インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

雑然とした雰囲気の中での劇的な訴求力

昨日、大宮公園へ「薪能」を見に行ってきました。埼玉県主催のイベント「埼玉 WABI SABI 大祭典2018」で能楽喜多流の「船弁慶」が上演されるというので、お誘いを頂いたのです。毎年新春に開催されている「はじめて観る方のためのやさしいお能」がコンセプトの「若者能(わかもののう)」のみなさんがプロデュースする公演で、私もスマホアプリによる同時解説でちょっぴりお手伝いしました。

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薪能とはいっても、公園内のあちこちで様々なパフォーマンスが催されているなか、また屋台や出店がたくさん出ている中の一角、しかも建築用足場の鉄骨を組んだような簡素な舞台。背後の鏡板も布に松の絵を描いた「書き割り」ですし、舞台自体もカーペット引きなので足拍子を踏んでも響きません。両袖の薪だけでは照明が足りず、LEDのスポットライトが多数舞台を照らしています。

さらにすぐ近くの競技場ではサッカーの試合が行われているのか、大声援が遠くから響きつつ、夕暮れで活動が活発になった大量のカラスさんたちが上空をカアカア鳴きながら旋回という、音響的にはかなり「アウェイ」な環境で、演者のみなさんは胸元に仕込んだワイヤレスマイクでスピーカーから謡が響く……という、普段の能楽堂での公演とはかなり異なる雰囲気でした。野外の薪能で、しかも入場無料なんですからまあそういう雰囲気もある意味当然なのかもしれないんですけど。

私は会場に到着してその雰囲気を見た瞬間、「ああ、これは能楽師やスタッフのみなさんは大変だなあ」と思いました。いくら能楽の普及目的とはいえ、端的に申し上げて能楽を鑑賞するような環境ではないかなあと思ったのです。……ところが。

最初にステージで解説をしてくださった「若者能」のスタッフお二人、振り袖に身を包んだ大学生の方のお話がとても上手でした。能楽を一度も見たことがない方のために簡潔かつポイントを押さえた解説で見どころを紹介。それも堅すぎず、適度に笑いも入りつつ、そして滑舌よく聞きやすい話し方で、とても素晴らしかったと思います。

演者が出てくる幕と能舞台をつなぐ橋懸かりも単にカーペットが敷かれているだけですが、その前に「一の松、二の松、三の松」がわりに松の盆栽が三つ置かれていて、おお、これはご当地特産の盆栽を上手に利用されたわけですね。

そのあと「船弁慶」の上演。シテやワキなどの演者はもちろん、囃子方地謡もみなさん一流の能楽師ばかりです。う〜ん、ちょっと贅沢すぎる。しかも普段の能舞台よりは若干小さめで舞いにくいところもきちんと考慮に入れた舞台運びで、充分に劇的効果が高められていました。

また源義経役として出演していた子方の少年は、以前温習会で見事なシテ謡を披露していた彼ではありませんか。今日も凛と響く声で果敢に義経を演じていました。後段の平知盛(の亡霊)との闘いのシーンは思わず手に汗を握りました。彼は今後玄人の能楽師を目指して行かれるのかなあ。もしそうだとしたら、これは楽しみです。

qianchong.hatenablog.com

私は「関係者」ということでベンチ席に座らせていただいたのですが、多くの方は舞台を取り囲んで立ち見でご覧になっていました。もとより入場無料・入退場自由の環境で終始ざわざわした雰囲気でしたが、そんな雑然とした雰囲気の中でも徐々に観衆が舞台に引き込まれていくのが分かりました。思えば能楽が成立した当時の芸能は、おそらくこんな雰囲気の中で行われていたのでしょう。能楽堂で見るお能も素敵ですし、もう少し落ち着いた雰囲気の薪能も好きですが、今回のような演能も能楽の普及という点で意義があるのではないかと思いました。

野外の決して理想的ではない環境で、あえて手抜きせず「容赦のない」本物の技芸を披露された能楽師とスタッフのみなさんに心から敬意を表したいと思います。今回の舞台を見て、能楽堂にも足を運んでみようと思われた方がいたらいいですね。

ところで今朝、東京新聞の「表四(裏表紙にあたる紙面)」に大きく「伎楽面」を紹介する記事が出ていました。

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伎楽はおよそ1400年程前に大陸から伝来したとされる幻の芸能で、奈良時代には盛んに上演されたらしいもののその後衰退し「絶滅」してしまいました。仮面芸能であるという点からも、能楽にも何らかの影響を与えているのではないかと思いますが、現在には仮面が残されているだけで詳細はほとんど分かっていないという謎の芸能です。私は大学時代に文化人類学の講義でこの芸能を知り、研究者たちがわずかに残された文献などを元に在りし日の姿を推測して行く手法に感動したことを覚えています。

この記事によれば、伎楽は「パレードと寸劇が組み合わさっていたらしい」とのこと。

下ネタに、権力者への風刺。これは絶対に爆笑の連続だったはず……。
酔っぱらったペルシャの王様や家来たちの面もあり、真っ赤な顔で泣き上戸や笑い上戸になっている。なんともおおらかな古代である。聖と俗は混沌として、ただ人の喜怒哀楽があるばかりだ。

なるほど、芸能のルーツ、あるいは本義のひとつとも言えるこうした要素は、現代の能楽堂内での公演にはすでにほとんど失われてしまっています。その是非はさておくとして(というか、私自身は落ち着いた雰囲気で観劇する方が好きではありますが……)今回のような雑然とした雰囲気での公演にもある種の魅力、劇的な訴求力はあるのだなと感じたことでした。