インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

「できる」のあれこれ

フィンランド語のオンライン授業で、先生がこれまでに習った「できる」系の動詞についてまとめてくださいました。「各自、整理して確認しておいてくださいね」と言われたので、私も授業でノートに書き留めたものを整理しておこうと思います。

能力的に「できる」

osata + 不定詞:Minä osaan puhua suomea.(私はフィンランド語を話すことができます。)
pystyä + mAAn:Minä pysytyn puhumaan suomea.(私はフィンランド語を話すことができます。)

可能性として「できる」

voida:Minä voin tulla huomenna.(私は明日来ることができます。)
taitaa:Hän taitaa olla suomalainen.(彼は多分フィンランド人です。)
saattaa:Tänään saattaa sataa vettä.(今日は多分雨が降ります。)
「多分」というのは日本語としては「できる」感が薄いですが、「その可能性・実現性がある」ということで「できる」系なんですね。

気力で「できる」

viitsiä:Minä viitsin nousta kello neljä aamulla.(私は朝4時に起きることができます。)
jaksaa:Minä en jaksa tehdä mitään.(私は何もできません。)

勇気があって「できる」

uskaltaa:Minä en uskalla sanoa sitä hänelle.(私はそれを彼に言えません。)

あと、個人的には“saada(もらう・してもよい)”も「できる」系かなと思います。

してもよいので「できる」

saada:Täällä ei saa polttaa.(ここでタバコは吸えません。)

それぞれの動詞のイメージと結びつけて使い分けなければならないですね。そう言えば中国語にも同じような「できる」系のバリエーションがあります。“會(会)”と“能”と“可以”です。いずれも多様な意味があってひとことでは説明しにくいですが、「できる」という意味だけにしぼれば、おおむね次のようになっています。

習い覚えた結果「できる」

會(会:huì):他會游泳。(彼は泳げます。)

能力があって「できる」

能(néng):他能有一千米。(彼は1000メートル泳げます。)

許されていて「できる」

可以(kěyǐ):這本書你可以看看。(この本を読んでも構いません。)

もちろん“能”は「許されていてできる」場合にも使えますし、“會”には「未来の蓋然性」を表すなど多様な表現がありますが、いずれにせよフィンランド語も中国語も、日本語とは違う発想で世界を切り取っていることがわかって面白いです。語学の面白さって、こういうところにもあるんですよね。

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