インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

ひらやすみ5.

発売を待ち望んでいた真造圭伍氏の『ひらやすみ』第5巻、さっそく買って読みました。帯の惹句に「辛い気持ちを癒す、友情の最新巻!!」と謳われているとおり、この作品は組織や人間関係のしがらみにとらわれず、自由で心癒される暮らしを追求したいという夢に応える……まずはそのような読まれ方をされているのだろうと思います(以下、若干のネタバレがあります)。


『ひらやすみ』第5巻

でもこの第5巻、ネタバレになるのであまり詳しくは書けませんが、そんな「癒やされる」暮らしのエピソードとともに、何気ない日常と背中合わせで常に存在している生と死のあわい、あるいは死の影みたいなものもの描かれているように感じました。

いや、死の影とまで言ってしまったら踏み込みすぎかもしれません。でもこの作品に登場するお若い方々はみんな、それぞれに一生懸命暮らしを紡いでいながらも、どこかにふとしたきっかけで壊れてしまいそうな、はかないなにがしかを抱えながら生きているように思われるのです。そこに私はハラハラさせられ、まただからこそ登場人物に感情移入してしまいます。

この第5巻では、物語の最初からちょうど一年経った春の季節が描かれています。私は毎年春になると、そのウキウキととした気持ちや心和らぐ気候とはうらはらに、いつもなぜか「疼く」ような感覚を覚えるのですが、そんな疼きのようなものをこの作品からは感じ取ることができるのです。それは登場人物たちの若さゆえの疼きなのかもしれません。

作者はそこまでは意図されていないかもしれませんが、私にとってはそういうふうな感覚を受け取ることができるからこそ、この物語がよりいっそう魅力的に感じられ、マンガ本としては例外的に「紙」の方を毎回購入しています(マンガ本はすぐに書棚で増殖してしまうので、基本的には「電子」で買っているのですが)。

東京は阿佐ヶ谷が舞台のこの作品、第5巻にはかの「阿佐ヶ谷姉妹」が描かれていました。どのページかは申し上げませんので、ぜひ探してみてください。それと後半に登場した「オムそば」がとてもおいしそうで、昨日の夕飯についつい作ってしまいました。