インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

語学は素直がいちばん

語学関係の講師をするいっぽうで、みずからも語学の学習者として教室に通っていると、ほんとうに様々なタイプの生徒さんがいるなあと思います。言語の学び方は人それぞれですから一概には言えないのですが、長い間観察してきたなかで「これでは上達しないのではないかなあ」と思えるいくつかのパターンがあるように感じます。

「出羽守」さん

その言語が実際に話されている地域や人々を引き合いに出して「○○では」を語るのがお好きです。「教科書ではこんな風に書いてあるけど、実際に現地の人たちはこんな風に言わないよ」などと言って、とにかく「ネイティブっぽく」ペラペラと話せることを目指していらっしゃる。標準的でフォーマルな言葉遣いに一種の反感を持っていて、文法を軽視しがちなのが特徴です。

「引っ込み思案」さん

とにかく授業で当てられたり発言を求められたりすることを極端に嫌がります。例えば会話練習で「何人家族ですか?」と聞くと「独身ですから」とか「プライバシーに関することはちょっと……」と会話が続かなかったり、ロールプレイをしてもすごく居心地が悪そうで、語学にある程度必要だと思われる「芝居っ気」がありません。

そこまで極端ではなくても、「理解できましたか?」「分からないところはありませんか?」と語りかけても無言という方はかなり多いですね。これは日本人だけでなく最近の華人学生にも多いです。教科書や、スクリーンを立てた電子辞書の後ろに隠れるようにして座っている方も散見されます。まあこれらは別に教師を無視しているわけではなく単に「恥ずかしがり屋」さんなだけなんだと思いますけど。

「すぐに諦めちゃう」さん

上と似ていますけど、ちょっと発音でつまづくと、あるいは文法が込み入ってくると、「やっぱり私はこの言語に向いてない」とすぐに諦めちゃう方です。最初から完璧にできるなら語学教室に通う必要はないんですけど、できない自分が許せないんですね。「まだまだ基礎がしっかりしていないから」と上のクラスに上がらず、いつまでも入門や基礎レベルのクラスを繰り返す方もいらっしゃいます。これは……

「理詰めで考え過ぎちゃう」さん

……とも言えるかもしれません。でも語学の上達というのは、絵に描いたように一直線で分かりやすいものではないです。あれこれ穴や抜けている点がありながらも「清濁併せ呑む」感じで前に進んでいくのがたぶん正解で、すべてをクリアにして完璧にこなさなければ前に進めないとなったら、たぶんいつまで経っても習得はおぼつかないでしょう*1

穴があっても、不完全でも一生懸命先に進む。進んでいくと、あとから「ああ、あれはこういうことだったのか」とじわっと染みるように、あるいはパズルの欠けているピースが埋まるように分かってくることも多いのです。入門時に、ご自分のお名前の漢字を中国語読みされちゃうのが納得いかないとおっしゃる方も時々いらっしゃいますが、「う~ん、そこからですか?」と、こちらはもう天を仰ぐしかありません。

qianchong.hatenablog.com

思うに、完璧でないと許せないタイプの方は、一見謙虚なようでいて、その実とても頑固で見栄っ張りなのかもしれません。だって完璧でない自分を許せず、そういう無様な自分をさらけ出すのがいやなのですから。語学はある意味、トライアンドエラーを繰り返して心折れることの連続なので、そういう方が語学に取り組むのはつらいんじゃないでしょうか。これは先日書いた「メンヘラさん」と同じかもしれないですね。

qianchong.hatenablog.com

「最小限のリソースで最大限のリターンを」さん

ちゃちゃっと手っ取り早く語学をマスターしたいという方です。とにかく自分の持ち出しは最小限にしたいいっぽうで、最短距離で目標を達成したい。通訳学校で無料公開講座を開くと、Q&Aの時間に「ここに通ったら何ヶ月で通訳者になれますか?」といった質問をされる方がよくいらっしゃいます。また音読や発声練習・発音練習でも口元のマスクを外さず(お風邪を召しているならともかく)声を出さない、あるいは蚊の鳴くような声しか出さない方もいらっしゃいます。もうね、大きな声を出したら負け、みたいな。

あと、宿題を出すと「ええ~っ」、テストをすると言うと「ええ~っ」という感じで、なるべく面倒なことはしたくないという方も多いですね。そこは逆に燃えていただかなくては。単語を覚えてくださいねと言われても覚えてこないとか、音読してきてくださいねと言っても音読してこないとか、一日五分でもシャドーイングしてみましょうと言っても五秒すらやらないとか、とにかく全然努力をされないのです。その言語を習得したいと思っているにも関わらず(いや、本当に習得したいと思ってはいないのかな)。

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https://www.irasutoya.com/2014/09/blog-post_524.html

素直であれ、愚直であれ。

世上よく歳を取ると語学を習得しにくいなどと言われますが、私に言わせれば年齢はあまり関係ないと思います。

語学習得の秘訣のひとつは「素直であること」です。先生に「大きな声で」と言われたら大きな声で発音する。単語を覚えてきてと言われたらその単語を覚えてくる。ロールプレイをしてみましょうとなったら、その役になりきってみる。スティーブ・ジョブズ氏の“Stay hungry, stay foolish.”にも通じるかもしれませんが、そういう素直さ、愚直なまでの素直さがあるかどうかが鍵だと思います。まあこれは語学に限らずどんな技術も同じかもしれません。

私はどちらかというと頑固な性格なんですが、こと語学に関してはとにかく「素直であれ」を肝に銘じてきました。いや、肝に銘じるというほど自分に強いたことはないかな。嬉々として先生方の言うことに従ってきたという感じです。そういう意味では、歳を取って「頑固になったじーさんばーさん」には語学は向かないかもしれないですね。

中国語の発音練習で四声の「mā má mǎ mà」をやるときなんかも、みなさん元気のない声でやっている中、ひとりだけ声を張り上げていて、「はい、みんなもっと声を大きく~!」と注意する先生から「あ、あなたはもう少し小さくていいから、そのぶん丁寧にね」と言われたことを覚えています。

通訳案内士試験の対策講座に通っていて、講師の先生が分厚い単語集を示して「これからこの本の単語すべてを覚えてもらいます」と宣言されたときも、周囲の「ええ~っ」という声の中で私はひそかに興奮していました。こんなに膨大な単語を覚えるなんてスゴいではないか、さすがプロの通訳者は違う、私もぜひそうなりたいと身震いしていたのです。

いささか自慢めいてきましたからこの辺りにしておきますが、とにかく語学は筋トレのようなもので、筋肉をつけるには近道もショートカットも裏口もないのです。ただ素直に愚直にウェイトを上げ続けるだけ。ただし、もちろんその際には、トレーナー=講師の教学方法・メソッドが信頼に足るものであるという前提が絶対に必要ですが。

ですからちょっと矛盾するようですが、講師に誠意がないと感じたら、失礼だとか申し訳ないだとか思わずにさっさとクラスや学校を変えた方がいいと思います。例えば始業時間に遅れてくるとか、声が小さいとか、名前をいつまでも覚えないとか、思いつきで喋っているように感じるとか、ですね。

そして誠意があって信頼できると感じた講師に巡りあったら、素直に愚直に「言われたとおりにする」のです。注意深く聞いていると、講師は必ず「アレをしてください、コレをしてください」といろいろな指示を出しています。それを聞き逃さないことが大切です。その意味でも、語学講師の責任は重大ですよね。

*1:余談ですが、フィンランド語の文法にはなかなか奥深いところがあって、「私はフィンランド語を話します」は“(Minä) puhun suomea.”となって、“suomiフィンランド語)”という単語を「分格」の“suomea”に格変化させるんですね。分格というのは、言ってみれば物事を「分ける」、つまりある物事の一部であることを表す格で、これはつまり「フィンランド語を話す」とは言っても、その言語まるごと全部完璧に話す人間などいるわけがないという世界観に基づいているのだと思われます。なんとも示唆に富む考え方ではありませんか。