インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

批判はもちろん必要だけれども

先日このブログで、「あなたの家で食事を作っている人は男性ですか、女性ですか」という世論調査の問いに対して、「女性」と「どちらかといえば女性」を合わせると実に94%もの高率になるという新聞記事を紹介しました。つまり、ほとんど炊事をしない男性が大多数なんですね。

まあ炊事を含めて家事をどうこなすのかは、その方ご自身や世帯を構成しているメンバーの状況によって様々な選択肢がありえますから、基本的には人様のお宅のありようにあれこれ申し上げるのは「大きなお世話」です。それでも長期的に見れば生活の質に大きく関わってくると思われる「食」に対して主体的に考え、手を動かそうとしないのはもったいないなと個人的には思います。さらには、こんなに楽しいことをなぜやらないのかという素朴な疑問も(それこそ大きなお世話ですが)。

ですから、例えば何かの学問の先生とか、論壇の論者さんとかで、かねてからそのお説に共感し、私淑しているような方が家事、なかんずく炊事を軽んじていたりすると(自炊はしたことがありませんとか、インスタントラーメンくらいしか作れませんとかね)、ものすごく残念に思ってご著書を読むのをやめてしまったりします。偏見だとは思うんですけど。

あと、愛煙家だったりするのもがっかりします。これを言い出すと往年の作家などほとんど読めなくなってしまうのですが、「往年」ならともかく、ここまで煙草の害が明らかになり、社会的にな問題にもなっている現代においても、タバコという一種の中毒から逃れようとしない程度の精神でなにか高邁なことを言われても、なにかこう白けた雰囲気が漂ってしまって、それ以上お説を拝聴する気になれなくなるのです。

f:id:QianChong:20210816153902p:plain
https://www.irasutoya.com/2015/11/blog-post_578.html

ただし。残念に思ったり、がっかりしたとしても、それ以上自分のネガティブな感情を育てないようにしようと気をつけてはいます。炊事をしない=世間知を知らない、とか、タバコを吸ってる=自己管理ができない、とか、いくらでもその人を攻撃するための砲弾が装填されてしまいそうになるんですけど、それは明らかに行き過ぎですし、単に溜飲を下げて快感を得たいだけじゃないか思うからです。

どなたにだって(もちろん自分にだって)暮らしの中で至らないところはあるし、なかなか変えられない習慣もあります。でもSNSのタイムラインなどを眺めていると、自分にもそういうところはあるかもしれないという内省をまったく働かせないまま白か黒かで一刀両断している意見(というより罵詈雑言)がけっこうな数で流れてきます。

実のところ私も昔はそういう「作法」に基づいて溜飲を下げていたような時期がありました。でも最近はなるべくそういう「作法」には乗っかるまいと自らを戒めています。もちろん「おかしいことはおかしい」と批判(悪口と批判は異なります)することは大切です。でもそこには、特にSNS上では、一片のユーモアや諧謔を交えるくらいの半歩、いや四分の一歩くらい引いた姿勢ないしは余裕がいるんじゃないかなと思うようになったのです。

ありきたりな結論ですが、これもまた歳をとって少し角が取れてきたということなのかもしれません。そういえば、昔の自分だったら「炊事をしない? もう読まない!」とか「タバコ吸ってる? 書棚にあるこやつの本は全部ブックオフ行きだ!」みたいな脊髄反射で済ませていたところが、最近は改めて読み直してみて「でもやっぱりいいことも言ってるなあ」と思うこともあるようになりました。