宿へ帰るために乗った路線バス、行き先は「風櫃」でした。どこかで聞いた地名だと思ったら、侯孝賢監督の名作『風櫃(ふんくい)の少年(原題:風櫃來的人)』の風櫃です*1。なんとも間抜けなことに、この時点ではじめて風櫃が澎湖の地名であったこと、自分の泊まっている宿からとても近い場所であることに気づいたのでした。ノープランにもほどがある、と自分で自分に突っ込みを入れました。
「風の櫃*2」とはなんとも詩的な響きの地名です。何十年も前に映画『風櫃の少年』をみた時は、台湾のどこか田舎の漁師町くらいのイメージでしたけど、こうして間近な場所に身を置いてみると、がぜん興味が増します。地図で見ると風櫃は、宿がある「山水」という集落からさらに細長い半島を伝っていった先の、いちばん端っこにあります。
いちばん端っことはいえ、澎湖一の繁華街・馬公市の中心街は海峡を挟んだ反対側で、直線距離にすれば目と鼻の先です。それなのにバスで陸路を行けば、ぐるっと半島を回り込まなければなりません。そういえば、映画『風櫃の少年』の冒頭シーンは、このバスが到着するところから始まっていました。
このバスに乗って風櫃に行ってみるのもいいなと思いましたが、夕刻も迫っていたのでいったん宿に戻り、翌日またまた自転車を借りて向かいました。宿の女将さんによると「いまの風櫃は、映画を撮った時からずいぶん変わっているから、当時の雰囲気はもう感じられないかもしれないよ」とのことでした。
平坦に見えて結構アップダウンのある道を自転車でゆっくり進むと、ときおり視界の両側に海が見えるというこの細長い半島ならではの風景が目に入ってきます。その先にようやく風櫃の集落の入口が。
風櫃という地名は、この「風櫃濤聲」という石の看板がある「風櫃洞」に由来しているようですね。崖の下に波の浸食でできた洞窟があり、それが地上にまで通じていて、波が打ち寄せる時にあたかも「ふいご」のような音を立てるのだそうです。この「ふいご」の形が「櫃」なんですね。この時はその音に接することはできませんでしたが。
ゴミ、浮いてます。
風櫃は小さな漁村で、街並みは家と家が密集してその「すきま」が道になっているという、漁師町ならではのたたずまいでした。むかし住んでいた熊本の田舎の漁師町も同じような雰囲気でしたねえ。今は人が住まなくなって、廃墟のようになっている一角も多く見られました。
映画の撮影が行われた場所は分かりませんでしたが、あとからネットで検索すると、こちらに十年ほど前に書かれたブログ記事がありました。この頃はまだ残っていたんですね。
海峡の向こうに馬公市の中心部が見渡せる場所まで行ってみました。1908年に馬公沖で爆発事故を起こして沈没した日本海軍の巡洋艦・松島の慰霊碑がありました。
すぐ近くには清仏戦争時の1885年、この地で病没したアメデ・クールベ提督をはじめとするフランス海軍兵のための慰霊碑も建っています。
うーん、最果て感、半端ないです(失礼)。しかし、日本もフランスもこんな遠くの島の、よそ様の海や土地までやってきて、迷惑かけまくり。もちろん私が生まれる前のできごとではありますが、ひとりの日本人として申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。ほんとうにごめんなさい。今年は「明治百五十年」とかで、やたらその誇らしげな部分にばかりはしゃいでらっしゃる方も一部にいますけど、「脱亜入欧」で道を踏み外しまくった歴史も内包しているんですよね。
帰りにもう一度「風櫃洞」まで戻ると、さっきは誰もいなかった場所で「薬膳蛋(茶玉子みたいな煮卵)」の販売が始まってました。シーズンオフでも、釣り客などを相手に商売をしているそうです。
*1:若き日の鈕承澤監督が、主人公の青年・阿清を演じているんですよね。
*2:箱という意味。飯びつの「ひつ」ですね。古い映画ですが『レイダース 失われた聖櫃(アーク)』の櫃も長持のような箱のことでした。