インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

一食抜くなど信じられない?

不定愁訴とその後」でも書いたんですけど、体調が良し悪しが飲食、それも飲食の量と密接に関わっていることが実感できるようになってから、基本的にはお昼ご飯を抜くか、ほんの少し(例えばバナナ一本とか、ソイジョイ一本とか)しか食べないようになりました。

朝食は食べますが、それも量的にはほんの少しですので、基本きちんと食べるのは夕飯だけということになります。自分としてはこのパターンが一番調子がよくて、そもそもこの年齢になっても若い頃と同じように飲んで食べて……を続けているほうが不自然、ということになるのですが、周囲の同僚や友人からはひどく心配されます。

とくに心配するというか、ほとんど「信じられない!」という驚きの反応を示すのが華人、つまりチャイニーズ系のみなさん。一緒にお仕事をした方なら分かると思いますが、華人は食べることが本当に大好きで、ほとんど食に命をかけているといってもいいくらいです。「民以食為天(民は食をもって天となす)」という言葉もあるくらい*1。いや、私だって食べることは大好きですが、華人のみなさんに言わせれば「極めて淡泊なほう」に属するようで、私が体調を整えるために一食抜いていると「カミングアウト」でもしようものなら、真剣な眼差しで「どこか悪いの?」「大丈夫?」と問い詰められます。

以前台湾で通訳者をしていた頃、ある技術会議で議論が紛糾して、14時間連続の徹夜会議になったことがありました。日本側は食事もそこそこに問題の解決のため議論しようとするのですが、台湾側は食事の時間になると必ず休憩を提案し、きちんとたっぷり食事をすることを欠かしませんでした。議論が煮詰まって神経が高ぶっている日本側からは「いまは食事どころじゃないでしょう」と抗議が出たこともあったのですが、その時の台湾側の返答がふるっていました。「これは人権の問題です」。

そう、華人のみなさんにとって、毎食きちんと食事をとることは基本的人権にも等しいのです。それもできればあつあつ・ほかほかの食事。もちろん華人だって冷たいものを食べることはありますし、忙しい現代にあって毎食あつあつ・ほかほかの「理想」が完全に保たれるとは限らず、華人であっても「まにあわせ」の食事をとることはあります。でもそうするとパフォーマンスが目に見えて落ちる。本当に元気がなくなるのです。

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これも以前、中部地方一帯の工場を回って品質管理関係の監査をする中国政府関係者の一行に、通訳者として帯同したことがあります。スケジュールがタイトで、毎回冷えた弁当しか食べられなかった中国のみなさんはかなり参っていたご様子でした。私は、毎回上等な「松花堂弁当」なんかが出るのでひとり喜んでいたんですけど*2

そんな毎日が一週間ほど続いたある日、移動中の地方都市でたまたま一時間ほど時間があき、目の前には小体な中華料理屋さんが。一行は吸い込まれるようにお店に入り、それぞれラーメンやタンメンなどを注文し、運ばれてきた器からスープをひと匙すくって飲んだ瞬間「ああっっ!」という歓喜の声がもれました。それはもう本当に心底「救われた」という声と表情で、華人の食事におけるあつあつ・ほかほか信仰を再確認したことでありました。

というわけで、そんな華人のみなさんから見れば、私の「元気を保つために一食抜く」など語の矛盾といったところなのかもしれません。あまり心配させてもいけないし、まあ何というか面倒くさくもあるので、現在勤務している学校で留学生*3から“呷飽没?(ご飯食べた?)”と聞かれたら、笑顔で“呷飽啊(食べたよ)”と答えることにしています。

*1:http://pedia.cloud.edu.tw/Entry/Detail/?title=%E6%B0%91%E4%BB%A5%E9%A3%9F%E7%82%BA%E5%A4%A9

*2:一般的に、中国人はじめ華人のみなさんは、日本式の冷えたお弁当を好みません。冷えたものを食べるのは身体に悪いという考えがあるからですが、それを理解して温かい食事を提供する日本企業や官庁はあまり多くないように感じます。

*3:台湾の留学生が多いです。

オリンピック・パラリンピックの通訳ボランティアについて

1月10日の日本経済新聞に、2020年東京オリンピックパラリンピックの通訳ボランティアに関する記事が載っていました。通訳を教える大学が進んで通訳ボランティアを斡旋するという動きに違和感を覚えて以下のツイートをしたところ、いろいろな反応が寄せられました。そのすべてを追うことはできていませんが、おおむね疑問を呈する反応が多かったと思います。

まず違和感を覚えるのは、通訳という仕事そのものが軽んじられているという点です。こうして「外語が話せれば訳せる」「通訳はボランティアでよい」という通念が社会に広まることによって自らの首を絞めていることが、なぜ外語系大学のみなさんには理解されないのかと不思議に思いました。

外語を「話せなければ訳せない」のは当然ですが「話せれば訳せる」わけでもない、というのは外語教育に携わるものなら自明のことです。しかもその道のプロを社会に送り出そうとする教育機関が、通訳など外語を話せればできるのだ、無償でいいのだという社会通念を広めるような結果になる活動になぜ加担するのかが判りません。

学生のうちは訓練として無償で通訳や翻訳をします、でも卒業してプロになったらきちんとした労働の対価を頂きますといって、はいそうですかと予算を組み報酬をくれる官庁や企業は少ないでしょう。大抵は安かろう悪かろうに陥り、ひいては粗雑なコミュニケーションが蔓延して国益を損なっていくのです。

国益」なんてナマな言葉はあまり使いたくありませんが、実際にこの国の、外語や異文化・異言語コミュニケーションに対するナイーブさや無邪気さを日々実感(例えば「言葉は拙くても誠意があればきっと伝わる」など)している者としては、声を大にして申し上げねばなりません。

この「ナイーブな言語観」については、僭越ながら過去のブログエントリを再掲させてください。日本はほぼ単一言語で社会全体が回り、高等教育まで母語で行えるという「ある意味幸福」な国ですが、そこには「脇の甘さ」も露呈しています。

qianchong.hatenablog.com

総じて、オリンピックを開くなら言語間の意思疎通も必要不可欠なのは分かりきっているはずなのに、予算に組み込まれないことが理解できません。異なる言語間の交流が難しくかつ重要であることを分かっているはずの外語系大学が、すすんで「炎天下のタダ働き」を斡旋することも。通訳に限らず、オリ・パラのボランティアに対する要求が苛烈に過ぎるとして、ネット上で話題になったこともありましたね。

こちらの記事のように、「オリンピックのレガシー」なる美名で募集される通訳ボランティアも、その内実が「炎天下のタダ働き」であり搾取であることが分ってくるにつれ、辞退者が急増すると思われます(特に年配者)。そのときに動員がかかるのはたぶん外語系の学校でしょう。

それでも学生本人が自分の意志で参加したいと言うならもちろん止めませんが、少なくとも文科省あたりから動員をかけられて学校がそれに応じる(例えば単位などを「報酬」として)などということだけは避けたいと思っています。いまから学校側に働きかけ、心づもりをしておかねばなりません。

私はすべてのボランティア活動を否定するものではありません。学んだ語学を活かしてみたいという気持ちもわかりますし、人道的な支援や社会的弱者のために語学ボランティアをすることも否定しません(私もやったことがあります)。でも事はその商業主義が批判されて久しいオリ・パラですよね。やはりこのオリ・パラのボランティア募集は「やりがい」とか「レガシー」など耳に心地よい言葉を使った搾取ではないかと思わざるをえません。

誰よりも外語をよく知り、外語を学び活かすことの難しさも意義深さも、そして時には怖さもあることをわかっている外大関係者のみなさんには、少なくともオリ・パラのボランティア通訳に疑問の声を上げてほしいと願っています。

追記

オリ・パラの商業主義については、1月18日の東京新聞にこんな記事が載っていました。

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営利目的ではない壮行会が、逆に営利目的の協賛企業から「待った」をかけられる、というお話です。まさにオリンピック憲章の真逆を行く現在のオリ・パラを象徴しているできごとではありませんか。「実際、五輪が一握りの企業のための『宣伝イベント』だったら、多額の税金を投入する必要があるのか」。同感です。

通訳ボランティアの問題も、本人が五輪の主旨に賛同し「レガシー」の一翼を担いたいというならいいじゃないかという意見があります。私もその通りだと思うんですけど、それは現在の五輪の背景にこうした利権が絡んでいることも踏まえた上でなら、です。少なくとも生徒に奨励する学校は、その背景等も含めて教える義務があるのではないでしょうか。

さらに追記

留学生の通訳クラスで、上記の「オリ・パラ通訳ボランティア」について紹介し、意見を募ってみました。私個人の意見は出さず、自由に発言してもらったところ、「通訳のいい経験になるから参加したい」という意見もいくつか出されました。「就活の際に、ボランティア経験があると有利になる」との現実的な意見もありました。なるほどなるほど。

でも「真夏の炎天下」の話を出すと、やや動揺が。みなさん、東京の真夏のほとんど殺人的な暑さはこの数年間の留学生活で骨身にしみていますから。東京オリンピックパラリンピック組織委員会マーケティング専任代理店として電通を指名している件などを紹介すると、「絶対にやらない」と。その激しい反応にこちらがびっくりするほどでした。留学生の間でも「電通」という名前はかなりのインパクトを持って知れ渡っている(いろいろな意味で)ようです。

www.dentsu.co.jp

biz-journal.jp

中国語をこの手に

今週のお題「受験」

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先日、メールボックス公益社団法人日中友好協会による公費留学生(中国政府奨学金生)募集のお知らせが入っていました。実は私も、かつてこの奨学金をいただいて留学しました。学生さんだけでなく、条件を満たせば社会人でもオーケーで、返還義務もないという太っ腹。たしか昔は、中国語と、国語や社会(一般常識的な)などの筆記試験がありましたが、現在は小論文と面接だけのようです。

www.j-cfa.com

F.A.Qによると、定員は毎年20名で、2017年度は47名の受験者があったとか……えええ!? 驚きです。倍率がたったの2倍強ではありませんか。

私が受験した当時(今から20年くらい前の話です)は中国留学ブームだったのか、もう少々「狭き門」でした。私が留学したのは天津市の南開大学ですが、真偽の程は定かではないものの、当時学内に600人いた外国人留学生のうち、半数の300人が日本人留学生と言われていた時代です。

ううむ、若い方があまり留学をしたがらないらしいという話は耳にしていましたが、そんなに志願者が少ないのですか。私が留学した当時に比べて、現在の方がより中国との関係は密接かつ重要になり、今後もその傾向は衰えることはないと思われるのですが。というか、これ、今が公費留学をゲットする一大チャンスじゃないですか。

下世話なお話で恐縮ですが、この中国政府奨学金は一年間の学費と宿舎費が全額無料になるのに加えて、毎月生活費まで支給されます(普通進修生で月に3000元。現在のレートで52000円ほど。私の頃は確か850元でした)。これ、今の経済状況ではどうか分からないけど、当時は周囲の中国人学生の状況に比べて破格といってよいほどの額でした。学食でたらふく食べても十分に余るので、私はたくさんの本を買い、思う存分勉強させてもらいました。

しかもこれらの費用は返還義務が一切ないのはもちろん、中国政府の奨学金だからといって留学前後に何か有形無形の要求があるわけでもありません。(留学前に私は小さな出版社の記者をしていて、駐日中国大使館から「取材しちゃダメよ」との念書を取られましたけど)。この辺り、古き良き中国の「大人(たいじん)」的風格を感じさせます。

中国という国に、特に政府に対してはいろいろと思うところもあるけれど、大局的に見て私は、貧乏社会人だった自分を留学させてくれた中国政府に恩義を感じています。なにがしかの形で、それは時に善意の批判だったりはするかもしれないけれど、お返ししていきたいなと思っています。

脱サラして飛び込んだ中国留学の一年間は、本当に「人生最良の日々」と言ってもよいくらい刺激に満ちたものでした。英語と並び、中国語はとても「グローバル」な言語です。中国語が使えると、世界が一気に広がりますよ。最近Twitterのタイムラインで拝見した、こちらの先達おふたりが証言しておられる通りです。

この「受験」、心からおすすめします。今の中国に、漠然と、何となく、そこはかとないネガティブな印象を抱いているあなたへ、特に。

いまさらながらエド・シーラン

仕事や旅行で台湾に滞在しているとき、ホテルではいつもテレビをつけています。

日本ではNHKやBSの興味ある番組だけ見て、民放、特に地上波のそれはほとんど見ないのですが、海外に行けば別。ナチュラルスピードの外語の音に慣れるために、ずっとつけっぱなしにしています。もしくはMTV。最新C-POPのMVが流れていることも多く、以前台湾に住んでいたときはこのチャンネルでずいぶん新しいアーティストを「発掘」しました。以前はChannel[V]が大好きだったんですけど、ホテルの無料放送ではあまり見ることができないみたいです。

台湾MTVの番組は、アイドルバラエティみたいなのを除くと、大きく中国語圏の楽曲、日本+韓国の楽曲、洋楽の3つに別れているようです。で、主にC-POPに興味がある私は、これ以外は飛ばして他局の中国語ニュースなどを見ているのですが、先回台湾に行った際、ある洋楽のアーティストがヘビーローテーションで登場しているのに気づきました。

漫才師「ナイツ」の鉄板ネタふうに言えば……

「すごいアーティストを一人見つけてしまったんですよ」
「というと?」
エド・シーランって知ってます?」
「いまさらかよ!」

……とつっこまれそうですが。

台湾のMTVでヘビロテされていたのは、主に以下の3曲だったと思います。ホテルで現地情報をネット検索しながら聴いているうちに、すっかり虜になってしまいました。

youtu.be

youtu.be

youtu.be

この「Perfect」にはビヨンセとのデュエット版もあって、それがこちら。

youtu.be

この3曲を聞いただけでも「ずいぶんバラエティ豊かな音楽性だな」と思います。……と、こちら↓に圧倒的な情報量の解説サイトがありました。「切なくて、どこか癒し効果のあるエドのメロディは『聴き飽きない』という点でこだわって作られて」いるというの、うん、たしかにその通りだなと感じます。

www.hmv.co.jp

というわけで、台湾から戻った今もSpotifyで繰り返し聴いています。

電車内での化粧は気になりません

昨日の東京新聞、詩人・伊藤比呂美氏の「人生相談」です。

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伊藤比呂美氏のこのコラムは毎回楽しみに読んでいますが、昨日もとても考えさせられる内容でした。

私もバスや電車の中で、あるいは劇場や映画館などで、自分でも引いてしまうくらいイライラしていることがあって、この相談者のお気持ち、よくわかります。でもあまりイライラを昂進させるとそのうち暴力沙汰でも起こしかねない*1ので、今年は「ちっちゃいことは気にしない*2」を一年の計にしました。

昨年、東急電鉄のこんなCMが話題になりました。

youtu.be

電車内での化粧は「マナー違反」だとする啓発CMです。私もあれは「みっともない」と思いますが、ふと華人留学生のみなさんはどう思うだろうかと興味を持って、授業でこのCMを上映して自由に意見を述べてもらいました。

すると、留学生のほぼ全員が「別にいいんじゃない?」という反応でした。「特に気にしません」「みっともないかも知れないけど、そういう人なんだと思うだけ」「わざわざCMまで作るほどのことじゃない」……などなど。総じて「世の中には色々な人がいる。自分の想像を超えたような人もいる。でもそれは当たり前のことで、それを変えさせようとか糾そうなどとは思わない」という意見でした。

予想はしていました。というのも私、こうした華人のきわめて現実主義的な考え方に触れて自分の「せせこましさ」を顧みることがこれまでにも多くあったからです。それでももっと若い頃は「現状追認って……それでいいのか」「それじゃ『民度』は向上しないだろ」などと息巻いていたのですが、最近はなんだか素直に受け止められるようになりました。

中国に留学していた頃、屋台の行列に並んでいたら、向こうから歩いてたおばさんが私の前にすっと「横入り」したことがありました。私がつたない中国語で抗議すると、そのおばさんはいったん列から離れ、今度は私の後ろに「横入り」したのです。私はそれにも抗議しようとしたところ、おばさんの後ろで「横入り」されちゃったおじさんから“管不了”と言われました。「管理することができない」「抑えきれない」といった意味ですが、まあここでは「そんなつまらないことに構うな、ほっとけ」的なニュアンスに近いでしょうか。

若かった私はそれでも憤懣やるかたない気持ちを抑えられませんでしたが、今はなんとなくそのおじさんの「諦念」みたいなものが分かります。そんなつまらないことに、あるいはつまらない人にかかずらわって、自分の神経をすり減らすのはバカみたいじゃないかという華人的なリアリズムなんですよね。

ストレスフルで「駅員への暴力」を諌めるポスターがあちこちに貼られている東京。電車内で周囲のピリピリした空気を感じることも多いです*3が、華人伊藤比呂美氏に倣って「いろんな人がいていろんな考え方があるんだとみんながわかっている社会がいいな」と思うことにしましょうかね。

ちなみに、台湾の留学生(女性)に「台湾の電車内で化粧をしている人はいないんですか」と聞いたところ、「いません。だってそもそもメイクをしないですもん。暑いですから」だって*4

*1:「いつかきっとあんたも犯罪をおかすだろう」(忌野清志郎)という声が聞こえます。

*2:@ゆってぃ

*3:そうした満員電車が苦手なので、いつもラッシュアワーを避けて一時間以上早く出勤しています。

*4:まあ、台湾だってメイクをしている女性は見かけますけど。で、かくいう彼女たちもメイクをしているので「じゃあみなさんは?」と聞いたら、「日本に来てからメイクするようになりました。だって周囲の女性がみんな化粧をしているので、視線が痛いからです」だって。

「タバコがかっこいい」だなんて、いつまでそんなことを言ってるの?

ここ十年ほど、おなじお店で髪を切ってもらっているのですが、若いスタッフさんが選んで目の前に置いてくださる雑誌が興味深いです。たいがい『BRUTUS』と『PEN』と『モノ・マガジン』。ここに、たまに『LEON』が加わります。スタッフさんの目には「そういう系のおじさん」に見えるわけですね。私としてはむしろ『クロワッサン』とか『レタスクラブ』とか『家庭画報』なんかが好みなんですけど。

でもまあ、ありがたく拝読していて、ちょっと気になる広告を見つけました。デザイナーの山本耀司氏が出演しているタバコの広告です。実は私がいま嘱託でうかがっている学校が山本氏の卒業校でして、かの学校においては山本氏がそれこそ「神」にも近い憧れの存在として認識されているのを仄聞しており、それで目に止まったというわけです。

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しかしこの時代に、いまだ「タバコはかっこいい」というメッセージをストレートに押し出すのはどうか、それも時代の最先端にいるはずのファッションデザイナーが……と思うんですけど、山本氏は従来から「タバコ好き」を自認されているようで、ネットで「山本耀司 タバコ」で検索すると、氏のお考えを披瀝する数々の記事がヒットしました。

www.wwdjapan.com
www.wwdjapan.com
fashionjp.net

特に最後の記事は、ある意味読みごたえがあります。「シンガポールは路上でタバコ吸うと罰金取られるから、清潔で好きじゃない。俺が好きなのはダウンタウン」と雑多な猥雑さを肯定しつつ、そのすぐ後で「中国の子たちは、俺と握手すると感激してくれる人がいたりして、シンプルだなあ。シンプルな強さはすごい」とあっさり「複雑系」を否定していて、咀嚼は容易ではありません。

うちの学校の生徒さんたちは、ファッション関係のお仕事を志している人が多いので、みなさんそれぞれに「とんがって」て素敵だなと思う一方で、いまだに「タバコ=かっこいい」という時代錯誤な価値観に染まっている方が多く、キャンパス内のそこここが煙たくて閉口していましたが、なるほど、こうした先達がいたからこその校風だったのかもしれません。

……と思っていたら。

新年明けて間もない先日、学内イントラネットのメールボックスに総務部から「受動喫煙ゼロキャンパス宣言」のお知らせが入っていました。

本学園は、多数の者が利⽤する公共性の⾼い施設であることを踏まえ、他⼈のたばこの煙を吸わされることのない「受動喫煙ゼロキャンパス」の実現に向け、全学で取り組むことを宣言します。

喫煙は、喫煙者自身の健康を害するとともに、受動喫煙により非喫煙者の健康にも重大な影響を及ぼします。特に、本学園の構成員の約半数は未成年者であり、未成年者の喫煙は法律で禁止されております。

豊かな社会の実現のためには、その構成員が健康であることが重要であり、心身の健康は、生産性や創造性の向上と直結し、社会の発展に大きく寄与します。

本学園は、社会に貢献する⼈材を育成する教育機関として、未来ある学生、そこで働く教職員をはじめ、広く地域住⺠や学内外のあらゆる関係者の健康確保を社会的責務と考え、喫煙による健康被害の啓発、受動喫煙の防止、喫煙者の減少に積極的に取り組みます。

この宣言のもと、各種の啓発活動や、キャンパス内の喫煙環境改善のための取り組みを積極的に推進していくとのこと。素晴らしいではありませんか。それでこそ、今とこれからを生き・活躍するクリエイターのクリエイティビティを大きく飛躍させることにつながると思います。

「心身の健康は、生産性や創造性の向上と直結し、社会の発展に大きく寄与します」という一文は、あまりにも「優等生」すぎ、勢い余って管理社会的な匂いすらすると批判する方もいるでしょう。でも照れくさいかもしれないけれど、これはその通りですよ。

無頼派を標榜されているとおぼしき山本耀司氏が、母校のこうした取り組みに嫌悪感を示されることは想像にかたくありません。でもね、もう2018年なんです。僭越ながら、時代の最先端を切り開く芸術家の方々にはぜひ時代の最先端の教養を身につけていただきたいと思います。もとより、優れた芸術は、豊かで幅広く、深い教養なしには生まれないものなんですから。

無頼派を気取るといえば、こちらもお読みいただけたら幸いです。
qianchong.hatenablog.com

挨拶としての「せーっ」

かねてよりコンビニやアパレルショップなどの男性店員が「いらっしゃいませ」を「しゃっせー」などと短く発音する現象に注目してまいりましたが、先日とあるお店でついに「せーっ」と発音する方に遭遇しました。言葉の経済性、ここに極まれりです。このお店で「ありがとうございました」が「たーっ」かどうかは未確認です。ただTwitterでは、鍼灸院で「お大事に」を「にーっ」と発していたというサンプルが寄せられたことがありました。

コンビニでも「いらっしゃいませ」の「しゃっせー」に始まり、「ありがとうございました」が「ありあたっした」、「お弁当を暖めますか」が「おえんたったえあすか」などになって、その発音に、特に来日間もない留学生などが「初めて聞く日本語だ」と混乱する、というのは我々の業界でよく聞く話です。

コンビニ店員といえば、ちょっと脱線しますけど、こちらのネタ、大好き。

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とんねるず 博士と助手 「○○」が「××」に聞こえる △△の店員

でも「したー(ありがとうございました)」や「ちーす(こんにちは)」や「れっす(おつかれさまです)」などは私が通っているジムで出会うアスリートのみなさんにおいては定番の挨拶ですし、現代を生きる日本人の多くにとって、さしたる違和感はないのかもしれません。

逆に、キチンと発音することが、堅さや馴れ馴れしさや押しつけがましさに繫がると思われているフシもありますね。コールセンターなどの丁寧すぎてもはや慇懃無礼に近くなっているマニュアル的な言葉遣いなどは、私でも「もう少しフレンドリーに話してくれないかな」と思うことはありますから。

ちなみにこのコールセンター的言葉遣いも、留学生にとっては「鬼門」なんだそうです。聴き取れなくて「もう一度言ってください」と頼むと、本当に同じマニュアル的台詞を「もう一度」きちんと繰り返すからだとか。ふつうの会話で「もう一度言ってください」と言われれば、ゆっくりかみ砕いて話したり、易しい言葉に言い換えたりするのがコミュニケーションの基本だと思いますが、コールセンターのマニュアルは違った言い回しを許容しない性格のものですからね。

これについても留学生のみなさんは「コールセンターの電話は録音されてるから、スタッフもマニュアル以外の言い方ができないんじゃないかな」と言っていました。おお、なんと大人の対応でしょうか。

おでん・ド・ブラン

揚げ物を入れず、白い食材だけで作った「おでん・ド・ブラン」です。

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あっさり、淡泊、食べ飽きない味わいでひと冬に何回か作りますが、私のオリジナルではありません。不定期営業で新鮮な素材が入荷したときだけ気の向いた客をおもてなしし、住所・電話・メールは非公表、予約は百年先までうまっている……という謎の割烹「味占郷」亭主(実は「海景」や「劇場」シリーズなどで著名な写真家・杉本博司氏)がその著書で紹介しているものです。


趣味と芸術——謎の割烹 味占郷

杉本氏は「おでんは出汁が命」と言い、毎朝鰹節を削るそうですから、きっと箸が立つくらいの大量の鰹節で出汁を取って作っているのだと拝察いたしますが、私は安易に「白だし」で、おでん種も近所のスーパーで買った安いものばかりです。それでも十分においしく、かつ上品にできあがるのは、たぶん揚げ物の油が入らないからじゃないかと。

おフランスなお名前のおでんですから、本当はブラン・ド・ブランのシャンパーニュでも合わせたいところですが、予算の都合で安い白ワイン。まあ「汁物・おつゆもの」にワインはあまり合わないので、これでじゅうぶんですよね。

追記

上記の本は、料理本と言うより同名の展覧会に関連して出版された、いわば「展覧会カタログ」です。

当時の展覧会評がこちらにありました。

business.nikkeibp.co.jp

私的に蒐集された骨董と現代的解釈による掛軸、それに須田悦弘氏の精緻な木彫による草木を配した展示は、はっきり言ってお金持ちの道楽でスノッブの極みなんですけど、杉本博司氏の審美眼で選ばれ組み合わされたそれらは、さすがに唸らざるを得ない美の世界。眼福でした。

義父と暮らせば18:最終回

今日はお義父さんの四十九日と納骨でした。亡くなったのは昨年の九月でしたから、本来なら昨年のうちに済ませておくべきだったのですが、喪主である細君の入院などもあって、のびのびになっていたのです。

近しい親戚も参列して、お坊さんにお経をあげてもらい、卒塔婆を立てて、先にお義母さんが眠っているお墓に入りました。これでまあお義父さんもようやく成仏していただけたかしら。

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……などと、「しおらしい」ことを書き綴っている私ですが、正直言ってこうした宗教的行事に特別な思い入れがあるわけではありません。というか、私自身は、死んだら葬儀も墓も不要だと考えているような人間です。加えて、私にはいわゆる「霊感」みたいなものも全くありません。ですから、まあ細君が大病をしたことでもあるし、四十九日や納骨はそのうちでいいんじゃないかな、かんべんしてくださいなお義父さん、くらいに思っていたのです。

それでも今回、四十九日と納骨のためのお経をあげてもらって、お骨が収まるべき所に収まったのを見届けたら、なんだか気持ちがすっきりしました。この唯物的な自分にもそういう感覚がまともにあったんだ、とちょっと意外でもありました。

振り返ってみれば、今日まですっきりしていなかったのは、やはりどこかで、お義父さんが細君を連れて行こうとしているような気がしていたからだと思います。

お義父さんが亡くなったのは九月の中旬。その後喪主になった細君が葬儀を取り仕切り、死亡後の手続きのあれこれに奔走している中で十月の初旬、くも膜下出血に襲われました。単なる偶然ではありますが、私はこれ、ああ、お義父さんが細君を連れて行こうとしているのかもな、と思いました。

お義父さんは生前「子離れ」ができていませんでした。私たち夫婦は結婚後、一時期を除いてお義父さんとは別々に暮らしていましたが、お義父さんは常に、細君に対して毎日電話をかけるよう求めていました。ほんの数分程度の電話ですが、その日を平穏に過ごして、無事に帰宅したことを報告させるのです。

夕刻になっても電話をかけないでいると、逆にお義父さんからかかってきます。たまさか細君が残業で遅くなった日など、細君の携帯だけでなく私の携帯にもよくかかって来ました。「圭君、あいつは今どこにいるんだ」と。細君によると、結婚前は職場にまでかかって来たこともあったそうです。

いくつになっても一人娘である細君のことが心配で仕方がないのかなとも思いましたが、細君の見立てはこうでした。「違う。あの人はね、自分が安心したいだけ。自分が気分良く一日を終えたいがゆえに電話を求めてるわけ」。……それって、いわゆる「毒親」の思考パターンではありませんか。

そんなこともあって、天に召されてなお、娘を連れて行こうとしても不思議はないなとおもったわけです。

細君が緊急入院したその朝、すでに出勤していた私の携帯に救急隊から留守番電話のメッセージが入ったんですけど、全く同時刻に間違い電話の留守番電話のメッセージも入っていたんですよね。普段電話など滅多にかかってこない私の携帯に、よりによってその日の朝だけ、まるでこちらを攪乱するかのように。これも成仏しきれていなかったお義父さんの、冥界からの「さしがね」だったのかもしれません。

でも今日の法要で、ようやくお義父さんも成仏できたことでしょう。これから先は、天国でお義母さんと仲良くなさってください。細君はもう少しこちらで過ごすことになると思います。

 四十九日と納骨の法要では、お坊さんが短い説法をしてくださいました。「法要や供養というものは故人のためではあるけれど、実は現世にいる私たちのためでもある。仏教には『回向(えこう)』という考え方があるが、これは他人のためにと思ってやることも、実は回り回って自分のためでもあるということだ」。

なるほど。自らは葬儀も墓所も供養も要らないと思いつつ、お義父さんのために供養をして安堵感に包まれたのもまた回向ということなんでしょう。

塩津哲生師の神舞

先日見に行ってきた「若者能」の番組(プログラム)でもう一つ、どう言語化してよいかわからず、エントリに載せなかったものがあります。塩津哲生師の舞囃子高砂』です。だって「すごい」としか言えないんだもの。「すごいものはすごい」のだから「すごい」だけでもいいんですけど。

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qianchong.hatenablog.com

公演前の解説でも触れられていましたが、『高砂』は結婚式でその一部の謡が披露されることも多い*1おめでたい曲(演目)です。ちなみに結婚式で新郎新婦が座る席を「高砂」と称するのもここから来ているそう。なぜ新郎新婦が「高砂」とつながるかについては、こちらをご参照ください。

高砂 (能) - Wikipedia

この『高砂』、能のお稽古では前述の「〽︎高砂や〜」を最初に教わりましたし*2、能の公演で一番最後に謡われることのある「附祝言*3」のひとつである「千秋楽は民を撫で/万歳楽には命を延ぶ/相生の松風/颯々の声ぞ楽しむ/颯々の声ぞ楽しむ」も入っているので、ある意味お馴染みで、一度は舞囃子*4で舞ってみたいな~と憧れる曲でもあります。

とはいえ。

舞囃子高砂』には「神舞(かみまい)」が入っているのです。

舞囃子は、つづめて言えば地謡と囃子による音楽を背景に装束(衣装)を着けずに舞うものですが、一部に囃子だけで(つまり地謡は入らず)舞う部分があります。この舞には様々なものがあるのですが、『高砂』で舞われるのは「神舞」です。この「神舞」、その名の通りほとんど「神ってる」(もはや古いですね)。神速という言葉もありますが、そのスピードが尋常ではないのです。私は他のお弟子さんが「神舞」のお稽古をしているのを何度か拝見したことがありますが、とにかく速い速い。でも一つ一つの舞の型はきちんとおさえて舞わなければならない。とにかく「神舞」とはとんでもなく早回しの舞だというイメージしかありませんでした。

ところが。

塩津哲生師の「神舞」は、う~ん、こんな言い方をしていいのかわからないけれど、とてもゆったりしたものに感じられたのです。「神舞」には違いないのですが、なぜか「速い」とか「せわしない」という雰囲気がない。最初は「あれ、『高砂』の舞って『中之舞*5』だったかしら?」と思ったくらいです。とにかく、神速などという言葉では言い尽くせない別の次元の「何か」でした。

……と余韻に浸りながらの先日、塩津圭介師の稽古場にうかがった際、ちょうど圭介師がお弟子さんに「神舞」を指導している場面で「神舞は颯爽と舞う」のだとおっしゃっていました。

なるほど、颯爽か。そうだ、塩津哲生師の「神舞」は颯爽としていたのです。力強くも、優雅。裂帛の気迫がありつつも、無駄な力は皆無。流れるようなスピードがありつつも、端々にあふれる余裕のある動き、あるいはメリハリ。ああ、やはり私の語彙力ではどうしても的確な言語化ができません。とにもかくにも、お囃子とセッションするように身体が、扇が動き、拍子が僅かにずれて踏まれていくのさえひとつひとつ味わい深い……そんな心持ちでした。

すごいものを見た、と思いました。

*1:かつては、でしょうか。私が小学生の頃は、例えば親戚の結婚式で私の祖父母世代のお年寄りが「〽︎高砂や~」と謡っていたのをかすかに覚えています。

*2:流儀によって違いはあるかもしれません。「高砂や/この浦舟に帆を上げて/この浦舟に帆を上げて/月もろともに出で潮の/波の淡路の島影や/遠く鳴尾の沖過ぎて/はや住吉に着きにけり/はや住吉に着きにけり」という短い謡です。

*3:つけしゅうげん。最後の演目の、終幕の謡がネガティブ(という形容もナニですが)なものであった場合に、最後はポジティブな詞章(歌詞)で締めくくるために謡われるおめでたい謡です。

*4:これについては、いずれ別エントリで詳しく書きたいと思います。

*5:一般的には最初に習う、中庸的なテンポの舞です。これについてもいずれ別エントリで。

台北の「蚵仔麵線」三選

とはいえ、別に食べ歩きを極めた末の「ベスト3」などというわけではありません。たまたま年末に台北へ行って、立ち寄ったお店のうち、おいしいな~と思ったものを備忘録的に。

「蚵仔麵線*1」は台湾の庶民的な食べ物で、小ぶりの牡蠣*2が具に入った、とろみのついた煮込みそうめんとでもいうべき趣の麺料理です。牡蠣の代わりにモツが入った「大腸麵線」や、牡蠣とモツのミックスなどもあります(たいがいは「綜合麺線」などと称されているようです)。

1.同心大腸蚵仔麵線

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日本にいるときは敬遠しがちなニンニクのすりおろしも魅力的。

MRT古亭駅からすぐ。「大腸」と「蚵仔」のほかに「肉羹」(つみれみたいなものです)から選べて、その3つが全部入った「綜合」もあります(写真はこれ)。このお店は「臭豆腐」も名物らしく、その名に反してほとんど臭みがなく、シンプルかつ上品なひとさら。ある意味ここまで洗練された「臭豆腐」も珍しいかもしれません。

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横に添えられた甘酸っぱいキャベツがよく合います。


2.四維紅麵線

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食欲に逸る心を反映してか、ピント合わ~ず。

特に観光地でも繁華街でもない、普通の街角の小さなお店です。とても淡白な薄味で(まあ台湾料理の多くがそうなんですけど)、血圧を気にする私ごのみ。お店のおばちゃんは、お金を受け取るときもお釣りを返すときも両手を添えて丁寧なたたずまい。屋台風のテーブルもきれいに磨かれていて、おばちゃんの人となりが伝わってくるようです。


3.陳記專業蚵仔麵線

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ここは麺の太さが他店よりややランダムで、それも魅力です。

龍山寺の近く。MRTの龍山寺駅からもすぐです。「專業」と屋号に掲げるだけあって、ここは何度来ても本当に美味しいです。路地の奥の胡椒餅店として有名な「福州元祖胡椒餅」からも至近距離で、はしごをすれば幸せなひとときが訪れます。ただし外のお店で買った食べ物を持ち込むのは御法度ですのでご注意ください。

*1:台湾語で「オアミソァ」のように発音。私は台湾語をあまり話せないけれど、何となくこのカタカナ発音でも通じます。

*2:熊本の田舎に住んでいたときは、たまに「牡蠣打ち」に行って食べてましたが、こういう小さな牡蠣は東京の市場にはまず出回らないですね。

ヒュッゲ関連本あれこれ

昨年の夏に台湾を旅行した際、偶然手にした『hygge丹麥幸福學』という翻訳本からにわかに「ヒュッゲ」づき、この冬休みまでに「ヒュッゲ関連本」を立て続けに読みました。

www.books.com.tw

ちなみに「ヒュッゲ(hugge)」とはデンマーク語で「心地よい」とか「やすらぐ」などといった意味で、彼の地の人々にとって欠かすことのできない生活概念だそうですが、日本語でうまくあてはまる言葉がありません。

読んだのは以下の数冊です。

これは『hygge丹麥幸福學』の日本版。

む〜、我ながら「どうしちゃったの」と自分に突っ込まざるを得ないラインナップで、しかも正直に申し上げてどの本も同工異曲というか、私にとっては少々情緒的に過ぎて物足りない読後感でした。確かに美術館に出かけた時のような心地よい気持ちに浸ることはできるんですけど。

と、そんな中で最後に読んだこちらの本は、類書とはやや趣がちがって読み応えがありました。


幸せってなんだっけ? 世界一幸福な国での「ヒュッゲ」な1年

著者へのインタビューもありました。
www.newsweekjapan.jp

著者のヘレン・ラッセル氏は、夫のデンマーク転勤を機にロンドンからデンマークのビルン(レゴ社の本拠地ですね)に引越し、一年間を過ごします。その一年を軽妙な筆致で綴ったのがこの本で、かなりいろいろ脱線する語りっぷりのなかから、デンマーク的な価値観「ヒュッゲ」の様々な側面が浮かび上がってきます。

ヘレン・ラッセル氏が面白いのは、独特の文体で(時にはユーモアめかして、時には皮肉っぽく)デンマークの良い点も悪い点も描き出しているところでしょう。実際、数々の「ヒュッゲ本」を読んでいささか「デンマークかぶれ」になり、ああ、こういう国に移住できたらどんなにいいかしらんと思っていた私は、この本で正しく現実に再着陸できたような気がしました。それでも「ヒュッゲ」の価値観と呼応している(らしい)「ジャンテ・ロウ」はじめ、かの国の人々の暮らしぶりは、東京でいささか疲弊しちゃってる私には多くの示唆を与えてくれました。一度デンマークにも旅行してみたいです。

ジャンテ・ロウ - Wikipedia

余談ながら、以前から重宝しているこちらの料理本もおすすめ。これもまた「ヒュッゲ本」のひとつに加えることができるかもしれません。


イェンセン家のホームディナー

ところで、日本語にしにくいと言われる“hugge”ですが、個人的には作家・村上春樹氏による造語の「小確幸」が一番近いような気がしているのですが、どうでしょうね。

憧れどもなお近寄りがたき「田舎」

上下篇を続けて読みましたが、なんだか新年から暗澹たる気持ちになる記事でした。

www.dailyshincho.jp

ここに書かれているような「田舎」の閉鎖性*1、私は身をもって体験したことがあるのでよく分かります。というか、私が体験したのはもう30年も前のことなのに、いまだにその本質は変わっていなかったのか……ということの方に驚きました。

私が東京から「田舎」に移り住んだのは、大学を卒業してすぐです。詳細は省きますけど、とにかくサラリーマンになるのがいやというその一点だけでいわゆる「就活」は行わず、田舎での就農をめざして熊本県水俣市に移り住んだのです。

一年目は農業体験ができるフリースクールで学び、二年目からはそのフリースクールの運営や、その母体である財団*2での仕事をしつつ、農業のまねごとをやっていました。

水田で稲を作り、畑で野菜を育て、その他にも養鶏や農産物の産直や地元の漁師さんのお手伝いなどをしながら五年ほど過ごしました。それはそれでとても得がたい貴重な体験でしたが、結局は「田舎」の閉鎖性にうんざりして東京へ舞い戻ってくる結果になりました。

特に空き家になっていた一軒家を借りて住んでいたときが一番つらかったです。集落の共同作業や寄り合い、あるいはどこかの家で不幸があったときなどのお手伝いに参加させてもらっていましたから、決して上記の記事のような陰湿な「村八分」などはなかったのですが、やはり生活の事細かなことまでが集落中に知られ*3、男は力仕事・女は「おさんどん」をするという男女の役割が最初から固定された指示をされ*4、その一方で「よそ者」として本当の意味での仲間にはしてもらえず*5、一見民主的なようでいてその実極めて非民主的かつ非生産的*6なあれこれに耐えきれず、体調を崩し、危うく精神まで病むところでした。

そんな中で「そうだ、やっぱり東京に帰ろう」と私の背中を強く押してくれたのは、同じ熊本在住だった在野の思想家・渡辺京二氏の数々の著作でした。なかでも氏の最初の評論集である『小さきものの死』*7に収められた、水俣病闘争を主題とするいくつかの論考、「石牟礼道子の世界」、「義理人情という界域」、「現実と幻のはざまで」、「死民と日常」の四編は、いまでも折に触れて読み返しています。

小さきものの死
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J9P26E/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_WlavAbHV6WQAJ
小さきものの死―渡辺京二評論集 (1975年)

この四編が描き出すものから、私は私のような者の手では到底受け止めることのできない巨大な「都市」と「田舎」の差と、さらにはすでに曲がりなりも大学を出てしまった「インテリの頭でっかち」*8と「そうではない存在」の間に横たわる懸殊(大きな隔たり)について、言わばそれまでの五年間を追体験し裏付けるような形でハッキリと手に取るように提示されたように感じました。いや、まわりくどいですね。要するに「腑に落ちた」のです。

そしてこの四編はまた、当時自分の中でいやがうえにも膨れあがっていた、水俣病患者を「患者『さん』」と持ち上げ聖化する心性への疑問にも早々に*9答えを出してしまっていました。そのことにも大きな衝撃を受けました。

患者を背後に光輪を負った聖者に仕立て上げる心的趨性は、水俣を聖地と観じる傾向と同根であって、いずれも衰弱した知性と昂進したセンチメンタリズムの所産に他ならなかった。水俣石牟礼道子氏の作品によってうかがわれるように自然の精気ともいうべきものにあふれた美しい町であって、集積された都市機能が麻痺寸前の状態にあり、管理社会的様相が一種の極限に近づきつつある東京の住民の疲労感と疎外感が、そこにある桃源郷を夢想するのはたしかに根拠のないことではない。しかし、水俣詣での知識人たちが「水俣よいとこ」風の私情を、たんに田園自然に対する趣味嗜好の問題として吐露するのならともかく、水俣を自分たちの病いに合わせて聖地のように賛美するのは、ほとほと滑稽なながめであった。のみならず、そのような水俣礼賛を、いまはやりの文明終末論的考察のはしきれや、聞きかじりのエコロジーや、ナロードニキ趣味の辺境論議で思想めかすような言辞を見聞きするたびに、私は心中、暗い嘲笑のごときものが突き上げてくるのを抑えることができなかった。彼らは一度、生涯そこから脱出できない宿命を背負わされて、水俣の部落社会に叩き込まれてみたらよいのだ。その時、彼らは、なぜ部落の青年男女たちが、彼らには桃源郷と観じられる水俣を捨てて出郷するのかということを、はじめて理解するはずだ。たとえ彼ら水俣感傷旅行者が水俣に定住することになっても、その水俣定住は彼ら自身の生活によって規定された宿命ではけっしてありえないゆえに、彼らは依然として水俣への感傷的視座から脱出することはできはしないのである。(死民と日常)

は〜っ。あれから何十年も経った今なら、渡辺京二氏に反論を試みてみる気概も少しは生まれたかもしれません。でも、二十代の私はこの文章を読んで、まさに自分に向けて書かれたものだと何ものかに射貫かれるような思いでした。渡辺京二氏にはその後「真宗寺講義」で何度か直接お目にかかりましたが、この件に関してはついに自分の考えを問うてみることはできませんでした。というより、この一文で完膚なきまでに叩きのめされていたのですから、もとより問えるはずもありません。

時が流れ、世界情勢も変わり、「田舎」が持つ役割や魅力も変わりつつあります。それに今を生きる若い世代の人々が「都会」の論理ではない全く新しい世の中のあり方を「田舎」から創造し始めている数多くの例も見聞きしています。たとえば、先日Twitterのタイムラインに流れてきたこちらの記事のように。

地方に移住してわかった、3つの良かったこと・困ったこと | MACHI LOG

ですからこれから先の「田舎」のありようが、数十年前に私が体験したような価値観の中だけでこの先も続いていくとは思えないし、思いたくもありません(それこそ「センチメンタリズム」ですよね)。それでも冒頭のような記事に接すると、つい「暗い嘲笑」がこみ上げてくるのを抑えることができないのです。この「変わらなさ」は、特に年寄り世代の頑迷さはどうしたものかと。現在の年寄り世代だって、かつては渡辺京二氏が描写した、都会者には「桃源郷と観じられる水俣を捨てて出郷」する「青年男女たち」でもあり、なかには「変えよう」と思った人もいたかも知れないのに。それでもやはり歳を重ねるごとに「田舎」に少しずつ心を許し、やがてはその頑迷さに取り込まれて行ってしまうのでしょうか。

私はそれでも、ゆくゆくは仕事からフェードアウトしながら「田舎」での暮らしに再度チャレンジしてみたいと思っているのですが、この「変わらなさ」では難しいかなあ……むしろ台湾の農村や離島あたり(若い人がいろいろな試みを活き活きと行っています)の方が実現しやすかったりするかも知れません。

*1:日本中の「田舎」がひとしなみに同じとはいえないでしょうから、「都会」に対する「田舎的な地域社会」という意味をこめてカッコ書きにしておきます。

*2:ここは水俣病患者運動の支援や、水俣病関係の資料を集めて研究・展示する活動をしていました。

*3:口コミがものすごく発達しているのです。

*4:当時、私はすでに結婚していましたが、男女の役割についての旧態依然とした考え方一つ一つがストレスになりました。

*5:なにせ祖父母の代からこの集落に住んでいても「あの家は〇〇もんじゃけんな」と分け隔てられるのですから。

*6:形ばかりの寄り合いが開かれ、延々議論のようなものをおこなうものの、最後は必ず集落の長老的人物による鶴の一声で決するなど。

*7:Amazonマーケットプレイスで旧版がまだ手に入るはずです。また新編の『民衆という幻像: 渡辺京二コレクション2 民衆論』にも収められています。

*8:当時の私は、若者にありがち(?)な「義憤」から自分を「民衆」の側に立つ人間だと自己規定していました。当節の佐々木俊尚氏がおっしゃるところの「マイノリティ憑依」だったわけですが、周囲からは「大学まで出ておいてそれはないわ」とあっさり一蹴されました。

*9:これら四編の初出は1972〜3年、私が悶々としていた時代のさらに20年近くも前です。

ポイントという「損得」のダークサイド

ポイントカードが苦手です。

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http://www.irasutoya.com/

お店ごとに発行されるあの類のカードを何枚も持ち歩くのがいやで、なおかつ最近は可能な限りクレジットカード支払いにして「キャッシュレス生活」を目指しているのでポイントがつかないことも多く、ますますポイントカードから縁遠くなりました。なにより、ポイントという「損得」のダークサイドに堕ちると心穏やかでいられなくなるというのが最大の理由です。

心穏やかでいられなくなるのは、どうせポイントが貯まるならあの店で買わなきゃ損と、わざわざ遠回りしたり、本当に欲しいものを変更したり、たまさかポイント五倍セールなどがあると今日は買うのやめて明日にしようなどと行動を変えたり、もう少しでポイントが貯まって特典が得られるからこれも買っちゃえと無駄な出費をしたり……、とにかく身も心もそのポイントカード発行店の虜囚になってしまうからです。

多少の「損得」の幅はあっても、買いたいときに買いたいものを買いたいだけ買う、それだけ! と泰然自若としていればよいのではないかと思います。お前は経済観念が希薄なのだと言われてしまえばそれまでですが、んな、十円、二十円、あるいは数百円単位の「損得」に惹かれて常に頭の中で計算をめぐらし、少しでも「損」をしないように立ち回る生活なんて、私にはとてもストレスフルで耐えられないんです。

同じような理由でマイレージにもほとんど興味がありません。マイレージは知らない間に貯まっていくから別に煩わしくもないですが、それでもどれだけ貯まったかなと常に気にしているとか、ましてやマイレージをためるためにあれこれ算段して行動するなど、頭が単純な私にはとてもできない芸当です。時折航空会社やカード会社から「貯まったマイルの使い道」みたいなメールが届くので、その時だけ自分のサイトにログインして、貯まっていたら適当な団体への寄付にあてちゃいます。

それから最近、ちょっと勘弁してほしいなと思っているのが、様々な店舗での「Tポイントカードお持ちですか」攻撃。かなり大きな買い物の時にも聞かれるので、Tポイントカードを持っていない私はそうとう「損」をしているんじゃないかと思われますが、そう思っちゃう時点でもうダークサイドに堕ちかかってる。だいたいこんなにあちこちで攻撃を受けるということは、それだけ「Tポイント陣営」に何か大きな「うまみ」があるということですよね。仄聞するにTポイントカードは市場でかなりの陣営を占めているみたいですから、例えば個人の消費動向とか行動パターンとかを把握するためにも使われていますよね、たぶん。

まあそれを言ってしまえば、私が普段使い倒しているクレジットカードだってSuicaPASMOなどの交通系カードだって同じような情報をどんどん提供していることにかわりはないんでしょうけど。とまれ、暮らしの中で心煩わせる事柄を少しでも減らして、そのぶん心穏やかに過ごす時間をふやしたいので、こまかい「損得」に目を奪われないようにしたいと思っています。もうこのさき生きている時間は限られているので。

ところで、これだけ書いておいて何ですが、私、近所のスーパー「オオゼキ」のキャッシュバックポイントだけは貯めてます。ここはカード支払いでもポイントがつくし、いつでも好きなときに好きなだけ支払いに使えるので。まだちょっとダークサイドに堕ちかかってます。

若者能

「若者能」を見にいってきました。

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wakamononoh.jp

能楽喜多流シテ方の塩津圭介師が中心となって、学生さんや社会人が実行委員会形式で毎年行っている能楽入門的なイベントです。入門編とはいえ、番組(プログラム)は解説に始まって舞囃子狂言、能と盛りだくさん&本格的。今年は舞囃子高砂」、狂言「清水」、能「羽衣」と新春にふさわしい演目が並びました。

ほかにもロビーでは、呈茶席や鏡板(舞台の奥にある松の絵の描いてある壁ですね)を模した背景がしつらえられた撮影スポット(「インスタ映え」します)、VRの技術を使った能楽体験(能楽師が舞台上で見ている風景を体験できます)、能楽のプロモーションビデオ上映などがそこここで行われており、上演中はLINEで(しかも日英2言語で)解説が入るという「至れり尽くせり」ぶり。若い方々が中心になっている実行委員会の方々のアイデアがふんだんに盛り込まれています。


若者能とは?


DO YOU KNOW? I WILL NOH

上演前の解説も、実行委員会の若いお二人で進行が行われ、能楽堂全体の照明を落として「まだ能楽に明るくない状態」から解説を始め、徐々に照明を明るくしていくという面白い演出でした。舞囃子が終わった後すぐに狂言が始まるのですが、その時に休憩のアナウンスが途中まで入っちゃった(本当は狂言が終わった後に入る予定だった)のもご愛敬。そして何より、そういう小さなミスも笑って受け止める観客の寛容さがとても心地よかったです。みなさん、このイベントの主旨をよくご存じだからこそ*1

また、このイベントが画期的なのは未就学児の鑑賞も大歓迎という点。塩津圭介師の言によれば、「未来の能楽ファンを今から養成」しちゃおうという「魂胆」だそうで、小さなお子さんが多少歓喜の声をあげたり、むずがったり、泣き出したり、うろちょろしたりしても、大目に見ましょうよというコンセプトです。いや、これもまた寛容の精神で実に心地よかったです。

正直、ふだんの私なら能楽堂でイビキかいて寝ちゃうおじちゃんとか、あめ玉の包み紙をガサガサさせるおばちゃんとかにいちいち「キーっ!」となって、お能の鑑賞どころではなくなることもあるほどの「非寛容」ぶりなのですが、今回ばかりはお子さんたちの素直な反応にかえって心が和み*2、感動が深まりました。

今回はネット上のコミュニティSUSONOでもイベントをご紹介して、関東圏や、遠くは名古屋からも見に来て下さった方がいたのですが、そのうちのおひとりはお子さん連れでした。楽しんでいただけたかしらん。そして、なにがしかが心に残って将来の能楽ファンになってくださったらいいですね。

個人的には能「羽衣 舞込」の終盤、天女が天に帰っていくところで、本当に空高く天女が舞い上がって小さくなって、それも微笑みながら手を振っているように見えて、天女の気持ち、それを見送る漁夫白龍の気持ちが手に取るように分かった気がしました。最近お能を正面一番前のかなり右寄り、ちょうどワキ柱の辺りから見るのが「マイブーム」になっているのですが、この位置から見ると、ワキ方の漁夫白龍と揚幕に消えようとする天女との遠近感がより強調されて、劇的効果が高く感じたようにも思えます。「羽衣」はこれまでに何度か観ていますが、今回は特に感慨深かったです。

プログラムが全て終わった後に、塩津圭介師と狂言方の野村太一郎師によるアフタートークがあり、さらには協賛企業からのお土産(和菓子)までいただきました。いやあ、本当に盛りだくさん。実行委員会のみなさな、素晴らしいイベント体験をありがとうございました。

「若者能」は来年も開催されると思います。運営スタッフも募集中とのこと。ご興味のある方はぜひこちらからどうぞ。
http://wakamononoh.jp/#anc02

*1:多くの協賛企業から出資を募り、一般客の入場料からも一部を充当して、25歳以下の入場料をなんと1000円に抑えているのです。たぶん出演した能楽師のみなさんも多少の「手弁当」があるのではないでしょうか。これは推測ですけど。

*2:切戸口から地謡のみなさんが出てくると「なんかでてきた!」、演目が終わって舞台がはけると「いなくなっちゃったね」など、じつにかわいいです。