インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

語学と辞書について

昨日は奉職している学校で教員のミーティングが開かれました。新年度を控えて、授業のスケジュールやカリキュラム、シラバスなどを確認する会議です。その場所で、ある日本語の先生からとても興味深いお話を聞きました。いわく「留学生が、ネットの辞書で調べた語彙を使って怪しげな日本語を書いてくる」。これ、留学生と日々接しておられる教員の間では「あるある」な事例かもしれません。

私も通訳や翻訳の授業で、留学生が披露してくれる訳出の日本語に怪しげな語彙があると指摘をするのですが、往々にして帰ってくる答えは「辞書にそう載っていました」というもの。それで「どの辞書ですか」と確認してみると、すべてネット上の無料で提供されている辞書です。中には海外の方が作ったと思しきかなり怪しい辞書もあります。

個人的には「ネットにある=まずは疑ってかかれ」もしくは「別のネットの情報で裏を取れ」なんですけど、現代のお若い学生さんにとって「ネットにある=オーソライズされたもの」みたいなんですね。するっとそのまま取り入れちゃう。かつての「活字信仰」にも似ています。とまれ、スマホ経由のネット辞書を使っている留学生がほとんどという時代です。電子辞書を使っている人さえ滅多に見かけず、紙の辞書に至っては皆無と言ってよいかと思います。

私は、一応授業では紙の辞書を推奨してその意義も説明していますが、それに共感して紙の辞書を買った人を見たことがありません。おのれの力不足を痛感しています。「スマホでネット辞書」を変えさせることは難しくても、せめて①「分からない→即スマホ」という「脊髄反射」だけはしないように、②(上述したように)別のネットの辞書で裏を取るように、と言っています。まずは自分の頭で考え、それを確認するためにネットの辞書を引き、さらにセカンドオピニオンを求めてね、と。でもこの面倒くさい方法を愚直に実行する人も……残念ながら非常に少ないです。

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https://www.irasutoya.com/2014/12/blog-post_665.html

「権威」のある辞書にも……

しかし、昨日のミーティングではこんな事例が報告されていました。ある留学生が練習問題にあった「墓地」という漢字に「はかち」という読みを書いてきたというのです。この留学生もご多分に漏れず「辞書にそう書いてありました」だったのですが、驚いたのはそれがネットの『広辞苑』で見つけた読みだという点です。留学生としては『広辞苑』にも載っている読み方がなぜ間違いなのか納得がいかないと。

sakura-paris.org

それで調べてみたら、確かに『広辞苑』でも『大辞林』でも『大辞泉』でも「墓地」の読みに「はかち」が載っています。しかも「ぼち」よりも上に出てくる。これでは留学生は「はかち」が一番ポピュラーな読みで「ぼち」はその次と考えても無理はありません。ちなみに『明鏡』や『新明解』では「ぼち」しか載っていません。

墓地を「はかち」と読んだり言ったりしたことは、私自身は一度もありません。でもネットで検索してみると大量にヒットします。中には一般的には「ぼち」だが、墓地にするための用地という意味で「はかち」と言うのではないかというご意見がありました。なるほど、不動産屋さんなどが使う業務的な用語というわけですね。でもそれだったら私は「墓所(ぼしょ)」を使うかなあ。

この事例を報告してくださった先生によると、ネットの辞書は『広辞苑』のような権威性のある辞書を下敷きにしていることが多く、その『広辞苑』には「はかち」が載っている、それもネットで検索したら「ぼち」よりも「はかち」が上位に載っている以上、学生がこれを使ってしまうのはしかたがないのかもしれないとのことでした。う〜ん、そうですか……。

たぶんこうした例は他にもあると思います。ともあれ、学生さんが紙の辞書を使わずネット辞書に頼るという趨勢は止めようもない中、今度はそのネット辞書で裏を取った結果がとても一般的とはいえない言い方だった、それも権威性のある辞書が裏打ちしてくれた……となれば、私たちはどうすればいいのでしょうか。

「トンネル・デザイン」の危うさ

上述したように、現代の学生さんは初手から紙の辞書など使わず、よくて電子辞書、圧倒的多数はネットの辞書を使って言葉を学んでいます。私はこれ、長い目で見るとかなり大きな知的損失とでも呼ぶべきものにつながるのではないかと危惧しています。ずっと以前にこのブログで『プログレッシブ中国語辞典』第二版の巻頭言にある「トンネル・デザイン」のくだりを紹介したことがありました。もう一度それを引用します。

出発点から目標点に向かってトンネルを掘るような一直線の進み方をしたのでは、その課程で何も学ぶことはできないし、記憶するいとまがないことにも留意しなければなりません。入門・初級段階で身につけなければならない語彙は、本来的には調べて探し出す対象ではないのです。

qianchong.hatenablog.com

当時も思いましたが、これは「さらっ」と、でもすごいことを言っていると思います。初学段階では「分からない言葉がある→辞書を引く」というのは本質ではないというんですね。初学者にとって辞書は、まずは大いにあちこち泳ぎ回ってみるべき大海原みたいなものであり、その体験を積み重ねないと語学の体力というか筋肉のようなものがつかないのではないかと。

国語学習者にとっての辞書

特に中国語の学習者にとって、紙の辞書を使うことがいかに重要かを語っている文章を、こちらの駒沢大学のウェブサイトで見つけました。こちらでも「トンネル・デザイン」に触れ、『プログレッシブ中国語辞典』の巻頭言も紹介され、その上でこう書かれています。

中国語の辞書はたいてい、漢字ごとに意味分類と字義、用例があり、その下に、その字で始まる単語を並べる形式をとっている。これは上で見たような中国語独特の「単語」の成り立ちにぴったりだ。知らない単語に出くわしたら、まず最初の一字に狙いを定め、その字の解説を経て、ずらり並んだ単語群からお目当ての単語にたどりつく。リニアでトンネルを駆けぬけるのと比べ、ひと手間かかる。だがそのひと手間に学習者は、(1)単語の基礎にある「字」の意味分類 (2)一字を共有する大量の別単語――という二つの風景を見ることになる。それらを眺めるうち、だんだん「字」に対する感性に磨きがかかり、中国語の旅が豊かで楽しいものになる。トンネル内を驀進していると、単語が字というユニットからできていることすら見落としてしまいがちだ。
どの外国語の先生も、きっと紙の辞書の効用を説くに違いない。だが中国語の場合、見晴らしがよいからだけではなく、紙でなければならない構造的理由があったのだ。

www.komazawa-u.ac.jp

中国語の旅を楽しくするためにも、中国語の学習における辞書は「紙でなければならない構造的理由があった」。けだし名言です。ウェブサイトには署名がありませんが、どなたがお書きになったのでしょう。拳拳服膺すべき文章かと思います。