インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

中国人のたくましいところに学ぶ

昨日Twitterで拝見した、こちらのツイート。

なるほどなあ、確かにこういうのが中国の人々のたくましくて融通無碍なところだなあと改めて感じ入りました。日本だったら業務範囲外の仕事を個人で受けて稼ぐってのはルール違反じゃないか~みたいなことになって、自他ともに規制が働くところですけど、中国の人々はこの辺のフレキシビリティが半端ない。これ、田中信彦氏の日経ビジネスオンラインでの連載『「スジ」の日本、「量」の中国』にも通底するお話かと思います。

通訳学校に通っていたころ、日本における通訳業界のルール、というか暗黙の了解として、「仕事は必ずエージェントを通して受注すること。クライアントと直に取引しないこと」と教わりました。エージェントというのは通訳者や翻訳者の派遣業者です。個々の通訳者や翻訳者はこうしたエージェントに複数登録して、そこから仕事のオファーをもらうことになります。

エージェントは、要するに中間マージンを取っている存在ですから、そこを介さずに直接クライアントと取引した方が、クライアントも通訳者もハッピーなんじゃないの、と思われがちですが、実際にはそうともいえません。

エージェントは仕事のオファー以外にもいろいろな役割を担っています。クライアントに営業をかけて仕事を取ってくること、資料の入手や手配(バイク便で刷り物を送ってくれたりもします)、スケジュールの調整(単に日程だけでなく、例えば一日の会議で複数の通訳者がいる場合、どのセッションを誰が担当するかなども。これによって予習の負担を軽減することができます)、出張の場合の交通手段の手配や、保険手続きなどなど。

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通訳者が個人で営業をしたり、飛行機や電車のチケットを手配したり、保険をかけたりという細々とした作業は大変で、それを肩代わりしてくれるわけですから、これは「もちつもたれつ」です。というわけで、通常通訳者は登録しているエージェントの数だけ、そのエージェントの社名が入った名刺を持っており、業務でうかがった先のクライアントには、個人の名刺ではなくエージェントの名刺を出すルールになっています。こうして、クライアントと通訳者が直に取引しないようにしているわけです。直で取引を始めると、早晩ダンピング合戦になり、回り回って通訳者自身の首を絞めることになる、という長年の「知恵(?)」も働いているのでしょう。

ところが。

最近はその通訳者とエージェントの関係が変わってきたように思います。その大きな要因は、このブログでも何度か書きましたが、ほとんどすべての案件が「仮案件」からスタートし、フリーランスで業務を行う立場の人間には極めて不利な状況が日常化してきたことです(中国語通訳業界についてのお話です。ほかの言語の状況はあまりよく知りません)。端的に言って、ほんの一部の方以外「食べていけない」状況になってきたともいえます。

qianchong.hatenablog.com
qianchong.hatenablog.com

第一線の「ハイエンド」といえるような一流通訳者の方々は、きちんとしたクライアントやきちんとしたエージェントと組んで質の高いお仕事をされているはずですが、問題は私のような中途半端な人間です。「安かろう悪かろう」ではない(つもり)だけれど、ハイエンドともいえない、そういうレベルにいる通訳者は、片方で「仮案件&リリース」を主因とするクライアントとの関係変質に悩み、もう片方で「直でどんどん仕事を取っていくぜ」的な抜け駆け系にもなりきれない。要するにどっちつかずなわけです。

吉川幸次郎氏の『支那人の古典とその生活』冒頭に、こんな文章があります。

支那人の精神の特質は、いろいろな面から指摘出来るでありましょうが、私はその最も重要なもの、或いはその最も中心となるものは、感覚への信頼であると考えます。そうして、逆に、感覚を超えた存在に対しては、あまり信頼しない。これが、支那人の精神の様相の、最も中心となるものと考えます。(「支那人」の表記は原文ママ

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支那人の古典とその生活 (1964年)

なるほど、だから現実のチャイニーズに接しても、良くも悪くもゴリゴリとしたリアリズムを感じるのですね。冒頭でご紹介したツイートでもうかがい知れるように、国とか政治とか、ましてや「業界の秩序」なんてぼわっとした概念の世界など信じない。自分が実際にいまここでこの手にできる、手触りを感じられるものをまずは優先し、信頼すると。う~ん、これはこれでカオスというか、秩序など脇に追いやった弱肉強食の世界のような気もしますが、こういうバイタリティにも学ぶべきところはあるのではないかと思いました。見習って、私も私なりに精進いたします、はい。