インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

無人島に一枚だけレコードを持って行くとしたら

無人島に一冊だけ本を持っていくとしたら?」という問いがあります。繰り返し繰り返し熟読玩味するに足る愛読書を持っているかどうか……というのはなかなかに厳しい問いですよね。それまでの読書体験と、この先の人生観を同時に問われているようなものですから。

本ではなく、レコードを持って行くとしたら、というバリエーションもあります。ストリーミング配信が主流の時代に「レコード」というのもおかしいですが、まあ現在でも音楽の作り手側には「アルバム」という概念がけっこう根強く残っているようですからよしとしましょう。要するに愛聴盤ということですが、私はもうバッハの『ゴルトベルク変奏曲』をおいて他にありません。

学生時代に、知人からこのアルバムを教えてもらい、以来30年以上聴き続けています。カナダのピアニスト、グレン・グールドがその死の直前に録音した二度目の『ゴルトベルク変奏曲』です。


J.S.バッハ:ゴールドベルク変奏曲(81年デジタル録音)

このアルバムはもう繰り返し繰り返し、すり切れるくらいに聴きました(CDだからすり切れないけど)。

若いころ、農業のまねごとをしていたときに、周囲の農家さんが作る低農薬みかんの産直販売事務もやっていました。全国から注文がはがきやファックスで舞い込んで(まだメールはそんなに普及してなかった時代です)、その数を元に農家さんに発注し、宅配便の発送票を何百枚もひとりで書き、運送業者さんと一緒にトラックへ積み込むという仕事。すでにパソコンが登場、ドットインパクトプリンタがあった時代だと思いますが、なぜ手書きなどという生産性の極めて低いことをしていたのか、今となっては謎です。

とにかくその延々と続く手書きの作業中に、グレン・グールドが弾く『ゴルトベルク変奏曲』をエンドレスで聴いていたのです。何度聞いても飽きず(変奏曲だというのもその理由でしょうか)、単調な労働で疲れる心身を癒やしてくれたこの一枚は、本当に自分に寄り添ってくれるような存在に感じられました。

ゴルトベルク変奏曲』のさまざまな「変奏」

この一枚がきっかけとなって、その後さまざまなアーティストの『ゴルトベルク変奏曲』を聴きました。ピアノだけでなく、チェンバロ版、弦楽版、管楽版、ギター版、さらにはジャズアレンジのものまで。これだけ多くのアーティストがこの大曲に挑戦しているのは、やはりこの曲が多くの人にとって特別な存在になっているからなのでしょう。

音楽ストリーミング配信の時代になって、私は今でもSpotifyでこの曲をよく聴いています。特に通退勤時の、殺人的なラッシュアワーで殺伐とした空気に染まっている電車内で『ゴルトベルク変奏曲』のアリアを聴いていると、とても落ち着くのです。電車の騒音でところどころ聞こえなくなっても、アリアに身を委ねているだけで癒やされる。Spotifyでは『ゴルトベルク変奏曲』のアリアだけを集めたリストも作っています。いまのところ293曲、合計18時間になんなんとするリストになっています。電車内で息苦しくなったら、これを延々聴いているわけです。いや、どんだけ都会で病んでいるんだということではありますが。

このプレイリストはとにかく片っ端から『ゴルトベルク変奏曲』のアリアだけを集めたものですから、ときどきはっとするような新しい発見があります。先日はとあるピアニストの演奏に引き込まれました。この方のアリアはとにかく端正で、技巧や装飾性といった側面が禁欲的なまでに抑えられているような気がしたのです。気になってアリアだけではなくアルバムの変奏すべてを聴いてみました。

素晴らしい演奏だと思いました。高度な技術を「ドーダ!」とばかりに見せつけるのではなく、ピアノ演奏の基本に、そしておそらく楽譜にも忠実に、個性や「我」みたいなものをできるだけ表に出さないように弾いているような気がするのです。一歩間違えば単に未熟なだけじゃないかと誤解されそうですが、決してそうではありません。ピアニストのお名前はNadine Deletaille氏。ネットで検索しても日本語の情報が見つからないのですが、ベルギーのピアニストだそうです。そしてSpotifyにはこの『ゴルトベルク変奏曲』しかアルバムが登録されていません。

open.spotify.com

氏の演奏は地味と言えば地味です。若い頃だったら「なんだこれ」と思ったかもしれません。それがこの歳になって「沁みてくる」というのが面白い。やはりバッハの『ゴルトベルク変奏曲』は、無人島にひとつだけ持って行く「人生の愛聴盤」にふさわしいと思います。

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