インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ブレイディみかこ氏の『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読みました。昨年からベストセラーとの評判で、書店の店頭に平積みになっているのを気になりながらも未読でした。が、一読、引き込まれて一気に読み終えてしまいました。多様すぎるほど多様な人々が関わる、イギリス南部ブライトンの「元・底辺中学校」に通う息子さんとの日々を描いたこの本。私も日々外国人留学生と顔を突き合わせる毎日を送っているので(最近はネット越しですが)、いろいろな部分で共感したり、深く考えさせられたり。いくつもの付箋をつけてしまいました。

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ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

個人的にとくに共鳴した部分をいくつか。

「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」(60ページ)

そうなんですよね。多様性はいいことだけど、とっても面倒で、その都度その都度お互いの考えをすり合わせなければなりません。そこには自分とは違った価値観を知ろうとする歩み寄りが必要で、それを積極的に繰り返して行く末に人は無知でなくなっていく。もっとも「アイツラとは分かり会えない!」とシャッターを下ろしてしまうほうがはるかに楽で、残念なことにそれを選んでしまう人も多いのですが。

「エンパシーって、すごくタイムリーで、いい質問だね。いま、英国に住んでいる人たちにとって、いや世界中の人たちにとって、それは切実に大切な問題になってきていると思うから」(中略)ケンブリッジ英英辞典のサイト(https://dictionary.cambridge.org)に行くと、エンパシーの意味は「自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力」と書かれている。(74〜75ページ)

多様性はいいことだけど、面倒。だからこの「エンパシー」が必要になるのだと思います。私も日々、様々な国や地域からやってきている学生や教職員と一緒に仕事をしていますが、ともすればこのエンパシーがおろそかになっている瞬間が襲ってきます。もちろん誰とも分かり会えることなど不可能なのですが、だからこそ「誰かの感情や経験を分かち合う能力」を常に向上させようと意識し続けることは大切だと思います。

まさにこれ、培われる「能力」なんですよね。培う、つまり訓練することが必要な。その意味で、ほぼ単一民族・単一言語の環境に暮らしてきた私たちは、この能力がかなり弱々しいように思います。だからすぐに排他的になっちゃう。もっと訓練が必要だと思いますが、あの移民大国アメリカでいまだに深刻な黒人差別が露呈している現状を見ると、周囲に圧倒的な多文化の環境があっても人はなかなかこの能力を獲得することができないんだなとも思います。

僕は、人間は人をいじめるのが好きなんじゃないと思う。……罰するのが好きなんだ」(196ページ)

これはかなり「どきっ」としました。自分も、自分が正義を体現したつもりで人を罰するようなことをしていないか、教員という立場であるだけにこれはかなり危うい「ダークサイド」だと思います。罰するつもりで結果的にいじめになっているのではないか。常に内省が必要だと思いました。