インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

踏みとどまって引き返す

節酒つながりで、小田嶋隆氏の『上を向いてアルコール』を読みました。


上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

小田嶋隆氏については、以前のご著書も何冊か読み、日経ビジネスオンラインでの氏のコラムには毎回膝を打ち、氏が講師を務める文章講座にも通ったことがあって*1、まあ何というか、私は氏の文章のファンなのですが、今回ばかりはちょっと「引き」ました。

いえ、氏の筆致は、むしろこれまでの著作やコラムよりもぐんと和らぎ、アルコール依存とネット依存の類似性について述べた最終章はやはり炯眼だなあと思ったのです。ですが、なにせ「アル中」でいらした時期の行動がちょっととんでもない。まさに「ドン引き」というやつです。アルコールと体質、それに精神がある不幸な出会いなりマッチングなりをしてしまうと、こうなっちゃうのか……と、引きながらも引き込まれました。

私も若い頃、特に大学に通っていた頃は、お酒がらみでいろいろ「やらかし」たものですが、それでも私の「やらかし」はカワイイもんだったというか、ほとんど人畜無害だったと思います。小田嶋氏のこの「告白」を前にしては。

それでも、私にだってそれなりに暴飲を重ねてきた数十年の歴史があります。あのまま暴飲を続けていたら、じきに肝臓をはじめとする臓器をやられ、その影響が身体全体に及び、ひいては精神まで病んでいたかもしれません。節酒という段階ではありますが、ここで引き返しておいてよかったと思った次第です。

もっとも、私が引き返したのはおそらく加齢の結果「もう飲めなくなった」からで、心身をやられるより前に、自分の一生分の飲酒量という貯金を使い果たしたという感じなのでしょう。でも、これは牽強付会でしょうけど、この年代で「引き返す」ことができるかどうかって、老後のQOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)に大きく関わってくるような気がします。

レーニングを始めてもうすぐ一年。あそこで身体の不調に音を上げて自発的に身体を動かし始めていなかったら、きっと老後に到るまでこのレベルのハードな運動をする気力や体力をふるう勇気は失われていたかもしれません。そうなればあとはもう老化まで一直線、いや急降下です。

そういう意味で、それまでの人生と今後の人生を慣性の法則に任せたままにするのではなく、踏みとどまって引き返す、あるいは大きく方向転換できるかどうかというのが、この年代の私たちにとって死活的に大切なのではないかと感じています。

いや、これは何も飲酒や食生活、運動などに限らないですね。それまでに蓄積してきた知識や常識、あるいは経験値の見直しないしは刷新も必要で、それが「老害」へと到らないための小径(うっかりすると見落としかねないという意味で)なのかもしれません。

*1:参加者全員に小田嶋氏から毎回短いコメントを頂戴できるというのが特典の講座でしたが、私はここで、自分がいかに文才のない人間であるかを痛いほど思い知らされることになりました。