって、就活がいまのような状況を呈しているのも故あることなんでしょうけど、リクルートスーツにはじまり、エントリーシート圧迫面接、お祈りメールなどに代表される、人間性を著しく消耗させるようなあり方はもうちょっと何とかならないのでしょうか。

そう思ってはいても、既に社会である程度の経験を積んで、仕事のポジションを得ている立場の私が「就活なんて蹴っ飛ばせ」的なことを吹き込むのも無責任に過ぎるかなと思って、結局は黒尽くめの背中を見送って「頑張って」としか言えません。内心非常に忸怩たるものを感じます。

f:id:QianChong:20170705111935j:plain:w400

でも私、これは誇張でもなんでもなく本当の話なんですが、かつて大学生だった時に卒業後の仕事を考えたことがありませんでした。「就活」などという略語はまだなかった時代でしたが、学生は在学中から就職のために活動する――会社説明会に行ったり、先輩訪問したり――ものだ、という認識自体がなかったのです。何という世間知らずでしょうか(もはや「世間知らず」というカテゴリーにさえ入らない気もしますが)。

会社に就職するのはイヤだと思っていた、というのはあります。美術系の大学に通っていたので、将来は「アーティスト」になることを志していました。あまつさえ不遜にも「サラリーマンになってアートができるか」などと豪語して、うちの大学で履修可能な数少ない資格である「教職課程」や「学芸員課程」も取りませんでした。

私は美大の中でもでもとりわけ「食えない」純粋芸術(ファインアート)系の彫刻専攻だったので、大学の就職課もはなから我々は相手にしていないフシがありました。一度だけ、将来を不安視するクラスメートにつきあって就職課の窓口へ求人ファイルを見に行ったことがあるのですが、就職課の職員は背表紙に「彫刻科」と書かれた空っぽのファイルバインダーを私たちに示して「求人はありません」とのたまいました。これも誇張じゃなくて実話です。

そりゃまあそうですよね。毎日粘土で裸体を作ったり、でっかい木や石にノミを打ち下ろしたり、鉄板を溶接したりしているものの、それらの技術を職人として学んでいるわけでもない——つまり自己流で「つぶしが効かない」——若造を活かせる企業はそう多くはないでしょう(ただし、石彫や鋳造などのきちんとした技術を学外で積極的に学ぼうとしている学生はいたように思います)。

もちろん皆無とは言いません。たとえば「造形屋さん」と呼ばれる、イベントや展覧会などで使われる様々な造形物を作る、あるいは舞台で用いられる大道具などを作る会社などでは重宝されるかもしれません。実際、そういった企業に就職していく学生も、若干ながらいました。

あとは、きちんと教職課程を履修して、学校の美術教師になった人も。でもこれもごくごくわずかで、大半の学生はほかの道を模索せざるを得ません。まあこれは美術に限らず、アーティストを目指すすべての若い方々が通る道なんでしょうけど。私が在席していたクラスは30名ほどクラスメートがいたと思いますが、みなさんどんな就職をしていったんでしょう(現在ではほぼ全員と音信不通です)。

そんな中、就職活動を全くせず、かといって「アーティスト」としての才能もないことを悟らざるを得なくなっていた卒業時(留年したので「大学五年生」でした)の私は、当然のごとく路頭に迷いました。それで、当時興味を持っていた環境問題や原発や公害に対する社会運動つながりで、宮崎県の土呂久や熊本県水俣に行き、結局水俣で五年間過ごすことになりました。

その間、月収は十万円程度でしたけど、農業のまねごとをやったり、養鶏や、柑橘類の産直をやったり、水俣病患者運動のお手伝いをしたり、けっこう充実した生活を送っていました。両親は最初「何してんだ」と怒っていましたが、次第にあきらめたのか、遠くから見守ってくれるようになりました。でも結局そこにもいられなくなって東京に舞い戻り、何度か就職と転職と失職を繰り返し、留学したり帰国したり海外赴任したり帰国したりしながらいまに至ります。アルバイトも派遣もやりましたし、正社員にも都合五回なりました。

私が仕事をしてきたのはバブルの終焉から就職氷河期を経てまるまる「失われた20年」の時期に当たります。今とはまた違った状況の時代なので、冒頭でも書いたように不用意なアドバイスはしにくいんですけど、なにもみんなと横一線で、同じトラックの上を突進するだけが就活じゃないよとは言ってあげたいです。私などが言うより何十倍も説得力のあるサイトを見つけたので、ぜひ読んでみてください。とくに中川淳一郎氏へのインタビューには「ぐっ」ときました。

cybozushiki.cybozu.co.jp