先日、Twitterのタイムラインでこちらのツイートを拝見しました。「政治報道の劣化が政治の劣化を招いた」。本当に、その通りだと思います。
菅総理の支離滅裂な国会答弁を聞いていると、7年8カ月もの間、1日2回の官房長官会見をこなしてきたとは到底思えない。政治記者の追及があまりに手緩かったのだ。この答弁能力でモリカケ桜はじめ数多の疑惑を言い逃れさせたことを大いに反省すべきである。政治報道の劣化が政治の劣化を招いたのだ。
— 鮫島浩 (@SamejimaH) November 4, 2020
政治報道のみならず、日本の大手メディアの劣化はかなり深刻だと感じます。ここのところの数日間も、NHKを始めとするテレビの毎正時のニュースや、各局看板の報道番組はいずれも冒頭から嬉々として(?)米大統領戦の詳細な分析をやっています。ある意味、ほぼアメリカの属国みたいな日本の政治の現状を如実に反映していると思いますし、もちろん大統領選の行方が国際社会や経済などに与えるインパクトも理解できます。
それでも、まるで自分の国の国政選挙が行われたときのような「はしゃぎっぷり」。普段どれだけ国政に関する報道をしているだろうかとを少しは省みる気持ちもないんでしょうか。まずは国内の諸問題を取り上げ、自分の国の今とこれからを見据えた報道をしようという矜持すらないのだろうかと思います。
https://www.irasutoya.com/2016/02/blog-post_49.html
こうした大手メディアに愛想を尽かしている層は多いと思います。私もいまや、新聞やテレビの報道はほとんど話半分という態度でしか眺めていません。コメンテーターが並ぶモーニングショーみたいなのはとっくに見なくなっていますし(もとより仕事の時間的に見られないんですが、朝活のジムのサウナで見ることがあります。毎度その低俗さに呆れます)、毎正時のニュース番組にも期待しなくなりました。
紙の新聞はまだ購読していますが、これは言ってしまえばほぼ「文芸的趣味」みたいなもので、ジャーナリズムとしてはもうほとんど期待していない自分がいます。文芸的趣味ならほかの媒体でもじゅうぶんに楽しめるので、そろそろ購読をやめようかなとさえ思っています。
教師を生業としていて、かつては学生に「新聞を読みましょう、新聞読まないとバカになりますよ」的なことを吹聴し、通訳学校でも「毎朝、新聞を開いたら、日本と中国語圏に関する記事はどんなに興味がなくても目を通しておきましょう」などとエラソーに言っていた自分が、もう新聞は取らなくてもいいかなと思うようになる日が来るとは思ってもみませんでした。
まあマスメディアというものはどこの国でもそれなりに偏向なりかかっているバイアスなりがあって、何か一つに頼っていれば世の中が分かるというものではありません。だから自分としては、テレビだけでなく書籍やネットの情報を比較するとか、新聞も多少傾向の違う何紙かを読み比べるとかしては来たんですけど、日本の大手メディアをご贔屓にする気持ちがどんどん薄れていくのを感じています。
ただひとつ、ほんのわずかな存在理由があるとすれば、海外のメディアとの比較においてでしょうか。日本の大手メディアが報じない・論じない・問題視しない事柄がわかりますし、外から日本がどう見られているのか(もちろん誤解や曲解も含めて)もわかります。そのために英語や中国語を学ぶというのはアリですよね。そうだ、これからは「外語を学んで、外語の報道に接し、その視点から日本を見ましょう。じゃないとバカになりますよ」とでも吹聴しようかな。