インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

能楽と儺戲

早朝、いつものようにジムでトレーニングしながら台湾の作家・蔣勳氏の講演音声を聞いていたら、中国古代の伝統芸能である“儺戲(nuóxì)”と日本の能楽とのつながりについて話されていて(34分あたりから)、思わずダンベルが止まりました。


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蔣勳氏の講演は、中国古代の人々が自らの祖先に鳥や蛇を仮想したーーそれは人間を超える能力(鳥は空を飛べる、蛇は人を瞬殺できる毒を持っている)があるからーーというお話から、やがてそれが鳳凰や龍を信奉する文化として発展していったというもので、とても興味深かったです。そうした動物への信奉がいわゆる「トーテム」を生み、それが仮面や京劇の隈取りにまでつながっているというお話の中で“儺戲”、そして能が出てくるのです。

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“儺戲”は仮面劇なのですが、同じ仮面劇である日本の能楽と発音が似ていると氏は指摘します。なるほど、「ぬお」と「のう」、確かに似ています。能楽はおよそ650年ほど前に観阿弥世阿弥親子によって大成された芸能ですが、それ以前に存在していた様々な芸能がベースになっているとされています。そうした芸能の中には遠く中国大陸や印度から伝わってきた芸能も含まれているとのことで、“儺戲”もそのルーツのひとつなのかもしれません。試みにネットで検索してみたら、こちらの記事を見つけました。

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では、このような伝統的で神秘的な芸術は、なぜ「能」と呼ばれているのだろう。私は、東京都立大学の中国研究者である渡辺欣雄教授に質問してみた。
渡辺教授は、中国の儺戯(鬼やらい)とかかわりがあるという。中国語の「儺」と「能」の発音が近いだけでなく、その起源、機能、造形、演技のプロセスなどで、両者には共通点が多いからだ。

なるほど、なるほど。ところで、『ドグラ・マグラ』などで有名な作家・夢野久作氏に『能という名前』という短い随筆があって、そこにはこんな話があります。

右に就いて私の師匠である喜多六平太氏は、筆者にコンナ話をした事がある。
「熊(漢音ゆう)の一種で能(のう)という獣がいるそうです。この獣はソックリ熊の形でありながら、四ツの手足がない。だから能の字の下に列火がないのであるが、その癖に物の真似がトテモ上手で世界中で有りとあらゆるものの真似をすると言うのです。『能』というものは人間が形にあらわしてする物真似の無調法さや見っともなさを出来るだけ避けて、その心のキレイさと品よさで、すべてを現わそうとするもので、その能と言う獣の行き方と、おんなじ行き方だというので能と名付けたと言います。成る程、考えてみると手や足で動作の真似をしたり、眼や口の表情で感情をあらわしたり、背景で場面を見せたりするのは、技巧としては末の末ですからね」「能」という名前の由来、もしくは「能」の神髄に関する説明で、これ位穿った要領を得た話はない。東洋哲学式に徹底していると思う。

私はこの随筆を含め、夢野久作氏の能に関するいくつかの文章(青空文庫Kindleなどで読むことができます)が大好きで、折にふれて読み返しています。喜多六平太氏から聞いたというこのお話は、学術的にはスルーされてしまう種類のものかもしれません(明治以前には「猿楽」と呼ばれていたそうですし)。でも私も夢野氏同様、このお話のほうが夢があって、というか能の本質をより言い当てているようで、いいなあと思います。


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