インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

別役実さんのこと

今朝の新聞で、劇作家・別役実氏の訃報に接しました。別役氏といえば日本における「不条理演劇」の代表的な作家。そも「不条理」という言葉を知ったのも高校時代に別役氏の演劇に接してからでした。確か高校の演劇部が文化祭が何かで上演していた「死体のある風景」というお芝居を見たのが最初だったと思います。

そう、別役氏の作品群は高校演劇でも定番の、というかとても人気のある一ジャンルを成していました。分かりやすく前向きで、愛だ恋だ青春だ……「ではない」作風が、何かと青春をこじらしている高校生はとても魅力的な世界に感じられたんですよね。特に体育会系に馴染めない文化会系文学青年にとっては。

というわけで、それからは演劇部の友人に誘われて(私は当時美術部でした)高校演劇祭にも出かけるくらい演劇が(というか別役氏のお芝居が)好きになりました。埼玉県の秩父農工演劇部が上演した「天神さまのほそみち」は実に衝撃的で、薄暗い舞台に据えられた電信柱と小さな縁日用の提灯が点々と連なる舞台装置を今でも覚えています。

浪人して大学に入った頃、演劇界は「小劇場ブーム」に沸いていました。大学で私は劇研に入り、本業の専攻はそっちのけで演劇にのめり込んでいました。アルバイトして稼いだお金のかなりの部分を観劇につぎ込んでいて、週に何本も、時にはマチネ(昼公演)とソワレ(夜公演)を「ハシゴ」するくらい観ていました。夢の遊眠社第三舞台や劇団3○○などの有名どころをはじめ、青い鳥、第三エロチカ、 秘法零番館、離風霊船、NOISE……といった、いわゆる「第三世代」の頃です。

この世代の前から活躍していた唐十郎氏の紅テント(状況劇場)や、68/71黒色テント、第七病棟、風の旅団なども観に行きましたねえ。逆にその後の世代、例えば東京サンシャインボーイズとか、劇団☆新感線とか、キャラメルボックスなどは全く観ていませんから、かなり偏った、熱に浮かされたような傾倒のしかたでした。

というか私は、こうした小劇場演劇のアングラでチープなところ(と括ってしまうのも無理がありますけど)が好きだったんですね。上述の「有名どころ」はメジャーになるに従って大劇場の商業演劇に進出していきます。そうなるとあまり食指が動かなくなります。それでも観続けていたのが別役実氏の作品でした。当時の「ぴあ」(まだ雑誌、紙媒体のころです)で演劇欄をチェックして、別役作品の上演があれば片っ端から観に行っていました。

なかでももっとも印象に残っているのが、渋谷公園通りの東京山手教会地下にあった「小劇場ジァンジァン」で上演されていた、かたつむりの会の「足のある死体」でした。かたつむりの会は、別役実氏の妻である楠侑子氏が毎回違う男優を招いて二人芝居を上演するというスタイルで、このときの男優は青年座の演出家でもあった鈴木完一郎氏でした(今検索したら、鈴木氏もすでに亡くなっていました)。

「足のある死体」は踏切の遮断機の前で足の突き出た大きな包みを引きずる女性と、誰かの披露宴に参加した帰りにたまたまその場に出くわした男性との間で繰り広げられる会話劇です。私はこのときの衝撃が忘れられず、後に大学の劇研で自分でも演出・出演して上演したことがあります。建築学科の江崎くんが精巧な遮断器の舞台装置を作ってくれて、デザイン学科の平野くんはとても凝ったシルクスクリーンのポスターを作ってくれました(平野くんは「死体役」もやってくれました)。

当時の写真は全く残っていません。当時はもちろんスマホなどなく、デジタルカメラさえありませんでした。レンズ付きフィルム(使い捨てカメラ)の「写ルンです」が登場したかしないかの頃じゃなかったかと思います。ともかく私はカメラを持っていなかったので、なにも思い出になるようなものが残っていないのです。残っているのは友人(上述の平野くん)が撮ってくれたこの一枚だけ。大道具を作っている私です。

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この頃別役実氏は、文学座とコラボしてかなり濃密な上質の作品をいくつも残しています。なかでも「さらだ殺人事件」(若き日の角野卓造氏が出ていました)や「ジョバンニの父への旅」などはとても印象に残っています。一度「さらだ」の時だったか、新宿区信濃町文学座アトリエの客席で、別役実氏をお見かけしたことがありました。私の真後ろの席に座っておられたのでした。

当時読んだ演劇雑誌の評論で、別役実氏のお名前をその作品世界に絡めて「別」の何かが「役」を通して「実」になるのだと解説しているものがありました。おバカな大学生の頭にも「ちょっと牽強付会じゃないかしら」とは感じましたが、確かに別役実氏の作品に出てくる登場人物は「不条理演劇」というカテゴライズにはなじまないほどリアリティのあるものだったとは思います。

「足のある死体」でいえば、日常生活のなかにいきなり登場する「死体」をめぐってやり取りされる二人の台詞は、イヤになるくらい人間の性(さが)とか業(ごう)みたいなものを浮かび上がらせていました。もっとも大学生だった私にそんな深いところまでを体現した演技ができていたかどうかと考えると、甚だ心もとない(というかできていたわけがない)のですが。

基本的にスタティック(静的)で陰鬱なトーンさえ漂う別役実氏の作品群は、今の時代にはあまりウケないかもしれません。それでもこうした心の奥底に深く降りていくような演劇は今でもその魅力を失ってはいない、というか今の時代にも必要なのではないでしょうか。今後別役氏の「追善公演」のような企画が立ち上がるといいな。その時はぜひ観に行きたいと思います。