インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

ロシア語だけの青春

黒田龍之助氏の『ロシア語だけの青春』を読みました。一読、次々に付箋を貼りたくなるくだりが続出、でもページの先を早くめくりたくて、小さな付箋紙を貼り付けるのももどかしく思いながら、一気に読み終えてしまいました。いや〜、これは語学好きにはたまらない一冊です。とくに一時期ある語学に「ハマって」しまい、なおかつそれを仕事でも使うようになり、さらには教える立場にまでなってしまったような人間にとっては。

文字通りそうした道を歩まれてきた黒田氏は、東京は代々木にあったロシア語の学校「ミール」(2013年に閉校)に通い、学校を通して仕事をするようになり、その後そこで教鞭まで取るようになります。この本は、その学校「ミール」での教学方法や、先生とクラスメートたちの思い出を中心に綴った作品で、氏と引き比べるのも僭越ながら私も中国語で同じような道をたどってきたので、なおさら読後感もひとしおだったのです。

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ロシア語だけの青春: ミールに通った日々

語学学習者の視点から

付箋を貼った箇所から、語学学習者として心に残った点をいくつか。私にはこれらの記述が、まるで語学に関するアフォリズム箴言)のように読めます。

●ただひとつ、生徒が不自然なまでに大声で発音することが、印象的だった。

大声は、語学の初級段階においてはとりわけ大切だと思います。私は最初に通った中国語学校の先生が毎回授業に遅刻してくるのに腹を立ててそこをやめ、飯田橋にある日中学院の授業を見学に行ったのですが、その時の光景は今でも忘れられません。もう故人となられたP老師のもと、生徒さんたちがものすごい大声で“課文(教科書のテキスト)”を音読していたのです。

●発音はネイティブに習うより、日本人の専門家から指導されたほうがいい。

これは中国語も同じだと思います。もちろんネイティブでも外国人に中国語を教えるメソッドをきちんと学ばれた方は別ですが、日本語母語話者の特質に留意しながら中国語の発音を教えることができる方は存外少ないのです。

●一定以上の時間を継続して確保できなければ、外国語学習はできない。
●昔の芸事というものは、ほとんど毎日だったらしい。(中略)毎日同じお師匠さんの所へ通って、同じことを習うのである。「身につける」というのは、そういう訓練を通してのみ実現できる。

私が日中学院で通ったのは、夜間の週三回クラスでした。会社に勤めながら週に三日も学校へ通うのはかなり大変でしたが、他の日に残業や早出をして時間を稼ぎ、ほとんど休まずに通っていました。その意味では、現在学んでいるフィンランド語は週に一回なので、少々物足りなさを感じています。でも東京近辺で、週に二回、三回と開講している講座がないんですよね。

●国内で充分な外国語運用能力を身につけないまま、現地に留学した人の外国語は、一見すると流暢だが、実は自信がなくて弱々しい。

これも語学関係者にはよく知られている話です。さらに言えば、きちんとした母語の基礎がないまま留学するのも危うい。この意味で幼少時から海外へ移住して英語を学ばせるという親御さんの「もくろみ」はかなりリスキーだと思います。もちろん、日本語なんてすっ飛ばして「英語の人」になっちゃっていい、というならいいんですけど。
qianchong.hatenablog.com

●外国語学習についていえば、暗唱は欠かせない。というか、暗唱してこなかった学習者の外国語は、底が浅いのだ。
●話せるようにならないのは、訳読が悪いのではない。その後に暗唱しないからである。

これは耳の痛いお話。中国語では私、暗唱を死ぬほど行ってきましたけど(それでも楽しかった)、フィンランド語は語形変化が激しいために例文を暗唱しても役に立たないことが多いと聞かされていて、決まり文句以外はあまり熱心に暗唱を行ってきませんでした。でも型に嵌った例文だって、アウトプットできれば上等ですよね。はい、教科書の暗唱、今日から始めます。

●数詞がきちんと使いこなせるかどうかは、学習者のレベルを判断する時に有効。

これはもっと耳の痛いお話。そう、確かに数字は語学の意外な盲点なんですよね。中国語はそれほど複雑ではないけれど、英語は位取りが日本語と違うからけっこうまごつきますし、フィンランド語に至っては数詞もどんどん格変化するのでかなり難しいです。黒田氏は「ミール」で最初に生まれ年を聞かれてまごついたというエピソードを書かれていますが、氏と同じ年の生まれの私もフィンランド語で誕生日を“Minä olen syntynyt syyskuun kahdentenakymmenentenäneljäntenä päivänä vuonna tuhatyhdeksänsataakuusikymmentäneljä”とすぐに言える自信がありません。

この項は、明日に続きます。