インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

「音の公害」を減らしてほしい

歳を取ったせいか、人の多い場所が極端に苦手になりました。それでも東京に住んで、毎日通勤電車で都心まで出かけているんですからまだ「耐性」みたいなものは残っていると思いますが、年々それが目減りしているのを感じます。旅行なども、とにかく人が集まる観光地には行きたくありません。観光名所は極力避けて、なるべく人のいないところばかり探して行くようになりました。知人・友人からは「それの何が楽しいの?」と聞かれますが。

都心では、人の多さに加えてもう一つ、音の多さにもうんざりしています。都会の雑踏音や車の音などは仕方がないですが、駅や商業施設などでの不必要なアナウンスが多すぎると思うのです。もっともこれは歳を取ってからではなくて、学生時代から常に感じてきたことではありますが。駅構内や電車内でのアナウンスは、そのかなりの部分が自動化されていて、それだけでも十分にうるさいのに、そこにわざわざ駅員さんや乗務員さんがアナウンスを重ねてきます。

必要最低限のアナウンスはあってもよいと思いますし、むしろなくては困るんでしょうけど、ちょっと電車が遅れただけで何度も謝罪したり、車内マナーや忘れ物関係の注意喚起がなされたり。しかもそのボリュームが異様に大きいこともわれわれ乗客の疲労を倍増させてくれます。私がよく利用している東急線など、発車前に「電車が発車しますと揺れますのでご注意ください」という冗談みたいなアナウンスが入るんですよ。

f:id:QianChong:20191108074303p:plain
https://www.irasutoya.com/2017/03/blog-post_969.html

他にも階段やエスカレーターなどではひっきりなしに何かの注意喚起がなされています。中には視覚障害者用のチャイムや鳥の鳴き声(の合成音)などもあるのですが、そうした必要不可欠な音声が埋もれてしまうほどの音の洪水です。なぜ私たちの街はこんなにうるさいのでしょうか。これ、何とかならないのでしょうか。……と常々思っていたところに、cakesでこちらの記事を読みました。マレーシア在住の編集者・ライターさんの記事です。

cakes.mu

クアラルンプール国際空港では2018年に、アナウンスを極力やめる「サイレント・エアポート」宣言をして、話題になりました。これは公共のアナウンスをできるだけ減らす運動で、空港の「音の公害」を減らそうと、ロンドン・シティ空港やフィンランドヘルシンキ空港、スペインのバルセロナ・エル・プラト空港やシンガポールチャンギ国際空港などで行われている試みなのだそうです。

いいですねえ。確かにヘルシンキ空港など、ちょっとこちらが不安になるくらいアナウンスはありませんでした。それでもサインシステムはしっかりしているし、いざとなれば尋ねることができるカウンターもあって、全く不便は感じませんでした。音の公害に気づいて、対策を取り始めたところがあるというのは福音ですが、こうした空港がなぜそういう考えに至ったのかに興味があります。「アナウンスがうるさい」という苦情が多かったから、という理由ではなく、人間がもっと心地よくあることができる状態を科学や哲学の面から探求していった結果だといいですね。

日本の公共交通機関がこれほどまでに音声であふれ、注意書きがあちこちに貼られている最大の原因は、利用者の苦情への対応ないしは苦情の事前回避ではないかと思います。無体な要求を出す利用者も問題ですが、公共交通機関の側も物事を深く考えることなく、場当たり的な対応を重ねた結果なのではないかと。そして一度始まってしまうと、誰もやめようと言い出せない。私たちの国の一番悪いところが出ているのが、あの音の洪水ではないかと思っています。