インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

フィン語だのフラ語だのチャイ語だの

群ようこ氏の小説で映画にもなった『かもめ食堂』にこんな記述があります。

暇な青年はひょこひょことミドリの手元をのぞき込みにきた。
「コレハ、カンジ」
鮭の字を指差した。
「そうです」
「コレハナンデスカ」
きっとフィン語で何かと聞いているのだろうと、ミドリが思わずサチエの顔を見ると、すかさず、
「merilohi(メリロヒ)」
と答えた。(文庫版99ページ)

私はこの「フィン語」という記述になぜか引っかかって、以前読んだときに付箋を貼っておいたのですが、要するにこれは「フィンランド語」のことですよね。日本語母語話者は(というかたぶんどの言語の話者でもやるんでしょうけど)言葉の経済性を追求してか、こういうふうに略して言うことが多いです。「ふぃんーご」と二音節で言うと簡便でストレスが減るのかな。いま通っているフィンランド語の教室でもときおり耳にするのですが、私はこういう省略、あまり好きではありません。

きょうびの大学生は中国語のことを「チャイ語」と呼ぶ、と聞いたのはもう十年以上前だったと思いますが、そのときも言いようのないむず痒さを覚えました。が、その後、書店でフランス語のことを「フラ語」と表記した学習参考書を見つけるにいたって、ああもうこれは自分の感覚の方が古くなっちゃったのかなと思いました。フランス語関係者(?)のみなさまはどう思っていらっしゃるのでしょうか。学生さんたちが「今日のフラ語、3限だっけ?」などと言っているのを聞いて、私と同じような気持ち悪さを感じたりするのでしょうか。

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https://www.irasutoya.com/2019/12/blog-post_3.html

いま、にわかに気になって「チャイ語」でネットを検索してみたら、「フラ語」同様すでに「チャイ語」を冠した書籍が出版されており、中国語母語話者の先生にも「チャイ語」を使ってらっしゃる方がいます。まあ学生さんたちにより親しみを持ってもらおうとする戦略と考えることもできますが、ご自分の言語をこうやって略称されて、複雑な気持ちにならないのかなあ。いやまあ、大事なのは中身であって、看板は軽くポップな感じでも構わないですか、そうですか*1

でもこのセンで考えると、中国語でも日本語のことを“日語(Rìyǔ)”とか“日文(Rìwén)”とか言いますね。“日本語(Rìběnyǔ)”とも言いますけど、前者の方がより一般的。しかもこの言い方に私自身はあまり気持ち悪さを感じないので、要は慣れの問題で、とどのつまり「フィン」とか「フラ」とか「チャイ」とかのつづめたカタカナ表記に反応しているだけなのかもしれません。英語を「英国語」、米語を「米国語」とはそもそも言わないし、「仏語」だの「独語」だの「露語」だのは少なくとも表記としてはよく使われますし。

しかもお若い方がこれだけ大量に「フラ語」だの「チャイ語」だのに馴染んでらっしゃるのですから、近い将来は「○○外国語大学チャイ語学科」という名称も一般化するのかもしれません。ううう。それに「フィン語」ですが、これは「フィン・ウゴル語派(suomalais-ugrilaiset kielet)」という言語群がありまして、その中の「バルト・フィン諸語(Itämerensuomalaiset kielet)」の一つとしてフィンランド語があるので「フィン語」と称するのも故なしとは言えず、フラ語チャイ語とはちょっと毛色が違うかもしれません。

*1:まさかと思って検索してみたら「イタ語」「スペ語」「ドイ語」「ポル語」などとおっしゃってる方もいました。いやはや。