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内向型人間のすごい力

スーザン・ケイン氏の『内向型人間のすごい力』を読みました。内向型と外向型という二つの性格の型をめぐって、これまでの研究から明らかにされた科学的知見を元に、企業や教育現場などでの対人関係のあり方を論じた本です。


内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える (講談社+α文庫)

原著は2012年にアメリカで出版されてベストセラーになった『Quiet』で、それが翌年邦訳され、私が読んだのはその文庫版です。「内向型」をキーワードにした関連書籍や類書が数多く出ていることからも、反響の大きさがうかがえます。こちらのTEDトークでは、そのエッセンスが語られています。

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個性の発露と積極的なコミュニケーションこそ至上で、社交的でなければいけない、引っ込み思案ではいけない、自分の考えを堂々と主張できるようになることが成功の鍵……といったようなスタンスこそアメリカ的な価値観だと考え、アメリカは外向型人間の国だと見ている人が自他共に多いと著者はいいます。

日本人も例外ではなく、こうしたポジティブ信仰とでもいうものは職場でも学校現場でも繰り返し強調されていますよね。グループワークなどでいち早くリーダーシップを発揮できるかどうか、個性的な意見を出せるかどうかが「有能さ」の証、のように思われているフシもあります。……でも、その当のアメリカ人は、その三分の一から二分の一が内向型だと著者は明かします。そして世界にはもっと内向型の比率が高い国々があるだろうと。

この本では単に人間を外向型と内向型に分けるだけではなく、人によってそのどちらの性格をも一定程度の割合で持っていること、その一方で生まれついた性格は変わりにくいものの、うまく付き合う方策はあるということ、さらには職場や学校現場で内向型の人々に対する理不尽なプレッシャーを回避するための提案などが語られます。そのどれもが、私にはとても腑に落ちるものでした。なぜなら、私も(この本の分類に従えば)間違いなく内向的な性格の人間だからです。

ご自身も内向的な性格だというスーザン・ケイン氏が、かつて講演を依頼された時の描写は「これ、まんま私のことだ!」と驚きました。

・普段は自殺など考えたこともないが、大切な講演を翌日に控えて、頭のなかは不安と心配でいっぱいだった。もし緊張で口が渇きすぎて、しゃべれなくなってしまったら、どうしよう? もし、聴いている人たちを退屈させてしまったら? もし、演壇上で気分が悪くなってしまったら?
・目覚まし時計を見た。時間はすでに六時半。少なくとも一番つらい時間はもう過ぎた。講演さえ切り抜ければ、明日はすっかり自由の身だ。だが、その前に、何とか本番を乗り越えなければ。私は暗い気分で身支度して、コートを着た。
・車に乗っているあいだずっと、いったいどうして自分をこんな羽目に追い込んでしまったのかと後悔していた。
・目的地に向かいながら、ここでちょっとした地震かなにかが起きて、セミナーが中止にならないものかと心の奥で祈っていた。そして、そんな罰当たりなことを祈ったことに罪の意識を感じた。
セミナーなんて二度としない、そのとき私は心に誓った。

わははは(笑い事ではありませんが)、これは通訳の仕事を承けた時の私と全く同じです。そして通訳を学んでいる生徒さんの中にもこういう方はけっこういらっしゃいます。

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私自身は、これはひとえに自分がこの仕事にあまり向いていないからだと思っていたのですが、確かに向き不向きもあるものの、もっと大切なことはそういう自分の「性向」をきちんと把握して、それに会わせたマインドセットを考えていくことだったんですね。それをこの本で教えられました。

もうひとつ、この本で非常に興味深いのが、この本に登場するアジア系アメリカ人、とりわけ華人の「内向性」がアメリカ人との大きな違い、あるいは優秀さの背景にあるものとして指摘されていることです。「中国では、静かな人は賢いとみなされる」「勉強する、いい成績をとる、波風を立てない。生まれつき静かにするようにできているの」などという証言が紹介され、さらには日本の諺や古典、中国の老子の言葉なども引用されています。

なぜこれが興味深いかというと、私は職場や学校現場で「極度に内向的な日本人に比べて外向的な華人のみなさんは……」といったようなものいいを時折耳にするからです。あたかもスーザン・ケイン氏が「外向的アメリカ人」と「内向的華人」という比較で使った構図をそのまま「外向的華人」と「内向的日本人」という構図に引き写したかのようなのです。アメリカ人にとっては十分に内向的に見える華人でさえ、私たち日本人から見れば十分に外向的……ということは、日本人は世界で最も内向的な人々なのでしょうか。

もちろんある民族や国民すべてを一つの型に当てはめることはできませんから、これはいわば文化背景が人々の対人関係に及ぼす影響、その可能性といった範疇を出るものではありません。ただそう考えてくると、いまの日本で「よきもの」として取り入れられているグループディスカッションや人前でのプレゼンテーションなどの技術、コミュニケーション重視の語学、「会議で発言しないものは去れ!」的な価値観はもう一度見直して見るべきではないかと思えてくるではないですか。それは本当に私たちの求めているものなのだろうかと。

かくいう私も教育現場でパブリックスピーキングや演劇などを通して、人前でより積極的に発信することを生徒に課しています。それは人前で話すという通訳者の特性を鑑みた学校のカリキュラムではあるわけですが、それを「指導」なんかしちゃっている自分自身がこの本によれば典型的な「内向型」なんですよね。読み終えたいま、う〜ん、困ったなあというのが正直な感想です。さて、どうしましょう。

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