インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

日本語読みで呼ばれたい?

昨年の8月、東京新聞の投書欄にこのような意見が載りました。

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確かに、例えば私の苗字である「徳久(とくひさ)」は、英語だと“Mr. Tokuhisa.”と呼ばれる*1のに、中国語では“徳久先生(Déjiǔ xiānsheng)”と「徳久」の漢字が中国語読み(カタカナでは正確に表せませんが「ダァジゥ」という感じ)されます。投書をされた方はそれがイヤ、ということなんですけど、英語の状況を中国語にもそのまま持ち込むのはどうかな、と思いました。

理由は、①「ダァジゥ」のようにカタカナでの「固有の読み方」には限界があり、読んだところで正確でもないし原語尊重にもならない、②人名は様々な例外があり読み方の統一は却って混乱を招く、などです。

中国人名(華人名)の読みのややこしさについては、こちらの記事をご覧ください。「死ぬほど」面白いです。
blog.livedoor.jp

それから十日あまり経った頃でしたか、この投書に対する賛否両論が載りました。

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上の方のような統一性と利便性を説くご意見はTwitterでも多く見られましたが、これはもう、声調の存在をはじめとする中国語の実相や、実際の中国人の言語生活に触れてみてくださいと申し上げるしかありません。

漢字を共有していても、いや、共有しているからこそ、それぞれの文化で異なる音や解釈が生まれ、時に面倒くさくて複雑ではあるけれど豊穣な世界を生み出している。統一性や利便性など気持ちよく斉一な方向に持っていきたいのは分かるけど、もっと現実の人間の営みと言語の実相を見つめるべきではないかと感じました。

ほんとうの国際理解、異文化理解、異文化交流とは、互いに異なり複雑な現実を踏まえつつ、受け入れ、時に清濁合わせ飲みながら落としどころを探ることであって、気持ちよく斉一的な方向に持っていくことではないと思います。

この点、様々な国や地域からの留学生が集まっている学校の、教室での風景には本当に学ぶべきところが多いです。良くも悪くも「グローバル化」しつつある世界で育ってきた若い世代のみなさんは、その多くがオープンマインド、かつ細やかな配慮を知っています。外語を学ぶ意義を如実に体現し、私たちに教えてくれているのです。

この若い方々の寛容さに私たちは学ばなければなりません。例えばこちらのユーチューバーさん、中国語を軸に多様な言語間でここが違うね、ここは似てるねと素直に相手を認めあってるのがいいな〜と思います。

t.co

シャンシャン騒動

ところで、中国語の発音というのはなかなか厄介で、つい最近もこんな「騒動」がありました。騒動というほどのものでもない、どちらかというとほほえましいハプニングですけど。

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……と思っていたら、年が明けた1月5日、なんと去年の8月に最初の投稿をされた方が、この「香香・杉山」問題に再「参戦」。さらにそこから十日ほどして、この投書対する意見が二つも投書されていました。う~ん、みなさんこだわってらっしゃる*2……というか、東京新聞の編集子がこだわってるのかな。

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やはり英語で“My name is イワムラ”というのだから、中国語でも“我姓イワムラ”と言いたい、ということですね。

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「中国人が読める漢字で書け」というのは面白いですね。例えば“伊瓦穆拉”とかね*3華人が聞くと、漢族でも日本人でもなく少数民族の方だと思われるかもしれませんが。

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アルファベットを中国語に混ぜるのはどうだということですね。確かに最近はそういう文章も増えてきましたし、特に若い世代の華人は、中国語の文章にアルファベットを混ぜるの、あまり抵抗はないみたいです*4。でもローマ字だからってお望み通りに読まれるとは限らないですよね。例えば“Sugiyama”だって、「スヤマ」とか「スッグイヤマ」などと読まれてしまうかもしれません。結局はみんな母語の影響から逃れられないんですから。それも無意識のうちに、脊髄反射のうちに。

最初の投書をされた方が繰り返しおっしゃっているのは、要するにアイデンティティの問題なのだと思います。が、お前は確固たる自分というものがないのかと叱られそうだけど、異文化理解や異文化交流、あるいは外語の学習って、アイデンティティを揺さぶられるから面白いんじゃないでしょうか。

中国語の入門クラスを教えていたときも、ときどき「日本語の姓名を中国語読みされるのがイヤ」とおっしゃる方はいらっしゃいました。でも私自身はというと、初めて中国語を学んだとき、単純にもうひとつ読み方ができて楽しい、面白いと思い、アパートの表札にまでピンイン(中国語の発音を表すアルファベット表記)を出しちゃったくらいのお調子者です。

留学生の事務手続きで入管に行き、順番を待っていると「徳(とく)さ〜ん、徳久圭(とく・きゅうけい)さ〜ん」と呼ばれ、嬉々として「はいはい、徳です」と応じたこともあります。この話はその後たびたび授業の「ネタ」として活用させて頂いています。さらには中国名「銭衝」まで自分につけてしまいました*5。そんな私ですから「中国語でも名前を日本語読みして欲しい」と仰るそのこだわりがよくわからないのです。まあ、英語の先生でいらっしゃるからかな。

以上のようなことを複数の華人に話して意見を求めてみたら、やはり華人にとっては漢字と音が分かちがたく結びついているので、母語の音で読まないと何も印象に残らず、深い理解に達することはできないそうです。この点、漢字だけですべてを語る華人の言語世界に我々はもう少し想像の翼を広げてみたいところです。そして華人は漢字だけでおちゃらけたことから難解なことまで語るとのだいう点についても。実はこの点が、我々日本語母語話者が一番体感できていないところではないかと思っています。

最初の投稿をなさった方には、ぜひ中国語を学んでみていただきたいと思います。……と、あれ、すでに学ばれていたんでしたっけ。困ったね……。

*1:実際には“Toku…what?”などとなって、きちんと呼んでいただけたことは皆無ですが。

*2:年配の男性ばかり、というのがなんとも象徴的ではありますが。

*3:これで中国語(北京語)では「イーワームーラー」に近い音に聞こえます。

*4:昔、中国語を学び始めた頃、“东京Dome”(東京ドーム)と書いたら中国人の老師(先生)に「そんな中国語はありません!」とおこられました。

*5:留学していたとき、中国人の友人に「チャイニーズ・ネーム」が欲しいんだけどと言ったら、彼女のお父様が私をじっと見て「うん、君は“銭衝”という顔をしてる」と授けてくれたのです。