インタプリタかなくぎ流

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なぜリベラルは敗け続けるのか

岡田憲治氏の『なぜリベラルは敗け続けるのか』を読みました。政治学に関する岡田氏の著書はこれまでにもほとんど読んできましたが、この本では「安倍一強」を許した野党の誤りと、そしてかつてご自身も政治活動にさまざまな形で参加しながら野党同様に現在の状況を許した自分についての「悔恨と反省」から論が書き起こされています。そしてそれらはそのまま読んでいる私自身にも深く突き刺さってきました。

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なぜリベラルは敗け続けるのか

岡田氏は、政治は、特に選挙の結果というものは、極めてリアリスティックな判断と選択の末に当然の帰結として現れてくるものだとして、特に現状を憂う「リベラル」的立ち位置をよしとする人々はもっと「オトナになれ」、「友だちを増やせ」と語りかけます。本書の帯には目次が載せられていて、そこには「善悪二分法からは『政治』は生まれない」とか「『お説教』からは何も生まれない」などの章が並んでいますが、そのどれもが私には深く首肯できるものでした。

そう、端的に言って日本の政治がここまで劣化(あえて劣化と言いましょう)してきたのは、野党が離合集散を繰り返し、互いに反目し合って「小異を捨てて大同につく」ことをしてこなかったからです。今朝も新聞で参院選関係の記事を読んでいましたが、議席の現状や改選議席数などの数字を図解で示されるとあらためて驚きます。今回は一人区での野党共闘などが進められているようですが、ホント、民主主義がここまで破壊されている現状を前にまずは何をさておき、もっともっと「オトナにな」り、「友だちを増や」さなければなりません。

政治においてはつねに何かを決断し、限られた選択肢の中から何かを選ばなければいけないわけですから、その選択が自分と違うからといって、その人と自分との間に大きな違いがあるとは限りません。言ってみれば、政治的価値観、政治的選択というのは、心という大きな氷山の一角に過ぎないと思うのです。


つまり、海上に浮かぶ氷の姿だけに惑わされていたら、もっと本質的なところで共通点を見いだして友情を育むことなどはできないと思うのです。それでは政治においても、「多くの仲間を作る」ことはできないでしょう。


言い換えるならば「政治的スタンスとは、ある場面における、個別の判断と決断の表現であり、それゆえ人間の政治的な“展望”や“理想”とイコールではない」ということになるでしょう。(p.197)

これは政治の世界だけでなく、私たちの暮らしや仕事にも共通する思考と哲理ではないでしょうか。政治は(国政や地方政治のみならず、社内政治もマネジメントも、ひいては個々の人間関係だって)「友だちを増や」すことであり、いわゆる「左翼小児病」的な文字通りの「お子ちゃま」から粘り腰の「オトナ」へと成熟しなければならず、「友だちを増やさない政治は誤り」だと。なんと、デール・カーネギー氏が80年以上も前に『人を動かす』で言っちゃってたことじゃないですか。

先日終了した衆議院本会議で内閣不信任決議案が提出された際、反対に回った日本維新の会の某議員はこんな演説をしていました。

念のため申し上げますが、私たち日本維新の会内閣不信任決議案に反対と申し上げたのは、別に自民党公明党と行動を共にしたいからではなく、共産党と同じ行動を取るのが、死んでもいやだからであります!
https://www.j-cast.com/2019/06/25360943.html?p=all

引用するのも恥ずかしくなるほどの「お子ちゃま」な論ですが、このような議員にこそ、この本を熟読玩味し拳拳服膺していただきたいと思います。あと、私たちがこうした幼稚な議員を選挙で選ばないということもまた大切ですね。

この本には他にも政党の「綱領」と「公約(マニフェスト)」をきちんと分けて考えることや、一度身につけた信念を現実に照らして「学びほぐす」ことの大切さなど、多くの気づきに満ちています。折しも参議院選挙が公示されたこの時期、広く読まれるべき一冊かと思います。