インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

「そういう文化なのだ」に感じる妙なリアリティ

もうずいぶん前の話ですが、その国のとある大学で、正門前の歩道にたむろしている何人かの女性を見かけたことがあります。女性はなぜかいずれも赤ちゃんを腕に抱いており、通りかかるわれわれに“辦證,辦證,要辦証嗎?(証明書、要らない?)”と呼びかけてくるのです。

「あの人たちは何をしているの?」と友人に聞いたところ、あれは偽造の証明書を請け負う仕事だと教えてくれました。学生証や卒業証書を作ってくれるのだと。彼女たちはいわば「窓口」で、呼びかけに応じて証書の作成を依頼すると、大学近くのどこかにある仕事場に連れて行ってくれるとのこと。

「なんでみんな赤ちゃんを抱いているの?」という質問に関しては、妊婦や乳飲み子を連れた女性は警察も手出ししないからと友人。無類の子供好きが多いかの国ならではの「人情」からくる法なのかしらと思いましたが、そういう商売が成立していることも含め、何だかよくわからないままいつもその正門を行き来していました。

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そんな光景を思い出したのは、今朝の東京新聞で『女帝 小池百合子』にまつわる編集子氏のコラムを読んだからです。都知事選を前に小池氏のカイロ大学卒業という「学歴詐称問題」を問いただす同書について、同じカイロ大学で学んだことがあるという編集子氏が「(自身を含め)カイロでそれなりの期間学んだ友人や知人らは総じて冷静だ」とおっしゃるのです。

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折しも都知事選の真っ最中で、いささか「ナマ」な話題だからか、編集子氏の書き方にはどこか持って回ったようなところがありますが、「エジプトという国ではそんな奇跡も起こりうる。それを経験的に知っている」という部分には妙なリアリティを感じました。それは冒頭で書いた自分の、かの国での見聞にも通底するものがあると思ったからです。

この件に関しては先日、イスラーム法学者のハサン中田考氏も冷めた見方をされていました。そして「そういう文化なんで、変なことでもなんでもないんです」という部分に、これまたリアリティを感じました。なんとなれば、それもまた自分がその昔、かの国で思っていたことと非常によく似通っていると感じるからです。いま現在も、あの赤ちゃんを抱いた女性たちが存在するのかどうかは知らないのですが。

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余談ですが、上掲の東京新聞コラム、語学に関して編集子氏が「心に残った」とおっしゃる部分に私も共感しました。

この本で心に残ったのは「アラビア語に全力で立ち向かい、習得しようと熱心に励んだ人ほど報われていないように見えるのだ」という一節だった。

これはことアラビア語に限らず、様々な言語の(特に日本社会における)業界で広く囁かれる嘆きのようなものではないでしょうか。そしてコラムはこう続くのです。

そうかもしれない。だとすれば逆説的だが、語学なんかにとらわれず、立身出世に励む人生のほうが世俗的には正解なのかもしれない。でも未知の世界を切り開いていく外国語習得という修業には、俗な欲得を凌駕する魅力がある。

そうなんですよね。だからこそある語学に「ハマる」ーー就職に有利だからなどという理由とは全然別のところでーーということが起こるのかなと思います。語学を扱う職業に対する評価が異様に低いこの国で、それでも少なからぬ人が「俗な欲得」など預かり知らぬところで語学の「修業」に没頭しているというこの不思議な光景。コラムの締めくくりにある「生き方の違い」というひとことが心にしみるのでした。