インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

そうか『プレバト!!』はカルチャースクールのノリなんだ

プレバト!!』というテレビ番組をご存じでしょうか。もともとは『使える芸能人は誰だ!?プレッシャーバトル!!』といって、芸能人の様々な才能を「査定」するというバラエティ番組です。通常は毎回二つのテーマで「査定」が行われていて、そのうち一つは人気が極めて高いという「俳句の才能査定ランキング」が必ず放映されています。

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www.mbs.jp

私はこの「俳句」の枠が好きで、特に「先生」の俳人、夏井いつき氏の解説、とりわけ日本語の文法や語彙に関する説明が大好きで毎回録画して見ています。この番組は俳句以外にも水彩画とか、ちぎり絵とか、消しゴムはんことか、生け花とか、料理の盛り付けとか、とにかく様々な「査定」があるのですが、う〜ん、正直に申し上げて俳句以外はバラエティ番組のバカ騒ぎ色(失礼)が濃くて、録画のCMと一緒に飛ばし見しちゃうことが多いです。

でもこの『プレバト!!』、先日の三時間スペシャルという長大な録画を飛ばし飛ばし見ながらふと腑に落ちたことがありました。そうか、この雰囲気はなにかに似ていると思っていたけれど、やっぱりこれはカルチャースクールのノリなんですね。それも年配の方々が多く集うカルチャースクールの。

現在細々と続けているフィンランド語ですが、実は横浜駅の駅ビルに入っている某カルチャースクールで学んでいます。フィンランド語を開講している語学学校は少なくて、たまたま自分のレベルに合う教室を探していたらここにたどり着いたのですが、ここのカルチャースクールはかなり規模が大きく、語学以外にも多種多様な講座が開かれています。

そして通ってらっしゃる生徒さんの、中高年からお年寄り世代の割合がとても高いのです。駅に直結しているエレベーターホールから、エレベーターを降りた先のスクールのロビーから、も〜元気な中高年でごった返しており、油絵のキャンバスを抱えた方が行き交い、特別講座に並ぶ方がおり、扉の奥からは篠笛の音がピーヒャラと聞こえてくる……なんとも独特の空気が漂っています。

この「何でもあり」のごった煮感と、ちょっと高尚なお稽古事に憧れる意識の高さみたいなものが『プレバト!!』の雰囲気にとても似ているなと思ったのです。そして、これは「凡人」、これは「才能アリ」とあれこれ値踏みする、そのやや下世話な感覚も極めて中高年のおじさんおばさん的だなと。あ、もちろん私もそういう「ちょい意識高い系」でかつ「下世話」な中高年のひとりなんですけどね。

ちなみに私が通っているフィンランド語のクラスは、このカルチャースクールには珍しく(?)お若い方が多いです(たぶん私が一番年かさの生徒)。お若い方に交じって語学やるのは頭の体操になっていいですな……って、このセリフが極めて年寄りくさいですね。

「着るものについて学ぶ」のその後

絶望的にファッションセンスがないものの、ビジネスカジュアルで通勤するようになって以降、「制服」みたいに着られる定番のコーティネートを探していました。制服というなら毎朝ほとんど何も考える必要のないスーツを選べばよいのですが、はっきり申し上げて現代の日本はもはやスーツを着るような気候の国ではありません。加えて私は生来の暑がり+汗っかきなので、真冬かよほどのフォーマルな場面、あるいは通訳の現場でなければスーツは選択肢に入りません。

それでも、ワイシャツみたいなビジネスシャツにスラックスという組み合わせなら、暑くないしそこそこフォーマルだしコーディネイトに悩む必要もないので、ここ数年はそういう格好で仕事をすることが多くなりました。スーツカンパニーとかスーツセレクトみたいな比較的安価だけど比較的質のいいシャツやジャケットやパンツを買えるお店が、私のような人間にとっては救いになります。こうしたお店のターゲットはたぶん私の年代よりも一回りか二回り以上若い方々だと思われますが、だからこそ過度に「おじさんくさく」ならなくて重宝してきたのです。

しかし、それだけではだんだん飽き足らなくなってくるのが「下手の横好き」といいますか、ド素人の恐いところ。もうちょっとカジュアルな格好もしてみたくなってしまいました。しかしカジュアルウェアは私にとって「鬼門」です。なにせかつてパステルカラーのポロシャツに迷彩帽を合わせるようなファッションセンスだった人間ですから。しかも今思い出したけど、そのポロシャツには“Bisexual”とロゴが大書されていたのです。いったい何を考えていたのか、当時の自分を小一時間とことん問い詰めたいです。

閑話休題

そこで私が頼ったのは、前回ご紹介した大山旬氏の『おしゃれが苦手でもセンスよく見せる 最強の「服選び」』、そしてもう一冊『ユニクロ9割で超速おしゃれ』でした。

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ユニクロというと、特に「ユニクロ9割」とか「全身ユニクロ」というと、これはまさに「おじさんくささ」の代名詞ではないかと思われるかもしれません。ところが以前ならいざ知らず、ここ数年のユニクロ製品はかなり品質もデザインも秀逸だと思います(ファッション音痴の私が言っても説得力ゼロですが)。特に無地のTシャツやボタンダウンシャツ、ジーンズなどは、その数倍の値段がつけられている「なんとかアローズ」みたいなセレクトショップの商品と比べても遜色ないんじゃないかと思えるほど。

いっぽうでユニクロに代表されるファストファッションは、映画『ザ・トゥルー・コスト』でも指摘されているように、発展途上国の安価な労働力に支えられた大量生産・大量消費という側面を持っています。ですから安易にどれもこれもと買い求めて「9割」や「全身」まで行ってしまうのはいささか気が引けます。それでも安さとシンプルさに惹かれて、以前はけっこうなヘビーローテーションユニクロの服を着ていたのです。

ところが。

ユニクロってやっぱり若い方向けの服なんですね。いえ、中高年が着たっていっこうに構わないのですが(自宅ではいまでも着てます)、ユニクロの服が持っている雰囲気は、カジュアルさやそれがもう少し昂進したチープさが、若くて元気な方々の「ありよう」とうまく合致してプラスの雰囲気を醸し出している、そんな気がするのです。

逆に私のような中高年が着ると、その「ありよう=年齢感」みたいなものと若者的カジュアルさやチープさが不協和音を奏でているように思われます。それは体型や髪の毛の質感ゆえかもしれませんし、顔や皮膚の老け具合・皺の寄りぐあいとの齟齬かもしれません。うまく言語化できないのですが。

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https://www.irasutoya.com/2014/10/blog-post_47.html

以前、上述したスーツカンパニーやスーツセレクトで、若い人がよく着ているようなスーツを買ったことがあります。それは上着のラペル(襟の折り返し。会社のバッヂなどをつけてる方などがいる、あの部分です)が細くて丈はお尻がほぼ出るほど短めで、パンツは股上が浅めでぴったり目のサイズになっているものでした。買った時はとても新鮮な感覚だったのですが、実際に街で着てみたら中高年にはとことん似合わない……というか単に「イタい」ことが分かりました。

だからといって、おじさん感だだ漏れの、ダブダブスラックスにタックが何本も入っていて、股上はとことん深く、オーバーサイズでダブルの上着を着るのも絶対にイヤですけど……要するに、何事もほどほどが肝要で「過ぎたるは及ばざるがごとし」だと今さらながらに悟ったのでした。そして中高年のユニクロにもそういう一面があるのではないかと思うのです。

というわけで、現在はもうちょっと大人向け(?)なお店で買っています。するとやはりほどほどに落ち着いて、少なくとも「イタい」感じにはならずに済むようなのです。いやはや、ファッションセンスが全くないくせに、こうやってあれこれ服に頭を悩ませている私は、よほど見栄っ張りなんでしょうね。誰もアンタのファッションなんか興味持ってないよと言われそうですが、でも私、人はもちろん中身で勝負だけれども外見もけっこう大事だと思っているものですから……。

我先にと殺到する雰囲気

先般、2020年の東京オリンピックパラリンピックのチケット申し込みサイトにアクセスが殺到というニュースが流れていました。

www.nikkansports.com

この申し込みサイトは「購入申し込み」を受け付けるだけであり、申し込み者多数の場合は抽選になりかつ「申し込み順は当選に影響しない」ことがアナウンスされているにもかかわらず、「サイトにはアクセスが殺到」して「ログインできない状態になり、多い時には順番待ちに数十万人が並んだ」というのです。もとより私は今次の五輪開催には反対ですし、チケットにも何の興味もないので、高みの見物を決め込んでいたのですが、こういう群衆心理は心底苦手だなあと改めて思ったのでした。

こういうネット上の、いわばバーチャルな空間での殺到にすら恐怖を覚えるのですから、現実世界でのそれはさらに輪をかけて苦手です。もともと人混みがあまり好きではなかったことに加えて、歳を取って多くの人がいる空間がますます苦手になり、「人圧」に気分が悪くなるまでに至りました。一時は「パニック障害」とか「閉所恐怖症」みたいな疾患も疑ったのですが、どうやらそこまで重篤ではないもよう。それでも人が押し合いへし合いしていたり、なにかに向かって我先にと殺到したりなどの雰囲気が苦手になったのです。

qianchong.hatenablog.com

それでも都会で暮らしている以上、そういう場面に遭遇することは一日のうちに何度もあります。電車が駅に着いてドアが開くやいなや階段やエスカレーターに向かってダッシュする方は多いですし、その階段やエスカレーターに並ぶ人混みも尋常ではありません(特に後ろから押される感覚が)。こうした状態は一分間も待てば消えてなくなることがほとんどなので、いつもホームの柱の陰に「避難」して人の波をやり過ごしています。

「朝活」のために通っているジムも、以前は朝七時の開業時間前にジムの入り口に並んでいたのですが、ドアが開いた瞬間に大勢の人がロッカールームへ急行する雰囲気が殺気立っているので、最近は十分ほど遅らせて行くようになりました。そうやってゆっくり行くだけでけばずいぶん心穏やかになれるのです。みなさんがロッカールームへ急行する理由は、例えばフリーウェイトコーナーの器材を確保したいからなのですが、ジムには「一人二十分まで」というルールがあるので、むしろ遅れて行った方が次のサイクルで自分に回ってくることも多いと気づきました。

いやはや、まるで自我をこじらせた中学生みたいな思考ですが、私はもともとかなりせっかちで「イラチ」な性格なので、こうしたことの一つ一つが、何といいますか、心の鍛錬になっています。……しかし、こういう「対策」を講じなければいけないほど、都会で神経をすり減らしているということですかね。今年の夏もまた南の島の離島のそのまた離島の、誰もいない荒野に行ってぼんやりしたいです。

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追記

今日はこんな記事が流れていました。

www.nikkei.com

「還元は早い者勝ち」だそうです。今の私がもっとも苦手な言葉はこの「早い者勝ち」ですかねえ。

着るものについて学ぶ

私はファッションセンスがありません。かつては美術大学で学んでいたのですが、その当時から現在にいたるまで、とにかく服のセンスがダメダメで、特に色彩感覚というか色彩のセンスが絶望的に乏しい人間です。なにせ、英語のロゴが大きく入ったパステルカラーのポロシャツに自衛隊がかぶってるような迷彩帽を合わせたりしてたんですから、いま思い出してもその衝撃のファッションセンスには戦慄が走ります。

そんなんでよく美大に入れたなと思われるかもしれませんが、入試はモノクロのデッサンだけだったのです。というか、入試で色彩を使って写生をしたり構成をしたりしなくていいので彫刻学科を選んだ……というのはここだけの秘密です。もっとも、彫刻だって実は色彩感覚が必要なのだということはあとから分かったのですが。

そんな人間ですから、実は制服が大好きです。制服って、軍服がルーツの詰め襟学生服やセーラー服を見ても分かるように、個人の自由を奪って文字通り一色に染め上げるようなもので、私個人の思想信条的には忌避すべきものの筆頭なんですけど、ファッションセンスがない人間にとっては一面救いでもあるんですよね。だっていちいち着るものに悩まなくていいんですから。

そうやって制服に救いを求めてきた心根が作用したのか、また生来の「いかつい」顔つきが後押ししているのか、私は「制服が異様に似合う人間」になってしまいました。詰め襟はもちろん、工場の作業着やサラリーマンのスーツ、白衣や割烹着、黒紋付+袴から高所作業用のヘルメットや安全ベルトにいたるまで、とにかく似合うのです。いや、自分でそう思うだけでなく、他人からも「似合うね〜」「様になってるね〜」とお褒めの言葉を頂戴するのです。

逆に一番苦手なのは、いわゆる「カジュアルウェア」というやつです。昨今はクールビズとかカジュアルデーとかいって脱スーツの動きが加速しており、私も、すでに温帯ではなく亜熱帯か熱帯というべき日本の夏にもはやスーツはあり得ないだろうと思っている人間ですが、じゃあ職場に何を着ていけばいいのか……ってところで、いつも悩みます。そしてそんな人間だからなのでしょう、服を買うのが苦手ですし、アパレル店の店員さんが苦手ですし、逆に服のおしゃれを楽しむすべを心得てらっしゃる方やファッションセンスのある方を心から尊敬しています。

いまメインで奉職している職場は、特に服装に規定はありません。だから他人(上司や同僚や学生)がどう思おうが、自分の好きなものを着ればいいのですし、人間は外観ではなく中身が勝負だと思っているのです……いや、この言葉にすでに大きな嘘があります。私は実は「他人にどう思われてもよいとは思っていない」のです。そして「人間は外観も(見た目も)けっこう大切だ」と思っているのです。そしてそして……どんなものを着ればいいのかが分からないのです。

というわけで私は、これまでいろいろな方に教えを請うてきました。プロのスタイリストさんにお願いしてコーディネートしてもらったこともありますし、「leeap」のようなネットのファッションレンタルサービスを利用したこともあります。が、いずれもお金がかかりすぎて(あと、やっぱり微妙に自分の好みに合わなくて——ファッション音痴でも「いっちょまえ」に好みはあるんですね)続きませんでした。

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https://www.irasutoya.com/2018/09/blog-post_775.html

ところが最近、この書籍を購入して、かなり勉強になりました。

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おしゃれが苦手でもセンスよく見せる 最強の「服選び」

実はこうした書籍は類書がこれまでにもたくさん出ていて、私も例えば『最速でおしゃれに見せる方法』とか『成功する男のファッションの秘訣60』とか、マンガの『服を着るならこんなふうに』など片っ端から購入して読んできたのです(かなり恥ずかしいですが、いやもう必死ですね)が、どれも今ひとつピンときていませんでした。ところが上述した大山旬氏のこの本は、かなりシンプルな法則をベースに「頑張りすぎない(大山氏の言葉を借りれば『80点を目指す』)」服選びを指南してくれて、納得できる部分が多かったのです。

色はまずネイビーと白に限定し、「少数精鋭」でジャストサイズを選び、シンプルに徹してよけいな飾りや遊び心はひとまず脇に置くこと。そして大山氏ならではのアドバイスとして、試着した瞬間「似合わない」と思ってもそこで三分間待ってみることで「その服を着ている自分を見慣れていない」状態から抜け出すこと、また自分の服を人任せにせず自分の頭で考えて決めていくこと……。この本にはそうした一種の哲学が語られていて、服選びというのはなかなか楽しいものなんだなと思えるようになりました。

この本ではないのですが大山氏は別の著書で「生きている限り必ず何かを着なくちゃいけません」と述べています。そりゃそうだ。現実社会では裸で生きるわけには行かないし、着られりゃ何でもいいといったって、そこはそれTPOや清潔感など社会人として気をつけなきゃいけない部分もある……そんなことを考えながら、勉強しているところです。勉強して実践した結果分かったことというか失敗というか、ある種の気づきがさらにあったのですが、それはまた稿を改めたいと思います。

「ひとさまの通訳を聞いて」のその後

先日、北海道日本ファイターズの台湾人選手・王柏融氏へのヒーローインタビューで、通訳者さんの訳がテキトーすぎるんじゃないか、ファンは怒った方がいいんじゃないかという記事を書きました。

qianchong.hatenablog.com

これについて、Twitterで野球やスポーツにお詳しい方数名から、そこまで批判するようなものでもないのではというご意見をいただきました。ヒーローインタビューはもともと試合後の熱狂の中で行われる一種のイベントで、そこまで厳密な訳出をファンも求めていないのではないかというご意見です。

なるほど、私はスポーツ全般にあまり詳しくないのでよく知らなかったのですが、そういうものなんですね。確かに、私もかつてプロのアイスホッケーチームに帯同して日本や中国の各地を「転戦」したことがあるのですが、インタビュー(ヒーローインタビューではなく囲み取材みたいなの)はかなりラフというか、くだけた雰囲気でした。

そしてまた、一般的にプロスポーツ選手の通訳者の「本務」は、練習や試合時に監督やコーチや選手などとのコミュニケーションを円滑に行う手助けをすることであって、そういった場面や、あるいは選手や監督がメディアの正式な取材に応じる時などにはもちろん精確な訳出が求められるだろうけれど、ヒーローインタビューはそれらいずれにも属さないいわば「おまけ」みたいなもので、それはファンも了解済みなのではないかと。

私自身はこれまで、聞き手はどうあれ最善を尽くすのが通訳者の義務であり矜持であり、また「楽しみ」でもあると思ってきました。また日本の運動選手の、語彙や表現の少なさにはいつも少々幻滅していますし、インタビュアーも「今日の試合、どうですか」みたいな丸投げ質問が多くてこれまたどうだかな……と思っているのですが、この感覚がまさに門外漢なんでしょうね。

王柏融選手の通訳をされている方も台湾出身の元選手だそうですから、そこまで求めるのは「お門違い」なのかもしれません。専門の訓練を受けた通訳者というよりは、同郷出身で、異国で活躍する王柏融選手を公私にわたってサポートするが「本務」でいらっしゃるのでしょうから。この辺りの感覚の違いは、まさに自分にはない感覚だったこともあって、とても新鮮に感じました。

ただ、王柏融選手の出身地である台湾の(そしておそらく日本語にも通じてらっしゃる)ファンの中には、私と同じように「この訳出でいいの?」と感じてらっしゃる方もいるようです。これはもう個人の価値観ですし、こう言っては何ですが別に外交交渉のような「鼎の軽重を問われる」場面でもないのでこれ以上ツッコミを入れるの無粋かもしれません。ただ、一人の日本人としては台湾のファンの皆さんに何となく申し訳ないような気持ちになりますけどね。

www.ptt.cc

ただこの話題、そも訳すとはどういうことか、通訳者の稼働する場面の多様性、言葉の発し手と受け手のあり方、通訳者のホスピタリティなど、様々なテーマを含んでいる意外に深い話題だな……と思いました。

私は中国語圏の芸能人の通訳をけっこうやってきましたが、例えばファンミなどで行き届かない訳出をして、SNSで叩かれたことが何度かあります。厳しいファンの皆さんの眼は怖いです……。でも一方で、とあるテレビの生放送番組で台湾アイドルの通訳をしたときは、事前にプロデューサーさんから「全部きっちり訳さなくていいので(生放送だから時間も押しているし)、かいつまんで訳して下さい」と言われて困惑したこともあります。この例からも、クライアントが求める訳出のあり方は様々だなと思うのです。

またアイスホッケーの通訳者をしていたときは、試合中に例えばペナルティなどで退場処分になる際など、審判も選手もお互い自分の母語で怒鳴り合っているだけで、誰も私の訳出など聞いちゃいませんでした。もとより「表情の格闘技」とも呼ばれるアイスホッケーのこと、試合中はみんなエキサイトしていて殺気立っていて、ハッキリ言って通訳者なんか要らないじゃん、と自分で思ってしまったくらいでした。

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https://www.irasutoya.com/2013/12/blog-post_3413.html

私はこれまで通訳学校で、主にビジネスの現場で通用するような正確で精確な訳出をすべしと訓練されてきたし、いま自らもそのように教えているわけですが、それとは全く違った場面での違ったニーズもあるのだなと自分の「通訳観」を見つめ直した次第です(もちろんハイエンドの通訳現場では、基本的に正確さ・精確さが「いの一番」に問われるでしょうけど)。

上述した野球選手の通訳者にしても、理想的には、練習や試合中にプロとして的確な指示をおこなう通訳者と、ヒーローインタビューのような一種祝祭的な場面での通訳者……のように場面に応じてそこにふさわしい通訳者がつくというのがいいんでしょうね。予算的には無理なのでしょうけど。

フィンランド語 34 …動詞のまとめ

フィンランド語、まだまだ細々と学び続けています。動詞の過去形を一通り学び終えたので、先生から「ここいらで動詞の現在形と過去形を復習してみましょう」と促されました。

動詞の人称変化

フィンランド語の動詞は「人称変化」をします。つまり1・2・3人称とその複数、合計6つに変化するということですね。さらに現在形と過去形があるので、都合12種類に変化することになります。さらにさらに否定形もあるので結局24種類になるのですが、過去形の否定形には過去分詞を使い、これがさらに現在完了や過去完了へと発展していくことになるそうです(過去分詞は来週以降くわしく学ぶ予定です)。

例えば「opettaa(教える)」を例に取れば……

人称 現在形肯定 現在形否定 過去形肯定 過去形否定
Minä(私) opetan en opeta opetin en opettanut
Sinä(あなた) opetat et opeta opetit et opettanut
Hän(彼・彼女) opettaa ei opeta opetti ei opettanut
Me(私たち) opetamme emme opeta opetimme emme opettaneet
Te(あなたたち/あなたさま=敬称) opetatte ette opeta opetitte ette opettaneet
He(彼ら・彼女ら) opettavat eivät opeta opettivat eivät opettaneet

ちなみに未来形はなく、現在形を使って、文の中に未来を表す語彙があれば未来形と考えます(これは中国語と同じですね)。

動詞のタイプと活用

フィンランド語の動詞には「タイプ」が6つあり、それぞれのタイプに従って語幹を求め、さらに人称変化させて人称語尾をつけます。

1.VAタイプ
2.DAタイプ
3.ATA、OTA、UTAタイプ
4.STA、LA、NA、RAタイプ
5.ITAタイプ
6.ETAタイプ

動詞のkpt交替(子音階梯交替)

フィンランド語の動詞が活用するとき、子音の k、p、t があれば発音しやすいように変化します。先生が「日本語にも実はありますよね。例えば『谷(tani)』が複合語になって『ムーミン谷(muumin-dani)』のように、t → d という変化をするでしょう」とおっしゃって「おお、確かにそうだ」と思いました。

より滑らかに自然に発音できるよう、ネイティブスピーカーは無意識のうちにこれができちゃうんですね。ところが外国人である我々はこれを一つ一つ意識して覚えて変化させていかなければならない。でもこれは日本語を学んでいる留学生が最初困惑する「一本(ippon)、二本(nihon)、三本(sanbon)」なども同じですね。私たちは意識することなく言い分けていますが、留学生から「なぜこんなに複雑なの?」と問われて、改めて「そういえばそうだ」と気づくのです。

動詞の過去形

フィンランド語の動詞を過去形にするときは、目印として「i」か「si」がつき、さらに「母音交替」と呼ばれる発音の調整が行われます。これは以前に一度自分でプリントにまとめました。

kpt の変化(子音交替)がある。
②目印は主に「i」だが、一部に「si」もある。
③三人称単数は語幹のまま。


■「si」がつく過去形の語幹
1.AtA、otA、utA タイプ …… 最後の「tA」を取って「si」。
2.tAA(子母母 tAA、ltAA、rtAA)タイプ …… 最後の「tAA」を取って「si」。
3.ntAA タイプ …… 「a + ntaa」の場合「i」、「それ以外 + ntAA」の場合「si」。
★例外「tuntea(知る)」は最後の「tea」を取って「si」。


■「i」がつく過去形の語幹
1.o、u、ö、y + i タイプ …… 変化なし。
2.e、ä、i + i タイプ ……「e、ä、i」が消える。
3.aa、uo、yö、yy、ie など二重母音 + i タイプ …… 前にある「a、u、y、i」などが消える。
4.oi、ui + i タイプ …… 後ろにある「i」が消える。(現在形=過去形)
5.a + i タイプ …… 三音節以上、または二音節で最初に出てくる母音が「o」か「u」の場合「a」が消える。それ以外の場合「ai」が「oi」になる。
★例外「käydä(訪れる)」は語幹が「kävi」に。

……う〜ん、やはり徹底して動詞を覚えないと、使い物にはならないようです。動詞の原形をきちんと知っていなければ、こうした変化もさせようがないのですから。

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歯の健康と経済状況、そしてQOLの向上

東洋経済オンラインに、興味深い記事が載っていました。マンガ『闇金ウシジマくん』の作者・真鍋昌平氏の、取材で出会った人々に関する述懐です。

toyokeizai.net

「カウカウファイナンス」で働く従業員の過去も描いた「ホストくん」編では、50人くらいに会った。テレクラで売春する母と家出中の娘が物語の中心となる「テレクラくん」編では、竹の塚(東京・足立区)のテレクラに1日いて40代以上の女性に会い、ラブホテルで話を聞くということをした。

そのとき会った人は歯の抜けている人たちが多かった。幼いときに親が歯磨きをしてあげていたか。虫歯の治療にお金をかけられるか、歯の状態には、育った家庭環境や現在の経済状況が表れる。歯はそういうバロメーターなので、マンガでは意識的に描き分けた。

「歯の状態には、育った家庭環境や現在の経済状況が表れる」。これは本当にその通りだと思います。かなり前に、通訳学校で歯科医師の方を招いて講演をしていただき、通訳訓練を行ったことがあるのですが、アメリカでの歯科医療の経験も長い先生が「アメリカでは歯並びが社会的ステイタスの一つになっています。つまり、歯列矯正を行えるだけの富裕層だという証なんですね」とおっしゃっていたのがとても印象的でした。

確かに、歯列矯正には少なからぬお金がかかります。日々の暮らしに「かつかつ」の状態であれば、そんなところにまずお金はかけられない。歯列矯正まで行かずとも、虫歯の治療もそこそこお金がかかる……真鍋氏がおっしゃるように歯の健康と家庭の平和や経済状況はかなりリンクしてくるのでしょうね。

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https://www.irasutoya.com/2015/07/blog-post_314.html

ところで、歯の健康に関しては先日、NHKの『ガッテン!』で興味深い内容が放送されていました。日本人は虫歯になる人が多く、40代で虫歯のある人がほぼ100%というデータもあるそうです。ところがこの数字を劇的に減らすことに成功した国があって、その「虫歯予防先進国」としてスウェーデンが紹介されていました。

www9.nhk.or.jp

番組に登場したスウェーデン人の歯、特に高齢者の歯の「きれいさ」に驚きました。かなりの高齢になっても歯があまり欠けておらず健康で、入れ歯の人も少ないというのです。その秘密として紹介されていたのが歯磨きの方法なのですが、その「イエテボリ・テクニック」と呼ばれる歯磨き法がなかなか興味深かったです。

1995年に発表されたというこの「イエテボリ・テクニック」は、歯磨き粉の中に含まれている虫歯予防のための成分・弗素(フッ素)を、歯磨き後もできるだけ口中に残すことを目的としています。具体的には、歯磨きをしたあと「口をゆすがない」のです。水で口をゆすいでしまうと、せっかく歯の表面にコーティングされた弗素が流されてしまって、虫歯予防の役割を発揮できないのだと。

う〜ん、これは面白い。私は幸い、現在のところは虫歯がない状態を維持しています。これは十年ほど前に「中年になってからの歯列矯正」をしたあと、ほぼ半年に一回のペースで検診を受けることを継続してきたからですが、できればこのままの状態を老後も維持したいと思っています。なんといっても自分の歯できちんと食べることができるというのは、QOL(クオリティ・オブ・ライフ:生活の質)に直結する大問題ですから。それで、さっそくこの「イエテボリ・テクニック」を実践してみようと思いました。

とはいえ、食事をしたあとに歯を磨き、その後口をゆすがないというのはかなり抵抗があります。ちょっと汚い話ですが、食べ物の残り滓などが口中に残っているような感覚があるんですよね。でもこれ、一度磨いてまずはこれまで通り口をゆすぎ、あらためてもう一度磨けばよいのだと気づきました。ということでここ数日、実践中です。やり方は以下の通り(上記ウェブサイトより)。

1.フッ素配合の歯みがき粉をたっぷりと使う(目安は2cm)。
2.歯全体に歯みがき粉が行き渡るように意識して2分程度歯みがきを行う。
3.口の中の泡を吐き出したあと、口をゆすがない(私はここで一度ゆすぎ、もう一度1.に戻ります)。
4.歯みがきのあと、2時間飲食をしない(間食をほとんどしないので、これは大丈夫)。

やってみると分かりますが、口の中の泡をきっちり吐き出してしまうと、思ったより気になりません。そして数分も経つと全く気にならなくなり、むしろ爽快感が持続する感じがします。これはなかなかいいですね。歯磨き粉自体は安価なものだし、歯科医にかかることを考えればこれは究極の虫歯予防法、そして老後のQOLを向上させるための方法になるかもしれません。

Suicaに慣れるとクレジットカードすら「めんどくさい」

留学生の通訳クラスで教材として使える短いニュース映像はないかな……とYouTubeを検索していたら、こんなのがありました。フリマアプリの「メルカリ」が運営する電子決済システム「メルペイ」が支払額の最大70%をポイント還元するキャンペーンを始めた、という話題です。

youtu.be

支払額の70%をポイント還元って……要するに100円の買い物を「メルペイ」で支払えば、70円戻ってきて実質30円になるってことですか? なんだかすごい大盤振る舞いですけど、そうやってユーザーを囲い込もうという初動作戦なのかな。でも私、このニュースにまったくときめきませんでした(もっともキャンペーンはすでに終了しちゃってますけど)。

もとより個人的にキャッシュレス化絶賛推進中で、クレジットカードでの支払いはもちろん、各社の電子決済システムや電子マネーを試してみた結果、「現金を持ち歩く+現金で支払いをする」ことから本質的に解放されるのは、SuicaPASMO)だけという結論に達してしまったからです。

ブロガーのちきりん氏がこちらの記事で書いてらっしゃいますが、Suica以外の支払い方法はどれも「めんどくさくてやる気になれない」です。

chikirin.hatenablog.com

というわけでLINE PayもPayPayも、今チャージしてある分を使い切ったらアプリを削除するつもりでいます。あとはほとんどの支払いをクレジットカードでしています(たとえ100円でも)が、やはりこれもSuicaの簡便さに比べるとかなり「めんどくさい」ですね。

まずクレジットカードはときどき「使用拒否」に遭います。お店によって「うちはカード不可です」と言われたり「○千円以上じゃなきゃダメ」と言われたり。前者はまあ仕方がありませんが、後者はなんだか後味が悪いです。カード使用金額の下限を設定するのは信販会社との契約違反だという話もありますが、よく分かりません。

それから決済時にお店によって「暗証番号を入力」か「サインをする」か「何もしなくてよい」か「一定金額以上はサインをする」か……と様々なのはどういうことなんでしょうね。たぶん各店舗それぞれの事情がおありなんでしょうけど、これもけっこう「めんどくさい」。

私が日常的に利用しているお店では、スーパー「オオゼキ」や「東急ストア」や「カルディ」はいくら買っても暗証番号もサインも不要。「成城石井」はお店によってサインが必要だったり要らなかったり。渋谷の「フードショー」で買うときは生鮮食品売り場ではいくら買ってもサインレスですが、同じ「フードショー」のお酒売り場では一定金額以上サインが必要です。

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https://www.irasutoya.com/2017/12/blog-post_58.html

こうしてみると、クレジットカードもけっこうめんどうですよね。「何もしなくてもよい」カルディでは、必ず「サイン不要ですが、ご一緒に金額の確認をお願いします」と丁寧に金額のところをボールペンで○をして下さる「儀式」があるんですけど、あれもめんどう。カルディは、クレジットカードで支払うとあの3枚連続したレシートが出てきて(そのうち2枚目を客に渡す)、その3枚に全て店員さんがサインするのを待っているのもめんどうです。

自分の「イラチ」加減にあきれます。いずれもほんの数秒程度なのにね。それでもSuicaの「取り出してピッでおしまい」の簡便さの前には全てが色あせて見えます。Suicaはポイントもたまらないし(JRE POINTというのがあるんですけど、私はPASMOなので使えません)素っ気ないことこの上ないんですけど、もとよりポイントなんて全然期待していないので、その素っ気なさ=簡便さが普段使いにはぴったりなのです。

Apple Payも使ってみましたが、使えるお店が少ないうえに、導入しているお店も慣れていないことが多く、Apple Payのステッカーがあるのに使えないというケースが続出して、使うのをやめました。モバイルPASMOが実現してスマホひとつで全ての決済ができるようになったらまた使うかもしれません。今のところスマホケースにPASMOを入れて使っているのですが、改札を通るたびにiPhoneの「ウォレット」が誤起動するので。

というわけで、以前にも書きましたが「モバイルPASMO」の実用化を一日も早く……と願っているのです。

qianchong.hatenablog.com

ひとさまの通訳を聞いて

これまで、自分が通訳している音声や映像がネットにアップロードされたことが何度かありました。それはラジオ番組だったり,YouTubeだったりするのですが、業務終了後も半ば永遠にこうやって訳出が晒されるのって、ちょっと理不尽でもありますよね。

それはさておき、こうした音声や映像をあとから視聴し直すのは、本当に身が縮む思いです。ですから私、同じようにネットに上がっているひとさまの通訳の善し悪しを云々するのは、できるだけやるまいと思っています。通訳学校の授業でのレビューは別ですが、私はひとさまの訳出を云々できるほどのベテランでもないですし、もとより通訳や翻訳には「これが正解!」というものはなく、ただ「より良い訳」があるだけなのでしょうから。

米原万里氏の名著『不実な美女か貞淑な醜女か』に、師匠の徳永晴美氏から言われたというこんな言葉が紹介されています。

他人の通訳を聞いて、『コイツ、なんて下手なんだ』と思ったら、きっとその通訳者のレベルは、君と同じくらいだろう。『ああ、この程度の通訳なら、私だって出来る』という感触を持ったなら、その人は、君より遙かに上手いはずだからね。

そうそう、ホントにそういうものなんですよね。そういうものなんですけど、先日通訳教材を作っているときにたまたま聞いた、北海道日本ハムファイターズの台湾人選手「大王」こと王柏融氏へのヒーローインタビューは、ちょっとひどいんじゃないかと思いました。

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▲4:57あたりから。

私はプロ野球の知識がほとんどない素人ですが(だからあえてこの教材を作ろうと思ったのです)、ヒーローインタビューってこんなに「てへぺろ」なテキトーな感じでいいものなの? 王柏融氏の入団会見における通訳者さんお二人はとても丁寧な訳出で勉強になりましたが、このヒーローインタビューは……台湾と日本のファンは怒ってもいいんじゃないかなあ。そして球団側も、もう少し通訳することや通訳者の重要性について意識を高く持っていただけたらと願います。

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▲この2本も、聞いているこちらが冷や汗をかきます。

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https://www.irasutoya.com/2015/11/blog-post_995.html

ごはん、作りたくないですか?

先般の十連休に入る直前、同僚のとある知り合い(共働きの女性)が嘆息していたという話を聞きました。いわく……

十連休なんてとんでもない。混雑が嫌いだからどこにも行けないし、家族4人分、朝昼晩のごはんを10日間作らなきゃならない。4人×3食×10日間で、合計120食も作るんだ……と考えたら卒倒しそうになった。

う~ん。最近「ご飯作りたくない」というフレーズが巷で飛び交っているようで、試しに「ご飯作りたくない」で検索してみると、実に様々な方が悩みを吐露されているのが分かります。そうか、そんなに苦痛なのか……あと、夫は何してんだか。

うちは共働きなので家事も分担していて、私は買い出しと炊事と後片付け、細君が掃除と洗濯担当です。育児をしておらず、介護からもいまのところは解放されているので「家事を分担している」とエバって言うほどのものでもないのですが。

それでも仕事が忙しい時期など、毎度毎度の食事を作るのが大変……ということは実は全くなくて、毎度毎度楽しくて仕方がありません。別にたいしたものを作っているわけでもないですし、夫婦二人分なのでこれもエバって言うほどのもではないですが、マンガ『きのう何食べた?』の筧史朗氏が言うところの「うーーん、仕事で案件をひとつキレイに落着させたくらいの充実感を一日に一回も味わえるなんて、夕飯作りって偉大だよ」というの、よく分かります。

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そして筧史朗氏の「買い物友達」である佳代子さんが言うところの「ごはん作るだけでイヤな事あってもけっこうリセット出来んのよね」というのも、よく分かる。それくらい好きです。

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▲いずれも『きのう何食べた?』第1巻より。

食洗機も持っていないので(本当は欲しいけど、置けないくらいキッチンが狭小なのです)毎回皿洗いをしていますが、これも段取り考えてちゃちゃっとやるか、ご飯作りながら同時進行で片付ければ、そんなに苦にはなりません。

ただそれでも、ときどき「あー今日はちょっと疲れて面倒だから、手抜きでいこう」って日はあります。とはいっても冷凍食品とかスーパーのお惣菜とかで済ませちゃう……というのはどうしてもできなくて、最低限ご飯と味噌汁くらいは作って、お刺身をつけるというようなパターンが多いです。

冷凍食品やお惣菜を買わないのは、いずれも味が濃すぎて食べるのがつらい(もっと正直に言うとおいしくない)からですが、もし濃い味でも大丈夫だったらどんどん利用しちゃえばいいですよね。最近の冷凍食品はかなり進化しているというハナシですし。いや、昨今の高齢化を反映して、薄味の冷凍食品も登場しているかもしれません。今度じっくりスーパーの売り場を探検してみたいと思います。

冷凍食品はほとんど買ったことがないですが、近くに生の餃子を製造直売しているお店があって、ここの餃子はわりとあっさり薄味なので、炊事が面倒な日はよく利用しています。先日通勤電車に乗っていてこのお店の車内広告を見つけたので、思わず写真を撮ってしまいましたが、説明文のほとんどにマーカーが入っていて笑いました。店主のオススメ度合いがハンパではありません。今夜も買って帰ろうと思います。

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「お疲れ様」をめぐって

先日、Twitterたまたまこんなツイートを目にしました。ファッションモデル・歌手・女優(Wikipediaより)の山田優氏がインスタグラムに書き込んだ「天皇皇后両陛下お疲れ様でした」という言葉が失礼だとして「炎上中」というのです。

私、中国語圏の芸能界には詳しい(というかお仕事の関係で詳しくなった)のですが、日本の芸能界にはとんと疎いので、山田優氏を存じ上げませんでした。が、こちらは私もテレビで存じ上げている小栗旬氏のお連れ合いとのことで、おおそうなんだ……って、あれ、何の話でしたっけ。そうそう、「お疲れ様」を目上の人に対して使うのが失礼という話でした。

世上よく「ご苦労様」を目上の人に使うのは失礼で、「お疲れ様」はオーケーなどといわれます。私もかつて会社などでそう教わってきた世代なので、まあそれが習慣になっていますけど、現代では「お疲れ様」も目上の人に使えなくなりつつあるのか……ととても興味深いものがありました。

上記のツイートをされた方も「じゃなんて言えばいいんだ」という声を紹介されていますが、確かに目上の人に使える他の言い方を思いつきません。個人的には「ご苦労様」だって要は言い方の問題(声のトーンとか、言う際の表情とか)で、目上の人に使ったって別にいいんじゃないかと思いますが、こういう身についた習慣や周囲の空気というのはかなり力を持っていて、どうしても自己抑制がかかってしまいます。

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https://www.irasutoya.com/2016/10/blog-post_978.html

ちなみに中国語で「ご苦労様」とか「お疲れ様」にあたるのは、まあ“辛苦了(xīnkǔle)”ってことで日本の方はよく使われるんですけど、これは文字通り本当に身も心も辛くて……という感じなので「普段使い」にはあまり向かないような気がします。これも「じゃなんて言えばいいんだ」ということになりますが、母語話者を観察していると、退勤時だったら軽く疑問調子で“下班了(帰るの?)”とか、授業を終えた先生だったら“下課了(授業、おしまい?)”とか、そんな感じですかね。または単に“再見!”とか“拜拜!”とか。

これは別に中国語にねぎらいの言葉が少ないというわけではなく、「ご苦労様」とか「お疲れ様」のようにオールマイティな「ねぎらいワード」でこと足れりとせず、もっと具体的な状況を言ったり、おしゃべりのやりとりをしたり、あるいは「まあ茶でも飲め」とか「お菓子食え」とか、そういった「実質」で相手をねぎらっているような、そういう文化だからのような気がします。

そういう意味じゃ山田優氏も「天皇皇后両陛下お疲れ様でした。ありがとうございました」でこと足れりとせず、例えば「この三十年間、現代における象徴天皇のあり方を模索してこられ、今回の生前退位についても当初は困難も予想されたなかで抵抗勢力を説き伏せるのはさぞかし大変だったと思います。また先の大戦における犠牲者の追悼も国内外にわたって継続されてきた姿勢に感銘を受けました」などと具体的かつ実質的にねぎらえばよかったのかもしれませんね、はい。

バリューブックスの新サービスを利用してみました

ゴールデンウィークの間に本棚の断捨離をしました。これは年に何回かやっていて、そのつど「古本募金」に寄付してきたのですが、今回はバリューブックスさんの新しいサービスを利用してみることにしました。こちらが一箱あたり500円の送料を負担するかわりに、古本屋さんからは事前に査定額が示され、それに納得したら売買成立というサービスです。

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https://www.valuebooks.jp/

配送業者さんが送り状を準備したうえで集荷に来てくださるので、箱を自分で用意する以外は特に手間もかからず、査定額はすぐにウェブサイト上のマイページに提示されます。一冊一冊すべての査定額が示されるのですが、意外な本が高値だったり、個人的にはこれはけっこう価値があるんじゃないかと踏んだ本が案外安かったりして、面白かったです。なにかこう、今の時代における書籍の需要というか、市場のありようが透けて見えるような気がしたのです。もちろん古本の価格はその本の状態にもよりますし、もとより私の偏った嗜好の本ばかりなので市場全体を見通せるわけではないのですが。

まず、文庫や新書のたぐいは、その本の状態や市場でのランク付け(★五つで示されます。需要度と考えればいいのかな)に関わらず、数十円から高くても百円程度。ただしビジネスとか最新の金融関係(フィンテック、仮想通貨など)はけっこういいお値段がついていました。

文芸関係はソフトカバー・ハードカバーに関わらず、全体的に評価が低いですね。この辺は昨今の文芸離れを反映しているのかしら。ただ、韓国のチョン・セラン氏の連作短編小説集『フィフティ・ピープル (となりの国のものがたり)』だけは例外でした。最近は韓国のこうした新しい文芸に注目が集まっていますものね。

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あとはビジネス書で自己啓発系も需要があるみたい。ただし最新刊に近い、巷で話題になった本だけですね。まあこれも当然かもしれません。ちょっと硬派で、でもベストセラーになっているハードカバーの自己啓発系ビジネス書は定価もお高く、ずっと長く持っているような本でもないので比較的きれいな古本が市場に出回っており、需要も高いのかなと。

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今回は料理本も思い切っていくつか処分したのですが、これはいずれも需要があまりないんだなあと分かりました。向田邦子氏のこの料理本など、今ではわりと貴重かなと思っていたんですが、まあ向田氏の作品を知らない方も多いですかねえ。

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あまり査定額をさらすのもはしたないのでこれくらいにしておきましょう。かつて古本屋さんに軽トラック一台分の書籍を売って文字通り二束三文だったのがちょっとしたトラウマになっていたんですけど、売り手と買い手双方がハッピーになることができるバリューブックスさんのこのシステムは、納得感が高いと思いました。

ジャガーの眼

劇団唐組の『ジャガーの眼』を観てきました。東京は新宿の花園神社境内、特設のテント小屋。この光景はかなり懐かしいです。

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劇作家で俳優の唐十郎氏が率いる状況劇場・紅テント。劇団唐組はその流れをくんでいて、座長は今でも唐十郎氏ですが出演はしていません。紅テントをはじめとするテント芝居、三十年ほど前の学生時代には足繁く通っていました。

私はいわゆるアングラ演劇とか暗黒舞踏とか、その辺りのムーブメントには少し乗り遅れていた世代で、むしろ下北沢のザ・スズナリに代表される小劇場演劇から、第三舞台夢の遊眠社(おお、いずれもインプットメソッドが一発で変換してくれませんね)が大劇場に進出してメジャー化していく辺りがちょうど大学生の頃。すでに比較的スタイリッシュな演劇がもてはやされていた頃でしたが、私はどちらかというとテント芝居のようなちょっと猥雑で手作り感満載の雰囲気に惹かれていました。

紅テントの芝居は、難解かつ詩的な大量のセリフを超高速でまくし立て、劇中歌がたびたび入るスタイルで、滑舌とか間とか、あるいは会話のリアリティとか、そんなものは一切すっ飛ばしてとにかく大声と汗と熱で押し切る!……のが魅力的でした(って、まとめちゃうと身も蓋もありませんが)。「68/71黒色テント」みたいなどちらかといえば上品(?)な作風の劇団もありましたが、他にも「風の旅団」とか「十月劇場」とか、とにかくテント芝居に惹かれて、今思い出すだけでもいろいろ観に行きました。

ジャガーの眼』は1989年に目黒不動尊境内の紅テントで観ました。ネットで検索してみるとこれは再演で、すでに「唐組」になってからのことだったようです。唐十郎氏も主役の「サンダル探偵社・田口」として出演していて、とにかく面白くて強烈な印象を残しました。今回「名作選」としてリバイバル公演されたわけですが、冒頭の劇中歌「♪この路地に来て思い出す/あなたの好きなひとつの言葉〜」を今でも覚えていて歌えたのに自分でもびっくりしました。それくらい印象深かったわけです。

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それでもまあ、2019年の今になって観る唐十郎のお芝居は、当然のことながら当時のものとはかなり違っていました。話の筋を知っているというのもありますが、俳優さんたちの熱演にもかかわらず、やはり全体的にパワーダウンしているのは否めません。いえ、これは俳優さんたちがパワーダウンしているのではなく、今の時代が、こうしたアングラ演劇を成立させるような熱気というか空気というか雰囲気というか、そういうものをすでに失っているからかもしれません。

そして何より、観る私がパワーダウンしているからだと強く感じました。二時間強、途中に十分ずつの休憩を二回挟んだ三幕構成のお芝居を、地面に板を敷きその上にゴザを敷いただけの桟敷で、満員の観客の間に挟まって観るのがもう疲れて疲れて。三十年前は疲れたとか膝やお尻の痛さなど全く感じることなく、演劇世界へ引き込まれて時間を忘れましたが、今回は全く勝手が違いました。

そして失礼ながら、周囲を見回すと、観客のほとんどは私と同年代か、更に上の世代の方々。つまりは私同様、かつてテント芝居にはまって、今回それを懐かしく思い出しつつ花園神社へ再集結したような方々ばかりで、幕間にみなさんその場に立って足腰を伸ばしたり,膝をもんだり……いかにもお辛そう。私も腰をさすりながら思わず笑いました。

芝居の終幕は、お約束で舞台後方のセットが全部外され、花園神社の境内に出演者たちが消えていく……という演出。みなさん足腰の痛さを忘れて大喝采でした。さらにカーテンコールで役者を一人一人紹介するのもお約束。さらにさらに、最後に「座長・唐十郎!」ということで、ご本人が花道から登場。

足元もおぼつかない感じでしたけど、俳優さんの一人に両手を引かれてゆっくり舞台に。うわあ、唐十郎さんもお年を召されたなあ(当然ですが)。舞台でも何をおっしゃってるのかよく分からなかったけど、これもまあ唐十郎さんらしい。最後はやはり境内の奥に消えて行かれました。

唐十郎氏にはいまだファンも多いようで、この「唐組」の他に、受付で配られたチラシの中には「唐ゼミ」という劇団が今秋旗揚げというのもありました。『ジョン・シルバー』三部作をテント公演するそうです。個人的には台湾と関連のある『ビンローの封印』をもう一度観たいなあ(と思って検索してみたら、なんと二年前に再演してた!)。でもテント芝居を観る体力はもう……。

前例を覆した結果

昨日の東京新聞、師岡カリーマ氏による「本音のコラム」では女性皇族の儀式不在を取り上げていました。儀式に女性皇族を出席させないという「伝統」に疑問を呈し、前例がないという向きに対しては「儀式における洋装も、かつて『前例を覆した』結果」ではないかと。その通りだと思います。

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だいたい現在の天皇のあり方そのものが「かつて前例を覆した」結果ですし、天皇が東京に住んでいることも、洋食での晩餐会も、儀式の時に身につけていた洋装だって勲章だってそうです。私は約三十年前の代替わりの際、衣冠束帯姿で笏を持った天皇が洋風の馬車に乗って移動しているのを見て、腰を抜かさんばかりに驚きました。

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【写真で見る】天皇陛下、在位28年 様々な表情 - BBCニュース
儀装馬車の概要 - 宮内庁

本来ならこんな洋風の馬車や自動車じゃなくて牛車とか使うべきでしょ……って言う保守派がいないの、本当に不思議です。私は、天皇を始め皇族方はみなさん京都にお戻りになって、京都御所に住まわれるべきで、東京の御用地はすべて公園にして市民に開放すべきだと思っているんですが、そういうことを言う保守派や「伝統を守れ」派も寡聞にして知りません。

もちろん伝統というものは、なにも全てを墨守して一切変えないということではありません。それは常に「現在」と呼応してそのあり方が変容し続けていくものでしょう。それは伝統芸能のお稽古をしていても強く感じます。洋装も馬車も、現代に合わせた現実的な選択のはず。だったら女性についてもその筋で考えるべきです。今の皇室のあり方は、伝統を守っている部分と守っていない部分の筋が全く通っていないと思います。

傍若無人な方々

ゴールデンウィーク中、スーパーへ買い出しに行くと結構な人出です。特に今年は十連休でほとんどお正月のようなノリになっているからか、普段は並ばないような豪華な食材がどーんと売られていたりして、普段は買い出しになど来ないおじさんたちやお子さんたちなんかも連れ立っていて、店内がよけいにごった返しています。ま、令和、いや平和ですわ。

しかしそんな平和な昼下がりのスーパーで、文字通り「傍らに人の無きが若し」でこちらの心の平和をかき乱して下さる傍若無人な方々がいらっしゃいます。大抵は中年以降銀髪世代くらいまでのおばさま方です。

キュウリ掘り起こしおばさん

1本35円、3本100円のキュウリをためつすがめつ。少しでもお気に召したものを選ぼうとキュウリの山をほじくり返していらっしゃいます。あまつさえ、積んである箱をずらして、下の箱にまで「発掘」を進めてらっしゃる。どれを取ってもそんなに変わらないと思うんですけど、その執念に圧倒されます。というか、はやく選んでどいていただきたい。他の人が取れなくて困ってるから。

選んでポイおばさん

そういうおばさんは、お眼鏡にかなわなかったキュウリをポーイと山に投げて返すんですよね。キュウリに限らず、袋詰めしてあるモヤシなんかの野菜などでもそういうおばさんを時々見かけます。ご自分は買わないんでしょうけど、お店にとってはそれも売り物ですから、私がお店の人間だったらそういうお客さんをつまみ出したい衝動に駆られると思います。

要らなくなったらポイおばさん

時々、商品の棚に異質なものが置かれてあることがあります。例えば日用品売り場に豚コマ肉のパックが置いてあるとか、乳製品の棚にナスの五本袋詰めが置いてあるとか。以前からアレは何なのかしらと思っていたんですが、あるときその理由が分かりました。とあるおばさんが、自分の押しているカートのかごから肉のパックを取り出して、その辺の棚にポーンと置くのを目撃したのです。

なるほど、買い回っている間に「やっぱこれ要らないわ」と思うも、元の売り場まで戻るのは面倒だからその辺に置いちゃえ,どうせ私は買わないし……ということなんですね。これもお店の人からしたらとんでもない迷惑行為ですが、けっこうよく見かけます。というか、このレベルになると少々認知症的なものも関係しているかもしれません。

何が何でも奥から取りたいおばさん

そんなに腰をかがめて腕をねじ曲げていたら筋がつっちゃうんじゃないの?……とこちらが心配になるくらいの姿勢で、棚の奥に腕を突っ込んで少しでも奥のものを取りたいと奮闘しているおばさんです。牛乳パックでも肉でも野菜でも、とにかく一番奥から取らないと気が済まないみたい。肉のパックなど、パック日が全部同じでも、やっぱり奥から取らなきゃ損! みたいな信仰があるみたいですね。ただ、これについては職場でアンケート調査してみましたところ、「必ず手前から取る派」は何と私ひとりだけでしたから、私の方がおかしいのかもしれません。

レジではやくしろよおじさん

ここまではおばさんばかり取り上げてきましたが、これだけは圧倒的におじさんの領分です。おばさんでこのタイプは、私はまだ遭遇したことがありません。少しでもレジの列が短いのはどこかと右往左往しているうちに却って時間を使っちゃってるおばさんはよく見かけますが。

はやくしろよおじさんは、前の人や前の前の人がレジで支払いにもたついていると、まずは「チッ」と舌打ちをはじめ、そのうちに速やかな清算終了を求めて怒鳴るのです。「何もたもたしてるんだ」「レジに店員を増やせよ」……等々。もとより内向的で慎み深い日本人のこと、こうやって声にまで出しちゃうおじさんの出没確率はそれほど多くありませんが、明らかにイライラしているおじさんはけっこうよく見かけます。

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https://www.irasutoya.com/2018/09/blog-post_22.html

いい年してみっともない、というか、はしたないことはお互いよしましょうよ。どこかの国の首相も改元にあたって「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」などと新しい時代への展望をのたまっているではありませんか。野田秀樹氏がおっしゃったように「醜く心を寄せ合う」ことなどあり得ないんですからいささか意味不明ではありますが、「日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく」んでしょう? まずは隗より始めよ、身近なところからですよ。

……と、かく言う私も上述のようなおばさんに接するとつい「どれでも同じだよ」とか「いい年してみっともないよ」などと声に出して言っちゃうんですから、「はしたない」ですし「傍若無人」かもしれません。人の振り見て我が振り直せ。以て自戒としたいと思います。