インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

自分を護るために降りる

私が勤務している職場の図書館には、処分されることになった蔵書を並べて、学生や教職員が自由に持ち帰ってよいというサービス(?)を提供するコーナーがあります。私はかつてここで飯塚朗氏の『中国故事』(角川選書)や木下順二氏の『中野好夫集』(日本の随想シリーズ)、あるいは松本清張全集の『日本の黒い霧』など個人的にはけっこうな「お宝本」をたくさん頂いてきたので、図書館に行くたびに立ち寄ります。

昨日はこのコーナーで中島義道氏の『醜い日本の私』(新潮選書)を見つけて、さっそく読みました。氏の『うるさい日本の私』はかつて読んで大いに共感した私ですが、この本も(氏の徹底した考察と行動にいささか恐れと同情を抱きながら)やはり「本当にその通りだよなあ」とうなずきながら読みました。


醜い日本の私

氏が議論の俎上に乗せているのは、電線や看板や誰も読まない標語などが溢れ返る日本の街の美醜に関する問題(これは『うるさい日本の私』でも論じられています)、日本人と日本社会に潜んでいる「押しつけがましさ」の問題、一見ていねいかつ高度なようでいてその実人間を人間視していないかのような「奴隷的サービス」、あまりにも軽い言葉への信頼などなど多岐にわたります。

そのどれもが、多かれ少なかれ自分も日々感じていたことであり、なおかつそれらが明確に言語化されていたので、大いに共感しました。が、同時に、これでは容易に精神を病んでしまうだろうなあ、中島氏のように自らの言葉で言語化した上で客観的に自分を見つめることができる方以外は……と思いました。

いや、その中島氏でさえ「自分が確実に精神的に退化していくのに気づいてはっとした」、「これは、疑いなく病的に凝り固まり、危険な症状だなあと思った」と書かれています。たとえばこんな感じです。

廊下をサンダルで(たまには靴でも)歩くとき、踵を床にこすらせてペッタンペッタン餅つきよろしく音を立てる人がいるが、室内に居るときはその音が通過するあいだずっと私は耳を塞いでいる。廊下の途中で涼しい顔でペッタンペッタン歩いてくる教授と出くわすときは、さすがに耳を塞ぐわけに行かないので、一通りの挨拶をすると彼の鈍感さが無性に憎くなる。危険だなあと思う。「こんな私に誰がした!」と叫びたくなる。(196ページ)

何を些細なことに目くじらを立てているのか、と思われるでしょうか。でも正直に申し上げて、私もまったく同じなのです。おそらくここ十年くらいの間に亢進したようだと自分では感じていますが、私はこうした些細な事柄にかなり敏感になってしまい、特に人の多い東京で暮らしているとそれが時に耐えられないレベルにまで至って、心身ともに疲れ果ててしまうことがよく起こるようになりました。中島氏はこうも書かれています。

こんな過敏な自分こそ病的ではないか、大多数者の感受性とこれだけずれている私はやはり「おかしい」のではないか、と思うようになってしまうのだ。(197ページ)

総じてこの間私は、人の多さそのもの、さらには人の多さから自ずと発生する多種多様なノイズに耐えきれなくなっている自分を発見していました。若い頃にはなんとも感じていなかった些細な事柄に苛まされ、それが身体の不調として現れるまでになってしまったのです。

とはいえ私は中島氏ほどアグレッシブに抗議を行ったり問題の本質を考察したりということもできず(せず)、ただ消極的な解決策というか自衛策としてなるべく早朝に職場へ来るとか(朝の6時半には新宿に着いています)、外部からの刺激をカットするべくカナル式のイヤホンを常時装着して自分とスマートフォンだけの世界にこもるなどしてきました。


https://www.irasutoya.com/2018/08/blog-post_51.html

それでも最近、自分でも心底これは「危険だなあ」と感じて数日考えたのちに、まず自分がいま抱えていて処理しきれなくなっているいろいろなことから、いったん「降りる」ことにしました。私はかつて体育が苦手科目でしたが、にも関わらずどちらかというとスポ根的な体質があって、中国語の“堅持到底(物事を諦めずに最後までやり抜く)”あるいは「あきらめたらそこで試合終了ですよ」的なものを信奉してきた人間なんですけど、これ以上手をこまねいていると本当に危険なことになると思ったのです。

いろいろなことから降りれば、それ相応にこれまで関わりのあった方々とのご縁が切れてしまうことにもつながります。だからこれはこれでけっこう辛く、悲しいことでもあるのです。それでも、最悪の結果を招く前に自分を護ろうと思いました。これもまた、歳を取るということのひとつの側面なのかもしれません。