インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

言語学バーリ・トゥード

川添愛氏の『言語学バーリ・トゥード』を読みました。私は氏のご本が発売されるたびにほとんど買って読んでいるのですが、今回はこれまでとはまた違った雰囲気の軽妙な文体で楽しめました。やっぱり言語学者というだけあって文章がお上手なのかしら……と思いましたが、この本によると言語学者が言語に堪能で、言葉のセンスがあるというのは「あるある」な誤解なんだそうです。

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言語学バーリ・トゥード: Round 1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか

それでも氏のご専門は自然言語処理、とりわけ日本語のそれとのことで、日本語をめぐる様々な現象の観察とその応用にかけてはすぐれて巧みでいらっしゃるはず。実際この本では、ご自身がお好きだという格闘技よろしく、次々に笑いのツボを刺激する技を仕掛けてくるプロレスみたいな文体。題名の「バーリ・トゥード」もプロレス用語だそうです。

ただしその笑いのツボは多少マニアックでありまして(プロレス絡みとなると特に)、しかも失礼ながら中年以上の我々には「ニクいところを攻めてくるなあ」と楽しめるものの、お若い世代の方々にはちょっとその妙味が伝わらないかもしれない種類の技ではあるのですが。もちろん「オヤジギャグ」ほどまでには単純化されてはいないので、詳細な注釈とともに読み進めればお若い方でも帯の惹句にもある通り十分に抱腹絶倒できると思います。

東京大学出版会のPR誌『UP』での連載をまとめたものということで、様々な視点から言語学の面白いトピックを語っているのですが、個人的にはチェコ語を学習することになった際に「語呂合わせ」に頼ったというお話にまず惹かれました。チェコ語は英語やフランス語などから縁遠い言語だそうで、単語の類推が効きにくいというの、私がいま学んでいるフィンランド語とよく似ています。それで私もよく語呂合わせで記憶を定着させようともがいています。

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それから、新しい娯楽として氏が発明されたという「変な文探し」。これは例えば「カワイイはつくれる!」とか「遠い国の女の子の、私は親になりました」とか「パンにおいしい」といった、広告コピーやキャッチフレーズなどに見られる文法的に際どい、あるいは意外に深い視点を提供してくれる文を街角に探すという趣味です。実は私も前からやっていて、例えば東京メトロの「ホームドアにもたれかかったり、ものを立てかけるのはご遠慮ください」(「〜たり、〜たり」問題)や、東急の「発車しますと揺れますのでご注意ください」(当たり前過ぎて伝える意味なくない? 問題)などいろいろ採集しては楽しんでいます。

ほかにも「ルー語」に代表されるような「ニセ英語」のお話、それからインターネット上における文章の普及につれて「(笑)」→「w」→「草」と「進化」してきた自己ウケの表記についての考察など興味深いものばかりでした。

言語学の研究対象は「自然現象」として現にそこにある言葉であり、「正しい言語使用」ではないとおっしゃる氏の視点が面白く、うっかりこちらも言語学を志してみようかしらと思ってしまうような魅力がこの本には満ちています。お若い方ならことにそうでしょう。でも氏によれば「言語学勢はけっこう『当たりが強い』」らしく、それを志すのは修羅の道であるそうな。

議論をするときの言語学者は相手(の説)を潰しに行く獣である。それも、学会や研究会だけでなく、大学院の授業のレベルですでに、先輩か後輩か教員か学生かに関係なく、「相手を殺りに行く姿勢」が見られるのだ。(167ページ)

うおお、まさにプロレスの世界。私は頭脳も体力もそこまでタフではないので、これからも氏のご本を通して試合会場の後ろの方からリングを眺めることにしようかな。今回のこの本は「Round1」だそうですから、今後も『UP』での連載は続いて、そのうち「Round2」が出るのでしょう。それを楽しみに待ちたいと思います。