来日中のIOC(国際オリンピック委員会)バッハ会長が「日本人を中国人と言い間違えた」というニュースが、Twitter上で炎上していました。
news.yahoo.co.jp
多くの方がこのニュースを引用して憤慨されていましたが、「中国人と間違えるなんて!」という憤りの後ろに隠れた蔑視の意識に無頓着なのではないかと思えるツイートも多くて、気になりました。
随分前のことですが、ヨーロッパの街を歩いていた時に、すれ違いざまに「中国人!」との声を浴びせられたことが何度かあって、その時に「中国人『なんか』じゃない!」と反論したくなった自分の中に蔑視の意識を発見したことを思い出しました。
この件についてはTwitterで、こんな意見をいただきました。
結論、底意をもって「チーノ」と言われたら、「No.」とはっきりと相手の眼を見ていうことにしています。それは相手の差別意識に対する反射であり、中国人と一緒にしないでという意識は全くないからです。欧州でも同じスタンスです。
— Mitsuhiro Iwata (@kaito_ango) July 14, 2021
なるほど、そうした差別に対する抗議は正当なものですし、なされるべきものでもあると思います。ただ私自身に関して言えば、あのとき、私は確かに「中国人と一緒にするな」という点で憤慨していたと思います。すぐにそのおかしさに気づきはしましたが、少なくとも一瞬、「私が日本人であるということを知れば、そこまでの蔑視は向けられないに違いない」という根拠のない優越感(? ……と差別の裏返し)を抱いたことは間違いありません。私はそこに自分にも抜きがたく受け継がれてきてしまっている中国人蔑視ないしはアジア人蔑視の痕跡を見つけて慄然としたのでした。
この件に関してはまた、こんな意見を述べている方がおられました。
バッハ会長の言い間違いは「日本住民の命が軽んじられてる」ことの象徴だけど、発言への批判が「嫌中感情を吐露するための格好のアリバイ」(栢木 2019:108)になってる人がいてそれが怖い
— じゅりあん@ふれる社会学 (@Juli1juli1) July 13, 2021
バッハ会長痛恨 日本人と中国人を言い間違い「最も大事なのはチャイニーズピープルhttps://t.co/X1mIpX2iqg
なるほど、「嫌中感情を吐露するための格好のアリバイ」と。確かにその通りです。自分は日本人であって中国人ではないという点に異論を差し挟む余地はないので、その一点をもって抗議の声をあげることには何の留保も要りません。しかしそこに常日頃からの嫌中感情をちゃっかり紛れ込ませて「(あんな)中国人(なんかと)一緒にするな」と言っていないかどうか、きびしい検証が必要ですよね。
追記
ところでバッハ氏が「日本人を中国人と言い間違えた」ということ自体は、まあそんなものだろうなとも思います。ちょうど動画が上がっていましたから確認してみましたけど(7:40頃から)、私には単なる言い間違い以上のものは感じられませんでした。
それでも、そんな言い間違いをうっかりしてしまう背景には壮大な利権と陰謀が秘められているのだという意見もあります(例えばこちら)。また、開催しようとしている五輪を目前に控えてその国を訪れているIOCのトップがそんな認識であるというのも仰天ではありますが、アジアから遠く離れた場所の一般の人々が、例えば日本と中国と韓国の区別がついているかといったら、かなりの方がついていないんじゃないかと想像します。
私たちだって、例えば南米のウルグアイとパラグアイの区別とか、地図上で隣り合っているベネズエラとコロンビアとエクアドルを正確に指し示すとか、お仕事などでその地域に関係している方以外には至難の業でしょう。私は学校現場で日々留学生に接していますが、今年度はエルサルバドルからの学生がいて、あわてて地図でその位置や背景知識(首都や通貨や産業や文化・歴史など……)を確認したくらいです。
ちょっとうろ覚えですが、かつて1997年に「香港返還」があった際、香港の位置を地図上で指し示すという「課題」に、多くの人が海南島や台湾や、はては北京やグアムやハワイなどの位置を指差した……というようなニュース番組があったように記憶しています。これも当事者からすれば噴飯物だったでしょうね。