こばやしあやな氏の『公衆サウナの国 フィンランド』を読みました。日本の銭湯文化とも通底するようなフィンランドのサウナ文化について、豊富な図版とともに紹介した楽しい一冊です。
公衆サウナの国フィンランド: 街と人をあたためる、古くて新しいサードプレイス
この本は公衆サウナの研究をなさっている氏の修士論文がベースになっているとのことですが、堅苦しさや難解さとは無縁。フィンランドのサウナ文化のみならず、フィンランドの人々の人間観や人生観、社会観にまで視点を広げて、まるでサウナを楽しんだ後のように心地よい、かの国の「ありよう」、その理由が那辺にあるのかを解き明かしていきます。
家庭用プライベートサウナや共同住宅などでの共用サウナの普及などで、一時は風前の灯火となっていたフィンランドの公衆サウナ。ところがここ数年、空前のブームを迎えつつあるといわれるくらいに「V字復活」を遂げているそうです。この本には、そんな新しい場所「サードプレイス」として再び魅力を放ち始めた公衆サウナ、そこに関わる人々へのインタビューも多く収められています。
それにしても、時に見知らぬ同士が、それも時には男女混浴で、さらに時には一糸まとわぬ姿でサウナに集うというフィンランドの人々が互いに示し合うその「信頼」と「自律」には、驚かされると同時に強くひかれるものを感じます。著者のこばやしあやな氏はこう述べています。
確かにフィンランドでは、治安のよさや、社会保障制度の充実度などに依拠した国家に対する国民の安心感や満足度が、世界基準より高いのは事実です。けれどもちろん、フィンランドでも日々犯罪は起こっているし、テロの脅威だって常にあるし、ソーシャル・コミュニティの中で生きている限り、自分もどこかで痛手を負う可能性がゼロでないことを、国民は多かれ少なかれ自覚しています。
にもかかわらず、フィンランド人たちが概ね、他者のことを信頼するリスクや恐怖よりも、メリットや利便性を自然と優先できるのどうしてなのか。あるいは、日本人はどうして、フィンランド人とは真逆の思考をつい先行させてしまうのか……。
筆者は「『赤の他人でさえ信頼し合う勇気』が生み出す豊かさの値打ち」という表現をなさっています。なるほど、その精神性が具体的な形ともなって現れたもののひとつが、かの国の公衆サウナであるわけですね。う〜ん、これはぜひもう一度かの国を訪れて、各地の公衆サウナの片隅に混ぜてもらいたいものです。語学の勉強と、あと貯金に勤しまねばなりますまい。