インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

わが青春の台湾 わが青春の香港

担当している「東アジア近現代史」という授業で大東亜共栄圏について触れた際、日本による台湾統治の一環としての言語教育についても学び、その流れで酒井充子監督の映画『台湾アイデンティティー』のトレイラーを留学生のみなさんに見てもらいました。


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そうしたら、台湾人留学生のひとりが本編の映画を観てくれたようで、後日課題の発表にこの映画のことも盛り込んで話してくれました。いわく「日本語教育を受けた世代の日本語に圧倒された」。現代の台湾でも、こうした日本統治時代に日本語教育を受けた世代の方々はご存命で、留学生のみなさんも自身の周囲でそうした人々に接する機会は合ったと思います。それでもこうしたまとまった形で話される日本語を見聞きして、その流暢さにいろいろと感じるところがあったようです。

流暢というか、私の感覚では「折り目正しい」という感じなのですが、確かにこの世代の台湾の方々が話す日本語には、現代の私たちが既に失っている何かが残っているような気がします。それは、かつて台湾で働いていたときに職場にいた何人かのこの世代の方々からも感じられるものでした。そして、この世代の方々がそこまで流暢な日本語をいまだに話すことができるということこそが、かつて日本が50年間にわたって台湾を植民地統治した結果であるという事実を改めて私たちに突きつけるのです。

そんな日本統治下の台湾で育った世代のひとりで、のちに日本に帰化した作家・邱永漢氏の『わが青春の台湾 わが青春の香港』を読みました。台湾は台南で、台湾人の父と日本人の母の間に生まれた頃から説き起こして、東大で学んだ日本時代、戦後に台湾に戻って身を投じた独立運動、その後亡命した香港での暮らしと結婚、再び日本に赴くまでの半生を記したものです。

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わが青春の台湾 わが青春の香港 (中公文庫, き15-18)

氏の著作はこれまでにも何冊か読みましたが、後年「金儲けの神様」と呼ばれるようになってからの著作とはまた違った雰囲気が漂っています。しかも日本統治下の台湾における差別、大東亜戦争時の疎開体験、友人の口を借りて語られる広島の原爆投下、その後の帰郷、逃亡してきた国民党の腐敗ぶり、二二八事件と香港への亡命……と、東アジアのリアルな近代史が語られ、一気に読み終えました。文庫版には氏のデビュー作と言われる『密入国者の手記』も付されています。

この作品には、日本統治時代の台湾や「本土」日本における差別や、氏をスパイ扱いした日本の官憲についての描写も含まれていますが、全体として日本という国や日本人に対する怨嗟の声がとても少ないです。どんなに過酷で波乱に満ちた境遇であっても、それをなかば運命として受け止めて前に進もうとする若い邱永漢氏の姿が印象的でした。

もちろん日本語の文章も非常に味わい深い。「日本人」として日本語教育を受け、その後日本の最高学府に進み、さらには帰化までした氏ですから当たり前ですが、その文体の中にも私は、上述したような「折り目正しさ」を感じました。くだんの台湾人留学生にもお勧めしてみようかな。もし読んでくれたとして、はたしてどんな感想を持つでしょうか。