インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

わたしは血

  ヤン・ファーブルが演出・構成した舞台。演劇というかダンスというか、パフォーマンスというかインスタレーションというか、とにかくまあ「舞台作品」としか言いようのない作品。
http://www.saf.or.jp/p_calendar/geijyutu/2007/d0216.html
【ネタバレがあります】

  ヤン・ファーブルといえば、もう二十年ほど前になるだろうか、渋谷のパルコ劇場で見た『劇的狂気の力』を思い出す。上演時間が六時間以上もある「舞台作品」だ。ミニマルミュージックと映像を背景に、えんえんと同じ型のダンスを繰り返したり、大量の皿を割ったり、舞台上でタバコを吸い続けたりというパフォーマンスが続く。観客も休憩を取るためか、客席が出入り自由になっていたのもこうした演劇公演では異例だった。
  上演中に観客の一人が舞台にトマトを投げつけ、「こんなものは演劇じゃない!」とか何とか暴言を吐き、それをたしなめる観客との間でひとしきり口論になるというハプニングもあった。どんなに難解な舞台でもおとなしく鑑賞する日本人にしては随分珍しい光景だったかもしれない。もっとも暴言を吐いた男性は蜷川幸雄の門下生、つまり演劇畑の人間だったらしいという話があとから雑誌に載り、ちょっと拍子抜けしたことを覚えている。役者さんならああいう行動もお手のものだよ、きっと*1
  劇場に入ると幕はもう開いていて、薄暗い中で葉巻をくわえ、全裸に近い、しかもでっぷりと太った中年男性が踊っている。大きな本を頭に載せた古風な出で立ちの女性が舞台の外周をゆっくりと回っており、舞台両袖に並べられた巨大な鉄製のテーブル上で、何人かの男性がいろいろな「作業」をしている。つまりまあ、なんだか訳がよく分からない状態。
  開演後は約一時間半にわたって、身体のグロテスクさや人間の狂気を執拗にあばくようなパフォーマンスが続く。月経後の性器を洗う、ペニスを切り落とす、出産する、手術する……といった血や肉体に関するメタファーが折り重なり、かなり頭痛を誘発しそうな内容。最初に踊っていたおじさんは、最後のシーンでは全裸の全身に黒いクリームを塗りたくり、白い鳥の羽を全身にまぶして登場、そのままカーテンコールにこたえていた。場面によっては俳優のほとんどが全裸になり、人倫にもとるようなシーンもてんこ盛りだから、国によっては上演不可能かもしれない。
  超前衛なんだろうけれど、こうした訳の分からない舞台はむしろ昔の方が多かった。かつて暗黒舞踏などに触れた世代にはどこか懐かしささえ感じられるはずだ。血しぶきが飛び散るため最前列の観客にはビニールシートが配られていたのも「懐かしい〜!」。
  「彩の国さいたま芸術劇場」は与野本町から七〜八分ほど歩いた住宅街にあるため、舞台を見終わって駅に向かう途中、今見てきた光景とあまりにもかけ離れた常識的雰囲気(?)に少々めまいを覚えた。

*1:今回の『わたしは血』は、蜷川幸雄が芸術監督を務める「彩の国さいたま芸術劇場」で上演され、パンフレットには氏が「ようこそ」と挨拶文を書いている。隔世の感がある。