東京はまだ梅雨明けしていないようですが、すでに猛暑の夏を思わせる蒸し暑い日々が続いています。私はとても汗っかきなので、朝ジムに寄ってから職場に行くまでTシャツ一枚でやり過ごし、職場で着替えて仕事を始めるようにしています。うちの職場はさいわい服装に縛りはないので、ほとんどポロシャツにジーンズかコットンパンツ、スニーカーといういでたちです。
ポロシャツという一応「襟つき」の服を着ているだけでも私としてはかなり「フォーマル」なほうで、本音はTシャツにショートパンツ、サンダル履きで仕事をしたいくらい。でもそこはそれ、私も同調圧力にとても弱い日本人なので、そこまで攻めの姿勢に出るほどの勇気がありません。
それに数少ない男性の同僚諸氏は(語学学校って、なぜか男性の職員や教員がとても少ないんですよね)みなさんノーネクタイではあるもののビジネスシャツにスラックス、革靴姿なのです。みなさん優しいので何もおっしゃいませんが、ひょっとしたら内心「教師がポロシャツにジーンズ、スニーカーってのはいかがなものか」と思ってらっしゃるかもしれません。いや、それは自意識過剰で、みなさん他人の服装にそこまで興味はないのかもしれませんが。
しかしこの私も、かつて(若い頃)はもう少しお堅い格好をしていたのです。ビジネスパーソンならこうでしょ、みたいな自己ルールをなぜか自分に課していて、スーツにネクタイ、革靴はもちろん、シャツも半袖は着ない、腕まくりはしない、ソックスも夏でもロング……と、今の自分だったら「冗談でしょ?」とツッコミを入れたくなるような頑張りかたをしていました。
真夏でもスーツの上着を持参していました(さすがに羽織らないけど、腕に抱えていた)し、スーツ姿でデイパックなんてあり得ないと思っていましたし、重い腕時計も欠かさずにつけていました。なんだったんだろうなあ……あの、何かのファッション雑誌で習い覚えたようなトラディショナルないでたちを墨守していた自分の感性は。しかもこの、すでに亜熱帯気候といっても過言ではない東京の夏であってさえ。
いや、逆に東京の夏が既に亜熱帯気候といっても過言ではないレベルにまでなってきたから、ついに身体が音を上げてそういうこだわりを一つ一つ解除してこられたのかもしれないですね。あとはなんといっても歳を取って、もうあんまりカッコつけ(られ)なくなってきたからというのも大きいかもしれません。
いまや冒頭に書いたように、ほとんど毎日がポロシャツ(ときどきTシャツのこともあります)にジーンズ、スニーカーで、ネクタイをするのは通訳学校の講師としてたまに出講するときだけ(ここは学校の雰囲気的にまだそこまでカジュアルになれません)。それもノーネクタイで学校に行ってからネクタイを締める程度。腕時計は……スマホがあるのでいらないや、と使わなくなりました。
さっき「cakes(ケイクス)」で、いつも楽しく読んでいるおこめ氏の『タイの日常がぶっ飛んでる。』を読みました。そのなかで、タイの人々が他人の目など気にせず、自分が着たいものを着て、したいように振る舞うというお話が載っていました(この作品では毎回そんなタイの人々が登場します)。
この作品はタイでのお話ですけど、私は中国や台湾に住んでいる時にも同じような感慨を抱きました。いま現在ではかなり違ってしまっているかもしれないけれど、少なくとも私が暮らしていた頃は、この作品に出てくるような雰囲気が周りにあって、そのたびに「ああ、いいなあ」と思ったものです。そしていま、歳を取ってカッコつけ(られ)なくなって、日本にいながら同じような境地に近づきつつある感じがしているのです。
もっとも、いくら「人からどう思われるとかあんまり気にしない」とは言っても、「暑い! だから脱ぐ!」みたいなノリでお腹出しちゃう“膀爺”みたいなところにまで行くにはまだまだ修行が足りませんが。