インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

フィンランド語 22 …文型の復習

これまでに出てきた文型を三つ、復習しました。

第一文型

「A olla B」の形で「AはBである」を表すものです。

Tämä on kirja.
これは本です。

第二文型

「〜ssA on 〜」や「〜llA on 〜」のような「〜に〜がある」を表す存在文、「人称代名詞+llA on 〜」のような「だれそれは〜を持っている」を表す所有文がこれにあたります。

Pöydällä on kirja.
机の上に(一冊の)本があります。

このとき「kirja(本)」の諸相によって格が変わります。

①Pöydällä on kirja. →単数主格(ひとつ)
 机の上に一冊の本があります。
②Pöydällä on kaksi kirjaa. →単数分格(ふたつ=ひとつ以外)
 机の上に二冊の本があります。
③Pöydällä on kirjat. →複数主格(ぜんぶ)
 机の上に全ての本があります。
④Pöydällä on kirjoja. →複数分格(いくつか=不定量数)
 机の上に何冊かの本があります。

本のように数えられる名詞については、それが「単数(①)」か「複数(②③④)」かによって名詞が変化するということですね。しかも複数には「ひとつ以外の複数(②)」か「全部(③)」か「不定量数(④)」かの三種類がありえると。

数えられない名詞については、単数分格をとります。

Lasissa on vettä.
グラスの中には水があります。

「vettä」は「水(vesi)」の単数分格です。

第三文型

動詞+目的語、つまり「〜を〜する」という文型です。

Minä luen kirjan.
私は(一冊の)本を読みます。

このときも「kirja(本)」の諸相によって格が変わります。

①Minä luen kirjan. →単数対格(ひとつ)※単数属格と同じ形
 私は一冊の本を読みます。
②Minä luen kaksi kirjaa. →単数分格(ふたつ=ひとつ以外)
 私は二冊の本を読みます。
③Minä luen kirjat. →複数対格(ぜんぶ)※複数主格と同じ形
 私は全ての本を読みます。
④Minä luen kirjoja. →複数分格(いくつか=不定量数)
 私は何冊かの本を読みます。

この第一・第二・第三文型で、全体の約六割ほどを占めるそうです。フィンランド語は、目的語の諸相、つまりそれが単数か、複数か、複数なら「いくつ」という定量か、全てか、それとも不定量か……をあらかじめ念頭に置いて話す言語なんですね。

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Hyllyllä on kirjoja.

働かざる者たち

端的に言ってこの習慣をやめたら「バカになっちゃう」ような気がして、いまだに紙の新聞を取って毎朝隅々まで目を通しています。

記事を読むだけならネット版の方が手軽で便利(大判の紙の新聞はスペースを取るので、例えば朝食を食べながら読むとか、混み合った交通機関の中で読むなどといった状況では極めて不便です)なんですけど、一度しばらく電子版に切り換えてみたら全然頭に入って来ないことが分かったので、紙媒体に舞い戻ってきたのです。

新聞紙って、雨の日に帰宅して、濡れた革靴の中に押し込む紙を確保できるくらいしかメリットが思い浮かばないし(ごめんなさい)、資源ゴミの日にひもで縛って出すのも面倒(特にその日が雨だったりすると)だし、検索やら記事のブックマークやらスクリーンショットやらいろんな意味で電子版のほうが断然便利なのですが、新聞(紙)を読むという習慣が以外に根強く自分に残っていて、ちょっと不思議ではあります。こういう言葉は自縄自縛になるから嫌いですけど、やはり「古い人間」ということになるんですかね。

しかも紙の新聞、広告がもう中高年向けのものばかり。全部が全部じゃもちろんないですけど、例えば今日の東京新聞朝刊をざっとめくってみても……

「リウマチはしっかりよくなっていく!」
「身近な人が亡くなった後の手続きのすべて」
「ピントだけが目の悩みではありません」
「全国に届ける“感動葬儀”」
「200億個の乳酸菌が入った青汁」
ちあきなおみの世界CDコレクション」
「我慢してきたその腰痛を内側から治していくお薬」
「夜、何度も…」

……と如実に読者層が想定できるラインナップ。

この最後の「夜、何度も…」なんて、具体的な症状の説明が一切ないのに、分かる年代の人には即座に分かるこの「ハイコンテキスト性」。ちょっとした感動すら覚えます。ことほどさように「古い人間」のための媒体なわけです。

そんな、いわば「斜陽」産業とも言われて久しい新聞業界ですが、その「新聞社の働かない人たちの生態を描く、サラリーマン漫画の最低到達点」(帯の惹句より)と銘打たれた、サレンダー橋本氏の『働かざる者たち』を読みました。最初はcakes(ケイクス)で有料購読していたんですけど、結局単行本を買っちゃいました。
cakes.mu


働かざる者たち (エヌ・オー・コミックス)

いやあ、面白い。目次の横にはもちろん「※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません」とクレジットが入っていますが、この小さなクレジットがやけに重みを持って感じられるくらいに、インパクトのある作品。多分にデフォルメされているであろうけれども、それが実はデフォルメじゃないんじゃないか……という気持ちを起こさせ、ある意味ホラーにも近い味わいを持っています。

誰しも労働に関しては自分なりのポリシーなり世界観なりを持っていて、それが組織、特に規模の大きな組織で働いている時には、組織のあり方と自らの「志」との間で多かれ少なかれ引き裂かれた状態にあることが多いですが、このマンガはそのあたりの機微をかなり露悪的なトーンと小っ恥ずかしいくらいの正論で交互にたたみかけてくる、そのストーリーテリングが爽快です。裏表紙に刷られた「すべての社会人に、彼が抱いたものと同じ問いをつきつける」っての、ホントにその通りですよ。

ところで、新聞は地域の販売店さんと契約して購読していますが、半年ごとに直接訪問されて契約更新のハンコを押すのがとても面倒です。醤油とか洗剤とか要らないのでネットでの直接購読契約みたいにできないかなと思うんですけど、こういうところにも地域の販売店さんなりの事情がからんでいるんでしょうね。上記のマンガには販売店にまつわるいわゆる「押し紙」についても一話が割かれています。いろんな側面で新聞ってのは古いメディアなんだなと思います。

母音の発声について

先日、謡のお稽古をしている際、師匠から「音程が上がったときの母音、特に『あ』の段が汚くなるので気をつけてください」と言われました。「以前よりもずいぶんきれいになりましたが、もう少し『引いて』丁寧に。でも声を小さくするわけではないですよ」とも。

謡には「上・中・下」などの音程があります。もちろん実際にはもっともっと複雑ですし、曲によっても多彩な様相がありますが、初心者の我々がまず気がつくのは「高い音・中くらいの音・低い音」というのがあるんだな、ということ。でもこの音程は、西洋音楽のように絶対的に決まっているものではなく、その場で謡に参加しているメンバーとの間で音程のすり合わせが行われて決まります。このその場限りの「インタラクション」が、謡の面白さのひとつではないでしょうか。

で、私の場合、この「上の音」へ上がるときに、音程が上がるぶん必死になって発声するからでしょう、やや声を張り上げるような、がなりたてるような音が入って「汚い」印象になるようです。音程が上がって確かに曲想的にも高揚するわけですが、だからこそ逆に「引いて」丁寧さと冷静さをもち、抑制的であらねばならない。けれど決して弱々しくなってはいけない……能楽にはしばしばこうした、一見相矛盾するような枠組みというか世界観が登場します。

特に「あ」の段にそれが顕著なのは、ひょっとすると中国語の発音を訓練したからかもしれないと思いました。中国語に限らず、どんな言語の訓練でも同じかもしれませんが、初歩の発音を習得している段階では、日本語の発音とは違う口や唇や舌などの使い方を繰り返し練習します。中国語の母音“a”は日本語の「あ」よりもずっと大きく縦に口を開けて、はっきりくっきり発音する……というぐあいに。

実際の中国語母語話者がそんなに口を縦に開けて母音の“a”を発音しているわけではないのですが、私達外国人が初手から中国語母語話者を真似ても習得はおぼつかないので、最初は大げさにやるわけです。

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じゃんぽ~る西氏の『パリ、愛してるぜ〜』より。


そうしたら、一緒にお稽古をしていたお弟子さんのひとりが、こんなことを教えてくださいました。この方は声楽関係のお仕事をされているプロの方です。いわく……

西洋音楽の声楽でも、以前は口を縦にできるだけ大きく開けて母音の『あ』なり“a”なりを発声するよう指導されていた。西洋人が大きく口を開けているように見えたからだ。ところが、実際には顎を落として口を大きく開けているというよりも、唇全体を大きく開けていることがわかってきた。顎が落ちると指摘されたような汚い音になりやすい。そこで現在では顎は大きく開かないような指導が行われている。

とにかく口を大きく開けて……という指導は、いわば野球などでの「ウサギ跳び」みたいな、現在では否定されつつある訓練だと、概略そんなお話でした。

なるほど~。西洋音楽と声楽と能楽の謡はぜんぜん違う世界ですが、そういう違う世界や分野の様々な知見を集めてああでもないこうでもないと「揉む」場面に接するのはとても興味深いです。そして、業界でなかば「常識」となっている知識についても、つねに疑ってかかるスタンスが必要だなとも思ったのでした。

なにこれ。もっとやらせてくれ。

肩こりと腰痛の予防、それに不定愁訴の軽減を目的にトレーニングに通いだしてほぼ一年。最初は体幹レーニングや体のバランス調整的なメニュー中心だったのですが、途中からトレーナーさんの勧めもあって筋トレをメニューに加えました。長年腰の治療でお世話になっているカイロプラクティックの先生からも、「ある程度筋肉があったほうが、腰椎に直接負担をかけすぎない(筋肉でサポートできる)という意味で腰痛になりにくいですよ」とも言われていたので、これは渡りに船だなと思って。

最初は「筋トレ」に対して「マッチョ」とか「ボディビル」とか「ピチピチタンクトップにタンニングマシンで黒々と焼いたテカテカの肌」みたいなイメージがあって(どんだけ偏ってるんだか)、ちょっと尻込みしていたんですけど、今ではすっかり楽しくなり、毎回嬉々としてダンベルやバーベルに向き合っています。

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https://www.irasutoya.com/2013/03/blog-post_9904.html

筋トレ、特にベンチプレスのように比較的ハードなものは、たしかにきつくはあるのですが、そのぶん一種の爽快感があります。自分なりに実感できている爽快感は主に次の三つです。

他のことを考える余地がない

ベンチプレスなど「重量に直接向き合う系」の筋トレは、少なくともそれに取り組んでいる間は他のことを考える余裕がありません。トレーナーさんが常にギリギリの荷重を設定してくれるからです。たとえば12回を3セット挙げる場合、その合計36回でぎりぎり挙げきれるかどうか、最後の数回はほとんどムリ、というくらいの荷重に設定されます。

常にギリギリの状態で上げているので、全神経をそこに集中させており、他のこと、たとえば仕事の進捗や人間関係など、煩わしいことは一切考えられないのです。こういう状態はなかなか自分一人で作り出すことは難しい。トレーナーさんがいて、その指示で動いているからこそそこまで自分を追い込めるのだと思います。

この歳になって成長を実感できる

私はベンチプレスを20kgからはじめました。20kgというのは単にバー(鉄棒)だけで左右にウェイトはついていない状態。最初から3セット挙がりはしましたが、それでも「けっこうきついな」という感じでした。

それが先日は40kgまできました。ベンチプレスの40kgといえば、私くらいの体重の初心者が平均的に挙げられるとされている荷重で、それほど大したことはありません。

www.bestbody-navi.com

それでも、20kgのバーだけだったところから40kgまで荷重を倍に伸ばしてきたわけです。私くらいの中壮年層になると体力の衰えを感じ、若い頃にはできていたあれこれがだんだんできなくなっていく、普通にできたことができなくなっていく……という「イベント」が次々に現れます。

そんななか、逆に何かがどんどんできるようになっていく、成長を感じることができるというのは、とても嬉しいことです。もちろんそれは語学でも楽器でも何でもよいのですが、筋トレは荷重のkg数というシンプルな指標がどんどん伸びていくので、その成長を実感しやすいですし、他ではなかなか得難い喜びだと思います。

メンタル面も鍛えられる

これはトレーナーさんの存在が大きいのですが、プロのトレーナーさんはとにかく「さり気なくハードルを上げてくるのがうまい」。こちらがギリギリ挙げられる荷重をセットし、少し無理そうなら補助を入れたり、回数を減らしたり、荷重を数kg落としたり、逆に余裕をかましていると、すかさず荷重を上げたり、「はい、あともう1セット!」などと追加してくれたりします。

しかもこの「重量に直接向き合う系」は、途中で邪念が入って「ああ、だめだ」と思った途端に本当に挙がらなくなるんですよね。これがもう、見事なくらい「カクッ」と挙げられなくなる。それを避けるために、一度そのセットを始めたら、躊躇しない、挙げられるだろうかという疑念を差し挟まないというマインドセットが大切なんです。

単に「気合い」と言ってもいいんでしょうけど、もう少し地に足がついた感じというか、静かな闘志というか、自分の気持ちをそういうところに持っていくマインドセットを養うことができるような気がします。こういうのって、仕事にも活かせるんじゃないかなあと。

以前Twitterで拝見したこちらのツイートのように「なにこれ。もっとやらせてくれ」ですよ、筋トレって。

togetter.com

思いがけずかなった墓参

今年の二月に、こんなエントリを書きました。昔とてもお世話になった、今は亡き画家ご夫婦の思い出です。

qianchong.hatenablog.com

「先生の墓所も知らない私のささやかな夢は、いつかアッシジに行ってこの風景を探し出し、そこで受験時の『背叛』をおわびして、同時に『ありがとうございました』と言うことです」。こうエントリを結んで半年あまり、アッシジに行く前になんと、先生のご親戚の方からブログにコメントを頂きました。ネットで偶然、私のエントリにたどり着かれたのだそうです。そして、そのご縁で墓参を果たすことができました。まさに望外の喜びです。

私は東京でエスプレッソコーヒーの粉を買い、さらに墓所に近い神戸のフロインドリーブでパンを買ってから霊園に向かいました。

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先生ご夫妻はイタリアで長く暮らされたためか、エスプレッソコーヒーがお好きでした。ご自宅にはビアレッティ(Bialetti)のモカエクスプレスがあって*1、小さなデミタスカップに砂糖を何杯も入れて飲んでいました。

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でも当時はエスプレッソ専用の粉がなかなか手に入らず、先生ご夫妻は深入りしたコーヒー豆をできるだけ細かく挽いてもらうとおっしゃっていました。それで私が、あれは受験で東京へ行ったときだったかに、青山の紀ノ国屋*2でラバッツァ(Lavazza)のエスプレッソ粉を買ってきて先生ご夫妻に差し上げたら、たいそう喜んでくださいました。その後も何度か差し上げたような記憶があります。それで今回の墓参にもエスプレッソ粉を持参したのでした。

フロインドリーブのパンも先生ご夫妻には欠かせないアイテムでした。特に「ライ・ロール」と「グラハム・ロール」という食事用のパンがお好きで、「いつもまとめて買っている」とおっしゃっていました。当時のロールは細長い小型の円柱状だったと記憶していますが、今はもう作っていないようでした。それで今回は丸い形の「ライ・ロール」と「グラハム・ロール」、それに「ポンパニッケル」を買い求めて持参しました。

墓所は神戸の街と海を望む、見晴らしのよい高台にありました。あいにくの雨模様でしたが、お花を手向け、お線香をあげ、エスプレッソ粉とパンを供えて、往年のご指導とご縁に感謝の祈りを捧げました。

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ところで、今回の墓参にあたって、かつて私が通っていた絵画教室の場所をグーグルマップで探してみました。それはとある駅前にある古い団地の集会所だったのですが、航空写真で見る限り同じ団地がまだ残っているようでした。それで実際に行ってみたところ……

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なんと、その集会所まで残っていました! 記憶はおぼろげですけど、確かにこの建物です。母親に連れられた私は、ここで先生ご夫妻と初めてお目にかかったのでした。懐かしさが匂い立ちます。先生が「次回からは親御さんはついて来ずに、お子さんお一人で通わせてください」とおっしゃったことも思い出しました。先生ご夫妻はとても自律と自立を重んじる、優しくも厳しい方でした。

ご縁に感謝するとともに、あらためてネットの力に驚嘆しています。

*1:イタリアで昔から使われている定番の直火式エスプレッソメーカーですね。確かちょうどその頃、1979年に発表されたアレッシィ(Alessi)の9090という直線的デザインのエスプレッソメーカーが日本にも入ってきていました。でも先生が「モダンすぎるよね。やっぱりエスプレッソはビアレッティのこれじゃなきゃ」とおっしゃっていたのも覚えています。

*2:現在は青山Aoの地下に入っているスーパーです。もともとはあの場所にあった二階建ての高級スーパーでした。カルディみたいな輸入食品店がまだほとんどなかった時代で、広尾のナショナルスーパーマーケットと並んで異国を感じる憧れの場所でした。油圧式の超スローなエレベーターがあって、あれは食料品にダメージを与えないためだ、などといった「伝説」のあるスーパーでした。

同調圧力から逃れるためのメンター

鴻上尚史氏による人生相談を読みました。帰国子女のお子さんが学校のクラスで浮いた存在になっていると悩むお母さんの悩みに答えたものです。

dot.asahi.com

鴻上氏は「同調圧力の強さと自尊意識の低さが日本の宿痾」と喝破した上で、とても現実的な解決策を提案します。その策のいずれも、ご本人たちのある程度の忍耐と努力を必要とするものでした。私は、確かに現実的にはそうやって粘り強く「たたかって」いかなければならないよなあ、と思いつつも、そんな「たたかい」を必要としない社会にして行かなければならないよなあ、とも思ったのでした。

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https://www.irasutoya.com/2017/02/blog-post_57.html

日本における同調圧力の強さについては、日々色々な場面で痛感することしきりです。そして自分はそうした圧力から常に自由でありたい、逃れ続けていたいと思ってきた人間ですが、それでも知らず知らずのうちに同調圧力に屈していたり、時には自らその圧力に荷担していたりすることがままあって(特に教育という場に身をおいていると)、ちょくちょく「あ、いかんいかん」と軌道修正しています。

私が同調圧力から逃れるために、あるいは同調圧力を極力客観視できるようにするためのに「メンター(恩師・導く者といったような意味です)」としているは中国語圏の人々です。

中国語圏の社会にだってもちろん同調圧力のようなものはありますが、みなさん基本「あんまり気にしてない」。“蘿蔔青菜各有所好(蓼食う虫も好き好き)”、“上有政策下有對策(上に政策あれば下に対策あり)”、よそはよそ、うちはうち。人と違っても気にしないし、自分と違う感覚の人がいてもあまり関知しないのです。まあ中国語圏以外だって同様かもしれませんけど。

天津に留学していたころ、夏の暑い盛りには“膀爺”をよく見かけました。上半身裸で往来を闊歩しているおじさん(主に)です。海外では「北京ビキニ」などと称され、上半身全部脱いじゃう方以外に、シャツをたくし上げてお腹の部分だけ出してるおじさん(主に)も。「暑けりゃ、脱ぐ! それが何か?」というこのフリーダム。

“蹭涼族”という言葉もあります。“蹭”は「ちゃっかりもらっちゃう」みたいな意味で、デパートの扇風機やエアコン売り場とか、銀行とかコンビニとかに、涼むためだけに居座っちゃってる方々です。「暑けりゃ、涼む! 何か文句ある?」と。基本、他人が自分のことをどう思うかなんてあんまり気にしないんですね。

まあ日本にだって、家電量販店のマッサージ機に陣取ってるおじさんやおばさんは出没しますし、スーパーなどで少しでも製造年月日の新しい食品を取ろうと棚の奥に手を突っ込んで書き出している「ごうつくばり」さんはいますけど。

qianchong.hatenablog.com

それはさておき、最近私が「日本は特に同調圧力が高い社会なのかな」と感じたのは、とある公共交通機関におけるマナー広告を巡ってでした。一時期話題になったこの広告、中国語圏からの留学生はどう感じるのかなと思って、意見を聞いてみたのです。

youtu.be

特に後半の「電車内で化粧」については、ほとんどの留学生が「別に何も……」でした。「まあそういう人もいるのかな、という感じ」。これだけ価値観が多様化している現代の、特に大勢の人間が暮らしている大都会であれば、いろいろな人がいて当然だし、いちいち気にしたりしない……と。

むしろ「あんなに揺れている車内で、よくアイシャドーなど塗れるなと感心する」といった意見もあり、また「そもそも自分の国にいるときはメイクなんてほとんどしなかった。日本に来て、周りの方がみんなメイクしているので私も少しは、と思った」という、日本における新たな同調圧力の存在を教えてもらったりもしました。

そうなんですよね。中国語圏を旅していて気持ちが楽なのは、外見が現地の方とそれほど違わないので溶け込んでしまうことができ、誰も私のことなんて気にしてない(だからこっちも気にしない)という開放感です。まるで透明人間になったような感じとでもいうか。もちろん人様の国ですから「旅の恥はかき捨て」的な無礼はないよう心がけていますが、日本にいると常時まとわりついてくるような同調圧力を感じないのです。

まあそれは旅行者や留学生という一種の特殊な身分だからかもしれません。現地の社会に溶け込んで仕事や生活をするようになればなったで、また日本とは違う種類の同調圧力がかかるのかもしれません。それでも、彼の地の人々の“我行我素(他人がどうあれ私は私のしたいようにする)”という基本的な人生観には学ぶべきところがあるのではないかと思うのです。

もちろん、それが行き過ぎれば社会は秩序を失います。たとえば、中国語圏の留学生が異口同音に言う「日本は街がきれいです」というの、中国語圏のあちこちを見てきた目からすればまあその通りかなと思います。日本にだって「ポイ捨て」やら「歩きタバコ」やら公徳心の乏しい人はたくさんいますけど、それでも日本の往来はかなりキレイですし、社会の秩序も治安もそこそこ高い水準に保たれていると言えるでしょう。これは同調圧力の強い日本だからこそという側面もあるのかもしれません。

放っておけば人々が自分勝手に動いて秩序が乱れるので、たとえば大通りには横断を阻止するために延々フェンスを設置するとか、公共交通機関では入口と出口を別々に設けるとか、そうしたインフラへの支出がなくて済むのは、その秩序が人々の自発的な意思、あるいは相互監視(=同調圧力)によってある一定のレベル以上に保たれているからではないでしょうか。

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市中心屡屡上演跨栏秀 谁之过? - 草根播报

私はそうした日本のあり方も好ましく思う人間ですが、その一方で鴻上尚史氏が宿痾と指摘する同調圧力の高さも問題だなと思います。個々人が自立や自律を尊ぶ矜持と公徳心を保ちつつ、他人の行動や生き方には過度に干渉しないという、その「落とし所」はどのあたりなんでしょうか。

追記

鴻上尚史氏の人生相談、今週も「同調圧力」に絡む内容でした。

headlines.yahoo.co.jp

同調圧力の最も強いもののひとつが「世間」です。田舎になればなるほど、高齢者になればなるほど「世間」を強く感じます。つまりは、同調圧力が強まり、逆らえなくなるのです。

これは……。かつて田舎に憧れて移住して、結局あれこれあって東京に舞い戻ってきて、なおかつ自らが高齢者に近づきつつある私としては、ずしんと胸に響く記事です。同調圧力との「たたかい」は、よほど腰を据えてかからねばならないようですね。

笑顔訓練の必要

国や地域、年齢、性別やジェンダーを問わず、笑顔が魅力的な方に出会うことがあります。そんな方に接すると、こちらの気持ちまでほぐれていくのがよく分かります。「笑顔が魅力的」だなんて当たり前すぎるくらいの陳腐な形容ですが、なかなかどうして、これは一種の才能、それも天賦の才能ではないでしょうか。

実のところ私、これまでに笑顔に関する本を何冊も読みました。たぶん十冊はくだらないのではないかと思います。Amazonで「笑顔」を検索してみるとわかりますけど、「笑顔本」ってたくさん出版されているんですよ。それでも私はいまだに笑顔を獲得できていません。自分の性格の成せるわざかもしれませんが、これにはもう一つ理由があって、私の顔面は笑みを作りにくいのです。

昨年亡くなってしまいましたが、義父、つまり細君のお父さんと同居している頃、仕事でもプライベートでも色々と困難な局面があり、そこにすでに認知症が始まっていたお義父さんとのあれこれが重なったからでしょう、私は顔面神経麻痺を発症してしまいました。ベル麻痺という症状です。この症状はストレスなどで体力が低下している時に、ウィルスの感染によって引き起こされると考えられています。

qianchong.hatenablog.com
ベル麻痺 - Wikipedia

ベル麻痺の年間罹患率は10万人あたり20人と言われています。それほど珍しい症状ではなく、完治率も高いのですが、私は処置が遅れたためか、結局後遺症が残ってしまいました。左側の頬から口元にかけて、自由に動かすことができなくなったのです。

今では外見的にはほとんどわからないくらいになっていますが、意外なところに生活上の支障が出ました。幸い「商売道具」である言語の発声には影響しませんでした(表情筋と発話のための筋肉は異なるのだそうです)が、口笛が吹けなくなった。ストローで吸えなくなった。麺類をすすれなくなった。時々食べこぼしてしまう……等々。でもこんなのは大した支障ではありません。本当に残念なのは笑顔が作れなくなったことです。

笑顔を作るというのは畢竟「口角を上げること」です。上記の「笑顔本」でも、鏡に向かい、口角を上げる練習をするために割り箸を口にくわえるなど様々な方法が紹介されています。

でも私は左側の口角がほとんど上がらないので、本心ではどんなに笑っていても、外見的にはあまり笑顔に見えないのです。顔の左側が「素」のままなので、右側だけいくら口角を上げても、まぶしそうな顔になるか、せいぜいニヒルな笑い、よく言って照れ笑いにしかなりません。周りも、そして自分自身も明るくなることができるような自然な笑顔は、もう一生作れないでしょう。

もっと笑っておけばよかった、笑顔を作っておけばよかったと思います。単なる外見にすぎないとはいえ、やっぱり人を和ませる笑顔は歴然と存在するのです。笑顔が素敵な方に出会うたび、そう思います。

……とはいえ。笑顔はひとりひとり違うもの。そして表面的に作った笑顔(いわゆる「営業スマイル」など)と心からの笑顔は別物だとも思います。こうなった以上、私は私で、私なりの笑顔を作ればいいのでしょうか。もう一度鏡に向かい、訓練をしてみようかなと思います。

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https://www.irasutoya.com/2017/08/blog-post_325.html

しまじまの旅 たびたびの旅 82 ……たこ焼きとカンテ・グランデ

子供の頃と浪人生時代に住んでいた大阪には、思い出の場所がたくさんあります。まずはたこ焼きの「うまい屋」さん。天神橋筋の商店街にあるこのお店は、いたって庶民的なたこ焼き(+夏にはかき氷なども)屋さん。ここも「自由軒」同様、たこ焼きをつまみにビールを飲んでいるおじさんがいたりします。私は「バヤリース」のオレンジジュースとたこ焼きにしました。

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こちらのたこ焼きは、ソースや青海苔や鰹節やマヨネーズなどが一切かかっていないのが特徴で、出汁味だけで食べるたこ焼きです。物足らない向きにはテーブルにソースの容器が用意されています。

「うまい屋」から中津に移動して、「カンテ・グランデ」。大阪では有名なインド風(というか無国籍エスニック風)カフェです。大阪市内にいくつか支店がありますが、中津のこのお店が本店。もともとはオーナーさんのご自宅を改装してカフェにしていらして、当時私も足繁く通っていたのですが、その後ご自宅の敷地はマンションになり、カフェはその地下に移りました。

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地下といっても緑あふれるパティオみたいなのがあって、店内はとても明るくゆったりとした雰囲気です。周りは小学校や神社以外特に何もない普通の住宅地なんですけど、そこにこんなある種の異空間があるのが面白い。

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カンテといえば、インド風ミルクティーの「チャイ」。スパイスの入ったチャイと、これも何十年も前からの定番「ゴータマ・ショコラ(チョコレートケーキです)」を注文しました。懐かしいです。

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昔よく聞いたシンガーソングライターの友部正人氏にはその名もずばり「カンテ・グランデ」というアルバムがあります。「君はこんな言い方嫌かもしれないけど」とか「ルナ・ダンス」とか、これもまた懐かしいです。

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引き続きミナミに移動して、なんばグランド花月横の有名なたこ焼き屋さん「わなか」。一番大阪らしい、定番のたこ焼きじゃないでしょうか。色々トッピングもありますが、定番中の定番、ソース・青のり・鰹節にマヨネーズもかけてもらいました(マヨネーズは邪道かな?)。

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……しかし。

ここまで「はしご」して、ふと思いました。せっかく久しぶりで大阪へやってきたというのに、結局昔の思い出めぐりばかりしていますね、私。まるですでに人生をあらかた走りつくし、生涯を回顧しはじめた老翁のようではありませんか。これではいけません。そうだ、「大阪へやってきた」というのも友部正人の歌にありました……おっと、また回顧に走っていますね。

しまじまの旅 たびたびの旅 81 ……京都の春巻と大阪のカレー

小学生の頃、京都市大阪市のちょうど中間あたりにある枚方(ひらかた)市に住んでいました。家族で出かけることが大好きだった両親は京都・大阪・奈良の様々な場所に連れて行ってくれたのですが、子供だったせいか、神社仏閣はさておき、あちこちで食べた「おいしいもん」の印象が深いです。

今回、京都では「ハマムラ」さんに行ってみました。昔からある広東料理、といっても京都風のあっさり味が特徴の中華料理店です。先般読んだ姜尚美氏の『京都の中華』でも紹介されていました。


京都の中華

現在は場所が変わっているこのお店、子供の頃に一度連れてきてもらったような記憶があるのですが、定かではありません。ただこの「ハマムラ」という文字を使った横顔のロゴマークが強烈で、よく覚えているのです。

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https://kyoto-chuka-hamamura.owst.jp/

ハマムラさんでは「春巻き」と「豚天」と「からしそば」を食べました。いずれもこのお店の名物です。

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この春巻きが食べたかったのです〜。餡は筍をはじめとした野菜が中心で、京都中華の名の通り、極めてあっさりした味わい。このお店に限らず、関西の中華料理店の春巻きはこういうスタイルもよく見られます。子供の頃、法事か何かで親戚一同が集まると大概中華料理店のお座敷で食事になって、大きくて赤い円形テーブルにこの春巻きが並んでいました。酢や醤油で食べてもいいけど、塩胡椒をつけて食べるのもいいんですよね。

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豚天(豚肉の天麩羅)も、分厚いお肉ながら柔らかくて美味しいです〜。しかもさすが関西、味が薄くて本当に助かります。

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からしそばは「あんかけ焼きそば」ふうなんですけど、あんにほんのり芥子の風味がついているのです。麺も独特の食感で、全体はもちろん薄味です。東京で外食をすると、ほとんどの場合私には塩辛すぎるので、京都のこうした中華、本当に魅力的です。

大阪は浪人生時代に予備校へ通っていた場所なので、かなり土地勘があります。……が、それでも数十年経っていますから、当然かなり風景は変わっていました。特に梅田の阪急百貨店のあたり。大阪では、なんばの自由軒に行きました。ここも親に連れてきてもらったお店です。

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ここは織田作之助が愛したお店というふれこみで、カレーとご飯をあらかじめ混ぜ、上に生卵をのっけたものが名物です。ソースを回しかけて、全体をよくかき混ぜて食べるという……。

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このカレーを「おつまみ」にビールを飲んでいるおじさんがいたりして、店内はいたって庶民的。中国語圏からと思しき観光客の方も数組お見かけしました。

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道頓堀でポロシャツを買ったお店の店員さんに聞いたのですが、最近はお店の売り上げの約半分が中国語圏からの観光客によるものだそう。その言葉を裏づけるように、心斎橋からミナミにかけて、さまざまな地方の中国語が飛び交っていました。

しまじまの旅 たびたびの旅 80 ……夏の終わりの京都

所用で関西地方に行くことになり、せっかくなので京都で一泊してみました。仕事以外で京都に来るのは、十数年ぶりです。夏の終わりの京都は、ある意味「季節はずれ」にあたるらしく、観光客は比較的少ないそう。それでも有名な観光地にはやはり大勢の方が。外国からと思しき方々も数多く見られました。

というわけで、まああまり時間もないこともあり、有名観光地は全部パスして超有名な知恩院……のとなりの青蓮院に行きました。タクシーの運転手さんは「青蓮院? 渋っ!」と笑っていました。

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運転手さんに渋いと言われるだけあって、あまり観光客がいません。まあ確かに、お庭と建物以外はそれほど見るものがない(失礼)のです。でもここのお庭、実はJRの「そうだ、京都行こう」のポスターに使われたこともあるんだそうですよ。

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http://recommend.jr-central.co.jp/others/museum/kyoto/summer_1995_01.html

確かに、畳に正座して庭を眺めていると、それほど暑さを感じませんでした。

お宿も、せっかくなのでホテルじゃなくて京都らしい和風の旅館にしてみました。

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京都の町屋は奥行きが深くて、途中に小さな中庭があったりして、でもって鈴虫が鳴いていたりして、なかなかいいですねえ。

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夕飯に思いがけず、鮎が出ました。この夏一番最後の鮎だそうです。竹の葉でいぶすというのが何とも京都らしくてすてきです。

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どの料理もさすが京都らしくかなり薄味で、ホント、底力がすごいな〜と感嘆することしきりでした。

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旅館の共用スペースには、ハンス・ウェグナーのベア・チェアや、フィン・ユールのイージー・チェアなんかがさりげなく置いてあったりして、これもすてきです。うれしくて、はしたないけど、ひとつひとつ座ってまわりました。

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qianchong.hatenablog.com

踏みとどまって引き返す

節酒つながりで、小田嶋隆氏の『上を向いてアルコール』を読みました。


上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

小田嶋隆氏については、以前のご著書も何冊か読み、日経ビジネスオンラインでの氏のコラムには毎回膝を打ち、氏が講師を務める文章講座にも通ったことがあって*1、まあ何というか、私は氏の文章のファンなのですが、今回ばかりはちょっと「引き」ました。

いえ、氏の筆致は、むしろこれまでの著作やコラムよりもぐんと和らぎ、アルコール依存とネット依存の類似性について述べた最終章はやはり炯眼だなあと思ったのです。ですが、なにせ「アル中」でいらした時期の行動がちょっととんでもない。まさに「ドン引き」というやつです。アルコールと体質、それに精神がある不幸な出会いなりマッチングなりをしてしまうと、こうなっちゃうのか……と、引きながらも引き込まれました。

私も若い頃、特に大学に通っていた頃は、お酒がらみでいろいろ「やらかし」たものですが、それでも私の「やらかし」はカワイイもんだったというか、ほとんど人畜無害だったと思います。小田嶋氏のこの「告白」を前にしては。

それでも、私にだってそれなりに暴飲を重ねてきた数十年の歴史があります。あのまま暴飲を続けていたら、じきに肝臓をはじめとする臓器をやられ、その影響が身体全体に及び、ひいては精神まで病んでいたかもしれません。節酒という段階ではありますが、ここで引き返しておいてよかったと思った次第です。

もっとも、私が引き返したのはおそらく加齢の結果「もう飲めなくなった」からで、心身をやられるより前に、自分の一生分の飲酒量という貯金を使い果たしたという感じなのでしょう。でも、これは牽強付会でしょうけど、この年代で「引き返す」ことができるかどうかって、老後のQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)に大きく関わってくるような気がします。

レーニングを始めてもうすぐ一年。あそこで身体の不調に音を上げて自発的に身体を動かし始めていなかったら、きっと老後に到るまでこのレベルのハードな運動をする気力や体力をふるう勇気は失われていたかもしれません。そうなればあとはもう老化まで一直線、いや急降下です。

そういう意味で、それまでの人生と今後の人生を慣性の法則に任せたままにするのではなく、踏みとどまって引き返す、あるいは大きく方向転換できるかどうかというのが、この年代の私たちにとって死活的に大切なのではないかと感じています。

いや、これは何も飲酒や食生活、運動などに限らないですね。それまでに蓄積してきた知識や常識、あるいは経験値の見直しないしは刷新も必要で、それが「老害」へと到らないための小径(うっかりすると見落としかねないという意味で)なのかもしれません。

*1:参加者全員に小田嶋氏から毎回短いコメントを頂戴できるというのが特典の講座でしたが、私はここで、自分がいかに文才のない人間であるかを痛いほど思い知らされることになりました。

節酒を続けていられる理由

今年の夏はあれこれの用事も含めて都合三週間も台湾に滞在していたのですが、最初と最後の日を除いて三週間ほとんどお酒を飲みませんでした。

根っからのお酒好きで、以前はほぼ毎日晩酌を欠かさず、ひと晩にワインを二本以上空けても(それも一人で!)平気で、あまつさえお酒に関する資格まで取ってしまった私からすれば、夏に、南の島で、明日は仕事の予定が入っていないというシチュエーションでお酒を飲まないなど、数年前までは絶対に考えられないことでした。

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https://www.irasutoya.com/2017/12/blog-post_88.html

とはいえ、こうなるまでには色々な伏線がありました。

まずは「天命を知る歳」を過ぎてからの、男性版更年期障害とでも言うべき不定愁訴です。あまりにつらいので、食生活を見直し、週に二回から三回の定期的なパーソナルトレーニングを始めました。それと同時に節酒にも取り組んでみたのです。

食事の質+量の調整と、体幹レーニングと筋トレを中心にした運動はもう一年近く続いています。おかげでまず肩凝りが全くなくなり、次に午後の倦怠感と膨満感が薄れ、腰痛も起こりにくくなりました。全体的には以前よりとても健康になったと思います。それでも節酒だけは実現できていませんでした。

ところが。

ここ二ヶ月ほど、週末を除いてほとんどお酒を飲まないようになりました。私は昼間からお酒を飲まずにはいられないといったような「アル中」ではない(と思う)のですが、夜の食事にお酒がないのは味気なくて、以前は最低でも必ずビールは飲んでいました。「飲まないと今日の労働が報われない」とか何とか、ごたいそうなことを言って。

それがあるとき、炭酸入りの梅酒(ウメッシュ)でもほぼ満足できることを発見しました(と言うほどのことではありませんが)。さらにウメッシュは甘すぎるので、これをスパークリング・ミネラルウォーターに変え、それでもほとんど飲酒欲は消えるようになりました。

どうやら私は、炭酸の泡さえあれば、それだけで「夜の食事の味気なさ」を克服できるくらい単純な人間だったようです。別にビールじゃなくてもよかったわけです。

お酒を(ほとんど)やめて変わったこと

まず、当たり前かもしれませんが、体調がすこぶるよいです。お酒を飲んだ次の日の朝の、あの何ともどんよりとした心と身体が全くなくなりました。そして、長年(もう何十年間もです)そこはかとない痒みに苛まされ、それでも軽症なので何とか騙し騙しつきあってきたアトピーと頭皮湿疹がかなり軽快したのです。

とくに今回、三週間台湾にいるうちに、アトピーと頭皮湿疹は全くなくなりました。残念ながら東京に戻って少々「復活」してしまったのですが、なるほど私のアトピーや頭皮湿疹は、気候風土や水や食べ物、東京のストレスフルな環境、そして何よりお酒が主因だったのですね。

それともうひとつ、夜の時間が長くなりました。以前お酒を浴びるように飲んでいた頃は、飲んでしまうともう大したことはできませんでした。本を読むのも億劫だし、SNSに向かうのも危険(酔った勢いでとんでもないことや、かなり恥ずかしいことを書き込んでしまうから)。まあせいぜいマンガをぱらぱらめくるか、テレビを見る程度です。それがお酒を飲まなければまるまる読書や文章書きや家族との会話に使えるのです(この文章もお酒を飲まなかった夜に書いています)。

そして、節酒をある程度続けていると、この爽快な状態を維持したくて、お酒を飲んでしまうのが何だかもったいなく思えてくるのです。ここまで来てしまうと(習慣化してしまうと)かなり楽です。

台湾で節酒や禁酒がやりやすいわけ

台湾、それも離島にいるときはバイクのレンタルが必須です。公共交通機関が乏しいか全くないので、バイクがなければほとんど何もできません(運転手を雇うようなセレブは別ですが)。街にバイクで出て食事をしても、またバイクで宿まで帰らなければなりません。それもお酒を飲まない(飲めない)一つの理由です。飲酒運転なんて、それも人様の国で法を犯してまでなんて、論外ですからね。

それに、台湾の皆さんは夕飯時にもお酒を飲まない人が多いんです。あ、もちろん飲む人はがんがん飲むんですけど、屋台や食堂やレストランで夕飯を食べていても、よく観察してみるとお酒が並んでいないテーブルは多いです。会社の接待なんかだと別ですが(私もかつて死ぬほど飲まされました)、家族で食事されている方など、お酒を飲まない方は意外に多い。

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じゃあ何を飲んでいるのかというと、甘いお茶やジュースなんかのペットボトルを食堂の冷蔵庫から取ってきて飲んでいるんですね。台湾の食堂やレストランではこういう、飲み物はセルフサービスで取ってね、というお店が多いです。

以前は、せっかくの美味しい台湾料理なのに、あんな甘ったるい飲み物ではもったいないな、などと思っていました。それがここへ来て「これも結構アリ」に思えてきたのですから、ホントに人生、何が起こるか分かりません。

なんというかな、台湾の、それも夏のちょっとまだ昼間の暑さが残っているような、それでも夜風が心地よい夕刻に、極めてあっさり薄味の台湾料理に合わせる甘い飲み物がやけに優しくて、身体に沁みるのです。もちろん熱いお茶でもいいんですけど、ほの甘麦茶とかグァバジュースなんかがなぜか沁みるの。

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あとこれは私だけの感覚かもしれないけど、台湾のお酒屋さん(「菸酒店」といってタバコとお酒を売っている専門店みたいなの)って、ちょっと独特の雰囲気なんですよね。コンビニは別ですが、専売店は何とも形容しがたい、一種独特の不健康かつ奢侈感満載の雰囲気(失礼)があって、あまりお酒に食指が動かないのです*1

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台北・林森北路付近、酒屋さん脇の路地。「五木大学*2」とも言われるこの辺りは日本人向けの飲み屋さんが多いです。

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▲澎湖・馬公市の高級ショッピングセンター「Pier3三號港」のウィスキー売り場。免税店も兼ねているので、富裕層向け(?)かウィスキー博物館が併設されていました。

……とまあ、そんなこんなで、台湾から戻っても節酒(断酒じゃないです)生活、続いています。次なる課題は、せっかく平日は完全にお酒を断っているんだから、週末くらい……とお高いブルゴーニュあたりのプルミエ・クリュとかグラン・クリュなんかを衝動買いしそうになる欲望を抑えることです。

*1:台湾のドラマを見ていると、登場人物がお酒を飲むシーンでは「飲み過ぎに注意しましょう」的なテロップが入っていることがあります。お酒についての節制は、少なくとも政府の方針としては日本よりよほど強いものを感じます。

*2:林森だから「五木」。また五木大学で学ぼうぜ、などと誘われたりしました。今ではもう死語かしら。

高級瓶詰めウニを炒める

山口県産の、とても上等な瓶入りの塩ウニを頂きました。小さな瓶ひとつで数千円もする高級品です。ウニは大好きなのでとっても嬉しいんですけど……正直言いまして、あのエチルアルコールの香りが少々苦手です。封を開けて一口食べてみたんですけど「やっぱり、だめ〜」。

というわけで、台湾で食べた「海膽炒蛋」にヒントを得て、ひと瓶丸ごと卵と一緒に炒めてみることにしました(ごめんなさい)。「海膽炒蛋」はその名の通り、生ウニを卵と一緒に炒めてスクランブル状、あるいはオムレツ状にしたものです。こちらは澎湖小門嶼の食堂で食べたもの。

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こちらは澎湖七美嶼の港で食べたもの。ケチャップが添えられています。

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卵に混ぜて、ネギのみじん切りも足して、塩ウニに塩分があるので味つけは全くせずに炒めてみました。結果、アルコールがほどよく飛んだのか、すごくおいしかったです。

それにしても、高級瓶詰めウニを炒めるなど、生産者の方々からすれば噴飯ものかしら……と思ったのですが、試みにネットを検索してみると、当の生産者である「山口県うに協同組合」のウェブサイトで「瓶詰めうにを使った料理レシピコンテスト」というのが開催されており、みなさん既にばんばん炒めちゃってました。

https://uni.or.jp/unirecipe/

ここだけの話、やはりみなさんもあのエチルアルコールの香りはいかがなものか、と思ってらっしゃるんじゃないかなあ。あと、どうでもいいことですけど、塩ウニの瓶って、ガラスがものすごく分厚くて、瓶の外観のわりにはちょっとしか入ってないですよね。それでもガラスによる屈折のせいか、外観からは瓶いっぱいに入っているように見えるんですよね。

……みみっちい話で失礼いたしました。

追記

Twitterでこんなレシピを教えていただきました。

なるほど〜、もうひと瓶「うにさざえ」があるので、さっそくやってみたいと思います。こうしてみると、瓶詰めのウニは「そのまま(お酒のおつまみなどとして)食べる」というのが一番「芸のない」食べ方なのかもしれません。

さらに追記

というわけで作ってみました。これは美味しい〜! アルコールの香りがほとんど飛んで、とても風味豊かです。

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フィンランド語 21 …変格と出格

また新しい格が登場しました。「〜に変わると」という意味を表す「変格(へんかく)」で、語尾は「-ksi」になります。

Finland on suomeksi Suomi.
フィンランドは、フィンランド語で(フィンランド語に変わると)Suomiです。

なるほど、語学学習でよく用いられる「〇〇は××語で言うと●●」というパターンですね。「××語で言う」というのを「××語に変わる」ととらえ、変格を使うというわけかな。

ということは「Finlandはフィンランド語で言うと何ですか?」にあたるのは「Mikä on “Finland” suomeksi?」でいいのかな?

……と思いましたが「Mitä “Finland” on suomeksi?」になるそうです。なぜ「Mikä(何)」が分格の「Mitä」になるのか謎ですが、これは今の段階では難しいので、あとで教えてもらえるそうです。まあ、語学はこういうところは清濁併せ呑んで、100%の解明を目指さないのが長続きするコツなので、とりあえず先に進みます。

もうひとつ「出格(しゅつかく)」というのも登場しました。「〜から出てくる」を表す格だそうです。語尾は「-stA」です。

Mistä sinä olet kotoisin ?
あなたはどこの出身ですか?
Japanista. Olen japanilainen.
日本です(日本からです)。私は日本人です。

なるほど疑問詞「mikä」も出格の「mistä」になるんですね。そして答えるときも出格で答えると。格はまだまだ後ろにたくさん控えていて、しかも単数と複数の区別もある……ぼちぼち学んでいきましょう。

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Oletko sinä kiinalainen vai korealainen?
En ole kiinalainen enkä korealainen vaan japanilainen. Olen Tokiosta.

しまじまの旅 たびたびの旅 79 ……おみやげ用の牛軋糖(ヌガー)二選

台湾のおみやげといえば「鳳梨酥(パイナップルケーキ)」が有名ですが、昨今は東京にも微熱山丘のお店があって、しかも東京限定の薄くアイシングがかかった「りんごケーキ」のがことのほか美味で人気があったりして、わざわざ鳳梨酥を台湾から買って帰るのもちょっと心ときめきません。

それでここのところは、台湾のおいしい手作り「牛軋糖(ヌガー)」を探しておみやげにしています。有名な糖村もいいですし、ホテルオークラのベーカリーで売っているのもおしゃれなパッケージでおみやげ向きなんですけど、今回はネットで台湾の方々がお勧めしている二店に寄ってみました。

櫻桃爺爺

捷運萬隆駅ちかくの小さな本店の他に、松江南京駅ちかくにもお店があります。

www.cherrygrandpa.com.tw

ミルク味の「原味」の他に、芒果(マンゴー)、蔓越莓(クランベリー)、黑芝麻、咖啡、巧克力(チョコレート)、火山豆(マカデミアナッツ)、紅茶、地瓜(サツマイモ)……と味のバリエーションが豊富です。単品も売ってますが、四種類を取り合わせたアソートパックが何種類かあっておみやげに最適。

どれも500グラムぐらい入った大袋ばかり(下の写真の左側)なので、願わくばもう少し少量のパックがあると、よりおみやげにしやすいんですけど。このあたり、中国語圏の方々はおみやげというと「とにかく大きさ!」みたいなところがあるので、その反映かしらとも思います。


利亞德Candy's手工牛軋糖

捷運劍潭駅ちかく、承徳路が基隆河を超える橋の脇をすり抜けていった先にある目立たない小さなお店です。というか、行ってみて初めて分かったんですけど、こちらは工房で、店頭販売はほとんどやっていないよし。ネット販売がメインなんだそうです。



https://candy951007.weebly.com/

それでもネットで探して来たと伝えるとすごく喜んでくださって、出荷前の一部を分けてくれました。すみません……。味は焦糖杏仁果(キャラメルアーモンド)と蔓越莓南瓜子(クランベリーとかぼちゃの種)二種類だけで、かわいい小さな箱に入っています(上の写真の右側)。

お店はご夫婦(たぶん)二人だけで切り盛りされているようで、こちらのヌガーは手作り感満載です。ひとつひとつキャンディのように紙に包まれているんですけど、普通キャンディの包み紙って左右に引っぱると捻っているところがほどけるようになっていますよね。それがこのお店のはそうなっていないくらい手作り感満載(くだらない視点ですみません)。

お店のオーナーはかつて、六歳の次女を小児ガンのために亡くしたそうで、その娘さんのために防腐剤など一切使わない健康的な手作りヌガーを作ってあげたいというのがお店のそもそもの始まりであり「ブランドストーリー」でもあるのだとか。パッケージにもその一端が綴られています。

www.ttv.com.tw

台湾ではヌガーを手作りする家庭も多いようで、私も留学生から「これ、うちのお手製です」と手作りヌガーを頂いたことが何度かあります。まさにそんな家庭の味で、甘さはかなり(本当にかなり)控えめで、ナッツ類多め。今のところ私はこちらのお店のヌガーが一番おいしいと思います。ヌガー以外では「堅果酥(ナッツ類を「おこし」のように固めたもの)」もかなりおいしいです。

写真があまり魅力的じゃありませんが、左側が櫻桃爺爺、右側が利亞德のヌガーです。