インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

黒板消しを手伝ってくれる留学生

うちの学校にはパーテーション(間仕切り)で隔てられた教室がいくつかあります。授業に参加する生徒の人数に合わせて、二つの教室を一緒にしたり、別々に仕切って使ったりするため、天井から床までの大きな可動式の壁が設置されているのです。

このパーテーションを授業前の短い時間で畳んだり広げたりするのはけっこう大変です。まず昔のエンジンを始動させるときに使うような「クランク棒」を差し込んでくるくる回し、床と接しているパーツを引き上げてパーテーション自体を自由にした後、天井に組み込まれているレールに沿って重いパネルを一枚ずつ動かしては教室の端にあるスペースに収納していきます。それが何枚もあるのでふうふう言っていると、たいがい留学生の男子諸君が手伝ってくれます。ありがたいことです。

パーテーションに限らず、留学生のみなさんはこうして教師の作業を手伝ってくれることが多いです。一番多かったのは授業が終わったあと、黒板やホワイトボードの板書を消す作業。こちらが消そうとすると「センセ、私がやります」と駆け寄ってくれる留学生がいるのです。

これもなぜか男子が多く、それも中国や台湾などを始めとするの華人留学生やアジア圏の留学生ががほとんどです。欧米などの留学生が手伝ってくれたことは、少なくとも私の経験ではありません。もっともこれは、単に私が担当する授業では、華人留学生の割合が高いからというだけのことかもしれません。

今しがた私は「一番多かった」と書きました。そうなんです。最近の華人留学生は、あまり「黒板消し」を手伝ってくれません。私が最初に華人留学生のクラスを担当したのはほんの十数年ほど前のことですけど、その当時から比べても、明らかに「センセ、私がやります」は少なくなりました。いえ、別に手伝っていただかなくても構わないのですが(もともと私がやるべき作業ですし)、ただ、たったこの十数年ほどで、華人留学生のメンタリティになにがしかの変化があったのかしら、とちょっと興味を持ちました。

想像するに、かつて「黒板消し」を率先して手伝ってくださる華人留学生が多かったのは、たぶん母国で、それも初中等教育の中でそういう指導なりしつけなりが行われてきたからではないかと思います。だから日本に留学してきても、当然のようにそういう行動に出ていた。それが最近に至って減ってきたということは、彼の地でもそういう教育に変化が現れたからなのかもしれません。現代の“課堂規矩(教室でのきまりごと)”がどうなっているのか、こんど華人留学生のみなさんに聞いてみたいと思います。

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https://www.irasutoya.com/2014/11/blog-post_30.html

あ、そうそう、この件に関して、個人的な印象でひとつだけ気づいたことがあります。それは日本へ留学して間もない留学生には「センセ、私がやります」という人が多いのに、日本で一年、二年と学ぶうちにだんだんそう言わなくなるという点です。別に統計など取っているわけじゃないですから漠然とした印象ですけど、「ああ、こういうところは日本の若い人とずいぶん違うなあ」と新鮮な感動を覚えるような場面がだんだん少なくなっていくのです。

来日間もない留学生が授業でも積極的に、いえ、積極的すぎるくらいに発言していたのが、来日年数が増えるに従ってどんどんおとなしくなっていく、打てど響かぬようになっていくという現象をブログに書いたことがあります。日本語教育業界やその周辺で言うところのいわゆる「日本人化」というやつですが、上述の「センセ、私がやります」が減っていくのも日本人化のひとつなんですかね。だとすると、その日本人、日本人的なありようって一体なんなんだ、という興味深いハナシになっていくわけですが。

qianchong.hatenablog.com

追記

この話を周囲の同僚にしたら、「ベトナムやタイの留学生は今でもけっこう『黒板消し』をやってくれる」という情報を得ました。なるほど。さするに、経済が発展して市場原理が人心にまで染み込んでいくと、「教育ったって結局は投資とリターンでしょ。学費払ってるのになんでそんな作業をやらなきゃなんないの」的なメンタリティになっていくということなのかしら。十年くらい後にまた観察してみたら、何からの確証が得られるかもしれません。