インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

失敗の科学

先日の新聞に気になる記事が載っていました。1月2日に羽田空港で起きた飛行機の衝突事故に関して「調査による原因究明と捜査による責任追及が並行して進」んでいることに疑問を呈した記事です。大きな事故が起こると、日本ではその原因究明が行われる一方でとかく「犯人探し」にいそしむ傾向があるのではないか、なにより優先すべきは再発防止のための原因究明ではないか、事故記録を捜査や裁判に利用するのは国際的な条約からも逸脱しているのではないか……という内容です。

事故の調査を通じて責任の所在をあきらかにするのは当然ではないか、と思われるでしょうか。しかし刑事捜査を事故調査に優先させれば、事故の当事者や関係者は必然的に口をつぐみ、事故の真相があきらかにならない方向にことが進むようになります。この記事にもあるように「捜査に利用される恐れがあるとして、調査への証言を拒まれたら再発防止につながらない」のです。

私はこの記事を読む直前に、偶然マシュー・サイド氏の『失敗の科学』を読んだところでした。個人の責任を問えば問うほど、真相は闇に紛れていき、結局は誰も得をしないーーこの一見(とくに私たち日本人には)分かりにくい理屈を分かりやすく説いている好著だと思います。


失敗の科学

帯の惹句に「組織の話なのに小説のように面白い!」と書かれているとおり、この本にはさまざまな興味深い失敗とその後の対応に関する事例が紹介されています。詳しくはぜひ本書にあたっていただくとして、ひとつだけ。アメリカでは回避可能な医療過誤によって、年間40万人以上が死亡しているそうです。その一方でジェット旅客機の事故率は、100万フライトあたり0.23回。IATA加盟の航空会社に絞れば830万フライトあたり1回という驚異的な低率です。

飛行機は「最も安全な乗り物」と言われます。医療業界と航空業界のこの圧倒的な差はどこから生まれているのかについてこの本では、様々な失敗や過誤を闇に葬らないこと、失敗や過誤から学び、それを業界全体で共有して次に活かす態度やシステムの有無が指摘されています。つまりは失敗しないことや失敗の責任を個々人に課すのではなく、なぜその失敗が起きたのかを積極的にあきらかにするようなインセンティブを個々人に与えることで、安心や安全を究極まで高めていくことができるんですね。

個人の責任逃れマインド、あるいは事なかれ主義が極限にまで亢進して、街中に注意書きやアナウンスがあふれる日本の状態を私は「巨大な思考停止」ではないかと常々感じています。そんな思考停止状態では物事は何も好転せず、永遠に失敗し続けるであろうことをこの本は教えてくれます。そしてまた医療過誤や航空機事故のような重大な失敗だけではなく、私たちの暮らしや仕事における小さなミスや不具合についても、同じような視点を持たなければ改善はおぼつかないということをも気づかせてくれるのです。

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