インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「人となり」を知れば見方が変わるかもしれない

作家の林真理子氏が『週刊文春』で、最近ハワイでは中国人と中国語が「幅をきかせている」という書き出しのエッセイを寄せたことに対して、ネット上で「ヘイトスピーチではないか」批判されていました。すでにひと月以上前の話題ですが、今さらながら知った次第。気になったので図書館でバックナンバーを探し、全文読んでみました。エッセイの概略は、こちらの記事で紹介されています。

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「どうかずっと、この島が日本人のものでありますように」とか「まだハワイは、中国人の視界に入っていないとみえる」とか「ホノルルの高級ホテルやブランド店で、大きな声の中国語をやたら聞くようになった」などと、確かに不穏当な記述が満載のエッセイです。ただ、全体としてはこう言っては大変失礼ながら、スノッブかつ料簡の狭い考えが並べられているだけで、最大限好意的に解釈すれば、中国人云々のくだりも一種のジョークやカリカチュアとして読めないことはないかな、と思いました(私は笑えないですけど)。

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ハワイに限らず、日本各地も最近は外国人観光客、なかでも中国語を話す方々がすごく増えていますよね。私は普段東京の新宿や渋谷周辺を仕事で通ることが多いですが、「爆買い」が一段落してからも、いやひょっとしたらあの頃以上に、普通に中国語が周囲から聞こえてきて、それはもう日常の風景になっています。

中国語には「声調」というメロディや「有気音」という息のストレスを伴う音などがあって発音がダイナミックなことと、たぶんチャイニーズのみなさんの性格というか気風的なことも相まってか、たしかに声のボリュームは大きいかもしれません。もちろん声の小さなチャイニーズもいますし、また日本語母語話者にとっては聞き慣れない音だからよけいに気になるという側面もあるかもしれませんが。

かくいう私自身も、電車の中などで周囲もはばからず大声でおしゃべりに興じている中国語の人々に対して、“入鄉隨俗(郷に入っては郷に従え)”ですよ〜、と声をかけたくなることはあります。一度など、電車の中で子供の足の爪をパチパチ切っていて、その爪の切りかすを床にバラバラ〜っと撒いて降りていった一団にはキレそうになったこともあります。

それでも、だからといって、ハワイは日本人のものだ、中国人はできれば来ないでほしいという主張を臆面もなく雑誌のコラムに書いてしまう感性は、明らかに子供じみていると思います。公園の砂場で「ここはオレの縄張りだから誰も入るな」と言っているジャイアニズムみたいなものではないですか(でもきょうび、親御さんは子供を砂場で遊ばせたがらないらしいですね)。

先般、京都に行ったら、タクシーの運転手さんが「もう正直勘弁してほしいですわ」と言っていました。ここ数年外国人観光客がどっと押し寄せ、あれこれの摩擦に市民はみんな疲れ切っている……というようなお話でした。私は適当に相槌を打ちながら、少々暗い気持ちで聞いていたのですが、こういう「古き良き自分だけの○○」を求める気持ちは抑えきれないのかなと思いました。そして、それは詮ない望みですよとも。

望むと望まざるとに関わらず、世界はどんどん狭くなり変わっていくのです。そして個人の欲望は誰にも止められません。自分の行動を誰にも干渉されたくないのと同じように。そのように個々人が自分の「快」を追求していけば、どこかでぶつかることもあるし、どこかで譲歩なり辛抱なりをしなきゃならないこともある。自分もどこかに出かけていって、他人の「古き良き自分だけの○○」を毀損しているかもしれない。これは当たり前すぎるほど当たり前のことであって、分別ある大人はそれをわきまえ「お互い様」で生きていくのです。

林真理子氏のこの一文には、そういう大人の態度が決定的に欠けていると思いました。そういうのは内輪の飲み会か何かで「やらかす」べきであって、やはり週刊誌にエッセイとして堂々と寄稿するようなものではなかったかもしれませんね。

それに賑やかで大きな声の中国人観光客のふるまいだって、その人たちの「人となり」を知ればまた感覚が変わるかもしれませんよ。私は以前、東京メトロ銀座線の上野駅で、大声であれこれ話し合っている十数名ほどの中国人の一団に接したことがあります。困っているようだったので中国語で声をかけてみたら「秋葉原に行きたいけど乗り換え方がわからない」とのこと。大連から家族や親戚と連れだって観光に来られたのだそうです。

確かに、上野駅で銀座線から秋葉原に向かうとすれば、いったん改札を出て日比谷線に乗り換えなければなりません。みなさんの不安は、切符を自動改札に入れちゃったら、もう一度買い直さなきゃいけないのかという点でした。そこで私が駅員さんにたずね、買い直さなくても改札を通れる旨伝えました。

みなさんとても喜んで、口々に感謝の言葉を述べながら改札を通って行き、「今度大連に来ることがあったら、大歓迎するよ」と言う方まで。歓迎ったって連絡先も聞いてないし、これは社交辞令なのですが、こういうふうにめいっぱい感謝と親愛の情を表すのが中国人ふうなんですよね。そうやって「人となり」を知ってしまうと、賑やかな大声だってなんだか親しみを感じるようになるではありませんか。