インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

「筆洗」の裏側を見せていただきました

今朝の東京新聞に「筆洗子」氏がその舞台裏を披露されていました。筆洗子は朝刊一面コラムの「筆洗」を執筆されている方だそうです。新聞や雑誌やなどの編集者がご自分のことを「編集子」と呼ぶことがありますから、筆洗子の名もその倣いなんでしょうね。「担当を退くまで素性を明かさない」のがルールなんだそうで、この記事では犬の姿で登場されています。

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毎日毎日一面を飾る、社を代表するコラムを担当されるご苦労はいかばかりかと思いますが、「おどおどと書くことを心掛けている」というのが興味深いと思いました。「一刀両断や反論を一切認めないような書き方はなるべくしたくない」と。歴史のあるコラムと同列に語るのも大変おこがましいのですが、私もブログを書くときに同じような感覚を持っているので、とても共感しました。

筆洗子氏が自らおっしゃっていますが、そういう「おどおど」とした書き方が、ときにしたたかなユーモアや批判(悪口ではなく、批判)につながることがあるんですよね。「『バカ』と書かず、『利口な人はたぶんやるまい』と書いた方がおもしろい」というのも、その一例かと思います。勇ましい、上から決めつけるような言葉は力強くて自分はスッキリするかもしれないけれど、読む人や聞く人の耳と心を閉ざしてしまうような。「嫌い」と書くより「苦手」と書いた方が、全く違う考えの人にもわずかに届くかもしれない可能性が残るような気がするのです。

ただ、これも私など言うのはおこがましいと思いながらも、「筆洗」に限らず、朝日新聞の「天声人語」でも毎日新聞の「余録」でも日本経済新聞の「春秋」でも、最後にちょっと人情を効かせてうやむやな、というか毒にも薬にもならないトーンに逃げ込んでしまうことが時々あって、あれはどうかなあと思います。うまい例が思いつかないんですけど「〜と思う今日この頃である」みたいな終わり方。

総じて現在の日本のマスメディアは、ジャーナリズムという観点からすればまったくもって舌鋒鋭くない、甘々の筆致が多すぎるように思います。新聞の一面コラムにまで強い批評精神を求めなくてもよいかもしれませんが、もう少し「辛口」でもいいんじゃないかなあというのがずっとこの手のコラムを読み続けてきた私の正直な感想です。

あと、なぜだかこうしたコラムを写経よろしく「書き写す」という活動が一部にあって、「筆洗」の東京新聞も「まるっと写しノート」なるものを販売されているんですけど、外語として日本語を学んでいる方がやるならともかく、日本語母語の我々がやることにいったいどういう意味があるのかな。前々から疑問に思っています。