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いつか役に立つことがあるかもしれません。

十二世紀ルネサンス

伊東俊太郎氏の『十二世紀ルネサンス』を読みました。この書名を見て、疑問を覚える方もいるかもしれません。ルネサンスといえば14世紀から16世紀の文化運動じゃないの、ギリシアやローマの文化を復興しようということで、ダ・ヴィンチとかミケランジェロとかが活躍したイタリアはフィレンツェなどを中心とする「あれ」でしょうと。

ルネサンスという言葉については、私もそういう雑駁な理解しかなかったのですが、先般中田考氏の『イスラームの論理』を読んでいたら、伊東俊太郎氏のこの『十二世紀ルネサンス』が引用されていて、そこにはこんな記述がありました。

我々は、西欧文明というと、ユークリッドアルキメデスや、アリストテレスくらいは、はじめから知っていた、早くからギリシア科学、ギリシア文明はヨーロッパに入っていただろう、と思いがちなんですね。よくヨーロッパの学者は、ギリシア以来三千年の西欧文明とか言うわけですが、とんでもないことで、そこのところに、実は大きな断絶があるのです。


十二世紀ルネサンス

実のところ、ギリシア文明の学術的遺産はほとんどローマには受け継がれず、その大半がビザンティン文化圏からアラビア文化圏に伝えられたということなんですね。つまりいま我々が「中東」として認識しているトルコからシリア、イラク、イラン、イスラエルパレスチナ、そういった地域へアラビア語などに訳されて伝わり、さらなる成熟を遂げていた。それが十二世紀になってようやくアラビア語などから、あるいは直接ギリシア語からラテン語訳されることで西欧世界に伝わったのだと。それを十二世紀ルネサンスと言っているわけです。

かつてアラビア語圏が学術の一大センターであったという事実は、例えば「アラビア数字」とか「アルゴリズム*1などといった言葉*2の存在からなんとなく理解しているつもりではいましたが、あらためてその歴史の流れを解説した本書を読んで、西欧文明ひいては私たちの現在の暮らしに、アラビア文化圏の歴史がどれだけ巨大な影響を与えているのかを考えさせられました。

中東あるいはイスラームと聞けば、かなりステレオタイプな世界観や価値観しか想起できない人が私を含めてほとんどではないかと思います。それは近現代におけるかの地の歴史や政治の情勢に依ってはいるわけですが、そういったステレオタイプなものの見方を改める一助として、この一冊はとても大きなインパクトを持っていると思います。

また個人的には、ギリシア語からアラビア語あるいはシリア語へ、さらにラテン語へという一大翻訳活動の流れと検証についての記述が非常に興味深いものでした。インドから中国さらに日本へと伝えられた仏典の翻訳、とりわけ鳩摩羅什玄奘らの漢訳について概説している『仏典はどう漢訳されたのか』と同じような興奮を味わいました。無数の翻訳者たちが活躍して人類の知的好奇心を満たしてきた歴史が垣間見えるからです。

*1:9世紀にイラクバグダードで活躍した数学者アル=フワーリズミーの名前からきているそうです。

*2:主なアラビア語起源の言葉にはまだまだこんな身近なものがあるそうです。→ アラビア語起源の単語