インタプリタかなくぎ流

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バッハ・古楽・チェロ

先日の東京新聞に、オランダのチェリストアンナー・ビルスマ氏のCDに関する小さな記事が載っていました。親交のあった日本の音楽評論家・佐々木節夫氏の死去に際し、ビルスマ氏の発案によって東京の教会で行われた追悼コンサートを収録したCDが発売されたという記事です。

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アンナー・ビルスマ in 東京

アンナー・ビルスマ氏といえば、もう何十年も前に購入したバッハの『無伴奏チェロ組曲』のCDだけを持っています。当時大好きだった絵本作家の長谷川集平氏ビルスマ氏のこの一枚を激賞していて、それに影響されて購入したのでした。今回新聞記事を読んで初めてビスルマ氏が昨年亡くなっていたことを知ったくらいクラシック音楽界隈には明るくない私ですが、この『無伴奏チェロ組曲』は人生の愛聴盤と言ってもいいくらい何度も聴いてきました。

新聞記事に載っていた東京でのコンサートのCDも購入したいと思ってネットを検索してみたら、そのCDと同じ内容の付録CDがついた書籍が出版されていることを知りました。それがこの本です。

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バッハ・古楽・チェロ アンナー・ビルスマは語る【CD付】

CDに収められている演奏も素晴らしいですけど、この本の内容がまた読み応えがありました。上記の東京でのコンサートでフォルテピアノ奏者として共演した渡邊順生氏と、この本の構成と翻訳を担当した加藤拓未氏によるインタビューです。このときビルスマ氏はすでに神経の麻痺によって現役の演奏活動からは退いていたのだそうですが、それを微塵も感じさせないほどの活き活きとした音楽論や演奏論に、門外漢の私でさえ引き込まれてしまいました。

こうしたインタビュー本や対談本は、とかく内容が浅く薄くなりがちという先入観のあった私ですが、この本についてはそんな浅薄さは皆無です。これは渡邊氏の抑制の効いた、かつ的確な質問と、加藤氏による達意の翻訳が大きく貢献しているのだと思います。

特に『無伴奏チェロ組曲』全曲を詳細に解説した部分については、手元にあるCDの音を聞きながらゆっくりと読み進めました。楽譜の詳細に立ち入っていく記述は(それこそ門外漢の)私の手に余る内容でしたが、それでも「なるほど、そんなことを考えながら演奏していたのか」と反芻しながらあらためて聴けたことは大きな喜びでした。

詳細な音楽論の他にも、はっと目のさめるような「ビルスマ語録」に何度もうなりました。例えばヴァイオリンと一緒に演奏するピアニストについてのこんな記述。

一部のピアニストは聴くことより、弾くことに熱中してしまう。ヴァイオリンと一緒に演奏していても、夢中になりすぎて、ヴァイオリンにできることやできないことがあるにもかかわらず、おかまいなしに引いてしまうんだ。(中略)良いピアニストというのは、ヴァイオリンに可能なことを知ったうえで弾く人たちだ。つまり頭の中で自分にできることはなにか、提案できる演奏家のことなんだ。(121ページ)

そして……

「良い演奏家」というのは、一見しただけではわからないことを、楽譜から読み取って演奏に反映している演奏家のことなんだ。(125ページ)

また、アンサンブルについては……

もちろん技術的な練習は、ある程度、自分でやるしかないが、音楽を学ぶうえで、個人だけで練習するよりも、グループで練習したほうがいい。なぜなら自分だけで練習していると、視野が狭くなり、行き詰まるので、楽しくなくなる。それが、グループで練習をすると、必ず自分にはできないことをできる人がいて、刺激になり、成長につながる。また、メンバー同士で議論が起こり、やはり音楽に広がりが出てくるんだ。(209ページ)

これらの発言は、音楽という芸術が独善に陥らないよう、ビルスマ氏が常にフラットな視線を保とうとしていたことの表れではないかと思えます。そしてそれはひとり音楽のみならず、どのような表現にも通じる哲理ではないかと思うのです。

ビルスマ氏は、カナダのピアニスト、グレン・グールド氏の演奏はあまり好みではなかったようで、その点に触れたくだりも興味深く読みました。そのくだりで渡邊氏は、自身は最初グールドの『ゴルトベルク変奏曲』に惹かれたとしながらも、こう語っています。

しかし、ほどなくして、それは「グールド」に惹かれているだけで、「バッハ」に魅せられているのとは違うと思い始めたんです。グールドをとおしてバッハを見ているうちに、だんだんとその違和感が大きくなっていったんですね。
録音された名演奏に傾倒しすぎるのも危険なことだとわかりました。これはグールドに限らず、ホロヴィッツでもフルトヴェングラーでも同じことですが、ある天才の演奏に感動するのは良いけれど、天才たちはどんどん先へ進んでいくのに、凡人である私などが、自分の中でそうした天才のひとつの演奏のイメージを固定化してしまうと、もう先へ進めなくなってしまいます。(207ページ)

渡邊氏は演奏者としてこのくだりを語っておられるわけですが、これは鑑賞者である私たちにもとても新鮮な視線を提供していると思いました。私はグレン・グールドによるバッハの演奏が大好きで、愛聴してきたアルバムもいくつかありますが、もう一度バッハならバッハ、つまり作曲者の作品そのものに立ち返って、さまざまな演奏家の様々な解釈を聴き比べてみたいと思いました。

ともあれ、この本の対談を味わった後に、付録のCDを聴いてみると、とりわけその音楽が深く身体に染みてくるように思えました。こんな贅沢な音楽体験はなかなか(本番のコンサートでさえも)味わえるものではありません。