インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

他人の目など気にしない

東京新聞朝刊の生活欄で連載されている、作家・広小路尚祈氏のコラム「炊事 洗濯 家事 おやじ」をいつも楽しみに読んでいます。

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タイトルからも分かる通り、以前このコラムは確か、作家兼「主夫」である氏の兼業主夫っぷりが毎回活写されていたように思うのですが、最近は大学受験の浪人中だという息子さんのことばかり書かれています。「どんだけ息子さんが好きなんだ」とツッコみたくなるほどですが、子供がどんなに大きくなってもこうやって愛情を示し続ける、しかもそれを公言してはばからないというの、とってもいいですよね。

今朝のコラムは、息子さんが「ハマって」らっしゃるという筋トレについて書かれていました。「あんまり鍛えると、おしゃれな洋服が似合わなくなる」「筋肉を鍛えるには、それなりにコストがかかる」「地道なトレーニングと自己管理が必要」……何でもないような記述ですけど、たぶん筋トレをやってらっしゃる方には、いちいちうなずける文章だと思います。

世間的には「筋トレをやっている」というと、おおむね身体の審美的造形を競う「ボディビル」のイメージからか、「ちょっと引く」方が多いんですけど(考えてみればボディビルダーに失礼ですが)、一般のサラリーマンにとってはもう少しストイックというか抑制の効いた趣味、ないしは自己肯定感を持てる愉しみ(動かせる「重さ」の数字が上がっていくから)なんですよね。さらに言えば、他人の目を気にせず一人になれる時間が持てるというか。

筋トレで「重さ」に向き合うときは、雑念をめぐらす余裕がありません。仕事でイヤなことがあっても、ストレスで疲れ切っていても、それを鎮めてくれる、ないしはリセットしてくれるような爽快感があるのです。昨今のジムはどこでも、比較的大きな音量の音楽がかかっていて騒がしいですし、ワイヤレスイヤホンで何かを聴きながらトレーニングされている方も多いですけど、私はそういう環境で、できるだけ自分の精神の底に潜り込んでいくようにするのが好きです。

何かの本で読んだ「ダンベルは友達。人間は裏切るけど、ダンベルは裏切らない」という至言(ただしこれを人に言うと、それこそ引かれます)の通り、重力という絶対的な物理法則に支配された筋トレの世界には、その「重さ」に向き合う世界に没頭することで、周りの世界をシャットアウトしてくれるような働きがあるような気がします。だから「ハマる」人も多いのかと。まあこれは、マラソンでも登山でも水泳でも、何でもいいっちゃいいんですけどね。

今朝のコラムに登場した広小路氏の息子さんや、そのご友人は、いずれも「他人の目など気にせず、我が道を行く。同調圧力の強い日本社会にあって(中略)まことにあっぱれな若者」であるそうです。そうそう、他人の目など気にせず自分のタスクに没頭できるのが筋トレのいいところです。ジムには色んな人がいて、中にはマナーの悪いおじさんなんかも出没するのですが、そういう存在をシャットアウトする心のありようとか、見事な筋肉の若い人を見てついつい自分のポッコリお腹と比較しちゃうみたいな詮無い雑念を振り払う心のありようとか、そういう修養の場にもなる。

パーソナルトレーニングに通っているジムのトレーナーさんによると、欧米では幼い頃から筋トレをするある種の文化があるのだそうです。だからホテルなんかにも必ずと行っていいほどジムが併設されているんですね。そういう身体を鍛える文化というのは、同時に心も鍛える効果があるのかもしれません。心を鍛えるという点は、日本で言えば座禅を組むようなものかなあ。座禅もまた、他人の目など気にしていては集中できないですよね。

他人を気にしたり、他人と比較したりしても、筋肉はトレーニングしただけしかつかない。これは語学でも同じですよね。「一週間でマッチョに」という筋トレが存在しないように「一週間でペラペラに」も存在しません。語学もストイックに「他人の目など気にせず、我が道を行く」のが吉だと思います。