インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

「なにもない」に戻っていきたい

大学生の頃に、アルバイト先の女性スタッフ(別の大学の学生さん)とこんな会話をしたことがありました。血気盛んな私が「いつかこの世界に爪痕を残すような仕事をしたい」と言ったら、その学生は「えー? 私はできるだけ何も残さないようにしたいけど」と言ったのです。当時の私はその感覚がまったく理解できなかったのですが、それから何十年も経た今では彼女の言っていたことが何となく分かるようになりました。

昨日は趣味で続けているお能の発表会でした。目黒の喜多能楽堂で、午前中から夕方まで謡や仕舞や舞囃子など、日頃のお稽古の成果を披露するのです。新型コロナウイルスの影響で、舞台裏もいろいろと様変わりしました。みなさん基本マスクをつけて、舞台に出る直前に外す方が多かったですし、控室も飲食をする部屋と着替えをする部屋が別々に用意され、換気にも留意していました。もちろん能楽堂に出入りするときは名前と時間を記帳し、体温測定も。

お弟子さんの中にも、新型コロナウイルスの影響で公私ともに変化があり、今回は参加できなかったり、一部の参加にとどめたりした方が多くいたそうです。来年の発表会までにこの状況が収束しているとはとても思えませんので、こうやっていろいろなところと折り合いをつけていきながら、新しい形を模索していかなければならないんでしょうね。

私は連吟で「高砂」のワキを謡わせていただいたほか、いくつかの舞囃子地謡に入り、自らは「融」の舞囃子をつとめました。この「融」、途中に早舞(はやまい)という舞が入っていて、お師匠からは「月を愛でつつ、遊興の境地」でと言われていたのですが、お稽古ではまずは行き道を覚えたり、拍子のタイミングを間違えたりしないように気を使うのが精一杯で、とても「遊興」という感じではありませんでした。

それでも本番の二日前に行われた申し合わせ(リハーサルのようなもの)では一応間違いなく舞うことができ、その際に自撮りしたビデオを見て摺り足があまりできていないのと歩幅が大きすぎるのを反省して、本番ではなんだかあまり緊張せずに舞うことができました。「遊興」という感じではなかったものの、はじめてこの舞囃子を舞って「楽しいなあ」と思いました。終了後にお師匠からも「楽しそうに舞われていましたね」と言っていただきました。

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▲申し合わせのときの映像。

発表会ではプロの撮影師さんにDVD映像を撮ってもらうこともできるのですが、私はここ数年はお願いしないようになりました。申し合わせは自分で撮りますが、本番は、それほど明確な理由はないものの撮らなくもいいかなと思って。後学のためには撮っておいたほうがいいと思いますけど、私は昔から自分の過去の作品を残すみたいなのが、なんとなく苦手なんです。

学生時代から描いてきた絵とか、作ってきた彫刻みたいなものはすべて処分してしまいましたし、仕事の映像や音声(通訳してるところとか)も、学生さんの反面教師として供する以外のものは全く残っていません。それらはしかし、自分の体の中には記憶として残っているはず。そして、それだけでいいんじゃないかと思うのです。お能の舞も自分の身体の記憶として残っていくだけ。私が死んだら、その時点でこの世に何も残さずに終了。それでいいかなと。虚無的にすぎるでしょうか。

じゃあこうやって書いているブログはどうなんだというハナシになりますね。まあこれは過去の自分の文章を読み返して煩悶するために残してあります(過去も相当幼い文章を書いていましたけど、今に至るまであまり変わっていないなと思います)けど、これも人生を終えるときには消したいなと思っています。

お能はなにもない舞台から世界が始まって、最後はなにもない舞台に戻って終わります。こんなことを言うとお師匠からは怪訝な顔をされるかもしれないけれど、私はお能のこの「いさぎよさ」みたいなものが大好きで、そこに強く惹かれている人間です。だから自分も、この世にあるときには精一杯存在していたいけれど、最後は「なにもない」状態に戻っていきたいなと思うのです。