インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

清濁併せ呑む大人にならなきゃ

若い頃、中国語の新聞社で紙面レイアウトの仕事をしていた時期がありました。その会社の経営者は日本人で、社内では中国人が多く働いていました。1989年の天安門事件を契機に生活の拠点を日本に移した人も多く、そういった背景のある人たちへ労働ビザを出しているという状況を逆手に取ったのかどうかはわかりませんが、この会社は今から考えるとかなりひどい勤務環境だったように思います。

そのひとつが福利厚生で、この会社は法が定める社会保険加入の要件に合致していたにも関わらず、会社負担分を嫌って厚生年金や健康保険などを整備していませんでした。私はこれに納得できず、一人で組合を作って会社側と「団体交渉」を行い、福利厚生を法に則って行うよう要求しました。結果はもちろんこちらの主張が通った(会社側の行為は違法ですから当たり前です)のですが、私はほどなくその会社を辞めてしまいました。いまあの会社がどうなっているのかは知りません。

一人で組合を作ったといっても、もちろんこちらは徒手空拳。実際にはそうした「ひとり労働運動」を支援する団体にサポートしてもらいました。確か北区の十条あたりに事務所があって、会社あてに出す内容証明郵便の書き方から、労働基準監督署での団体交渉まで、その団体の「専従」さんには色々とお世話になりました。

ある時、たぶん団体交渉の打ち合わせの時だった思うのですが、私の隣に何かの社会運動のビラやポスターを作っているグループがいました。私がレイアウトの仕事をしていると知って、制作中のビラについて意見を求められたので、私は思うところを述べました。「文字が多すぎるのでもう少し減らしたほうがいい」「文体が堅すぎるのでもう少し柔らかくしたほうがいい」「イラストを入れたほうがいい」……などだったと思います。

そうしたら、いかにも労働組合の専従といった風体のおじさんから、「デザイナーさんの意見も分かるけどさ、こっちは正しいことを言ってるんだからこれでいいんだ」と言下に否定されました。私は驚くとともに、以前から左翼的な市民運動や社会運動に感じていたある種の頑迷さというか、純粋性というか、無謬へのこだわりというか、でもその実きわめて傲慢な側面を改めて再認識したように思いました。

qianchong.hatenablog.com

若い頃には社会運動や市民運動にも関わっていた私ですが、そうした運動から次第に距離を置くようになっていったのは、ひとえにそういう無謬性や潔癖性にこだわりすぎる頑迷固陋なところに辟易としたからでした。ときにその潔癖さゆえに、仲間うちでさえ些細な違いから仲違いしていく……それは個々人のなかで運動としては首尾一貫しているのかもしれない。でもそれでは、広範な大衆の支持を得ることはできません。それは遠い遠い昔の「内ゲバ」あたりですでにイヤというほど思い知らされた強烈な教訓だったはずなのに。

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https://www.irasutoya.com/2014/03/blog-post_2106.html

昨日行われた、東京都知事選の結果が出ました。投票率の低さも相まって現職が圧倒的な得票率で再選でした。私はもちろん投票に行きはしましたが、投票前から気持ちは萎えていて、醒めた気持ちで虚しい一票を投じてきました。六月末の新聞にこんな表が載っていて、各候補の政策・政見の違いが一目瞭然だったのですが、やはり山本氏と宇都宮氏はどうして一本化できなかったのかなと思います。

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もちろん細かな政策にまで降りていけば違いは色々とあるのでしょう。財政の問題ひとつとっても緊縮か積極かなど違いは大きいんだ、素人は黙っとれ! と言われるかもしれません。でも、今のこの状況を本当に変えようと思うなら、やはり小異は捨てて大同に就くべきだったんじゃないですか。

今に始まった話じゃありませんけど、この国の左派というかリベラルというか、既存の自民党公明党系の政治に対抗する勢力の不甲斐なさといったらもう目も当てられません。政権を取るためにはよほどの胆力が必要だと思いますけど、細かい政策や理念の違いにこだわって、こだわりすぎて、結局は大同団結ができない。清濁併せ呑む胆力がないんです。みんな「自分だけが正しい」と無謬性や潔癖性にこだわるあまり、もう長いこと「がっかり」な政治状況が続いています。

今回もまた、同じような事が起きてしまいました。あきらめてはいけないと思いますし、これからも欠かさず選挙に行くとは思いますけど、左派やリベラル諸氏はいいかげん大人になってほしい、もっと泥臭く戦ってほしいと思います。

追記

今朝の東京新聞宮古あずさ氏のコラムが載っていて、「首長や小選挙区など、一人を選出する選挙では、ぜひ決選投票が行われてほしい」と書かれていました。「有権者過半数を得た候補者がいない場合、上位二名で再度選挙を行い当選者を決める」と。なるほど、同感です。でも、そもそも投票率がときに五割を切るようなこの国では、それすら難しい場合もあるかな……。