インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

漢字の成り立ち

中学生のころ、「レタリング」に惹かれていました。パソコンとプリンタで扱えるフォントが普及した今となってはそのあまりの変化の大きさに呆然としてしまうくらいなのですが、かつて文字を一つ一つ手作業で描き出すという職業があったのです。私はその職業に憧れて、定規とロットリング(これも懐かしい)と烏口(からすぐち:これをご存じの方はいるかしら)を買い込み、文字を書くことにハマっていました。特に明朝体の漢字の、あの特徴的な三角形の鱗や、細長いイチジクのような点の造形に。

後年、中国語を学び始めてから、漢字の魅力に再びハマりました。日本の漢字とは異なる「簡体字」の、ちょっと人を不安にさせる造形。日本人である私にとってあれらの漢字は「何かが欠けている感」が何とも言えない浮遊感をもたらすのです。また漢字が生まれた原初の時代の、呪術性を色濃く残しているような「繁體字(正體字)」の「ただならなさ」。私が一番好きなのは「亂」ですが、この字を見つめているだけで、ただならない秩序の紊乱を感じます。日本の漢字や簡体字「乱」ではこの雰囲気が出ませんよね。

そうした「漢字の呪術性」というイメージの背景にあったのはたぶん、ずっと以前に読んだ白川静氏の一連の著作だったと思います。その氏が亡くなって十年あまり、偶然手にした落合淳思氏の『漢字の成り立ち』は、様々な思い込みを一掃、あるいは整理し、新たな知見を教わるとてもエキサイティングな読書体験をもたらしてくれました。文字好き、漢字好きにとっては、願ってもない一冊。四年も前に刊行されていたのに、いまごろ手に取った自らの不明を恥じています。

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漢字の成り立ち: 『説文解字』から最先端の研究まで (筑摩選書)

この本を読み始めてまず驚くのは、漢字の成り立ち(字源)を研究する「字源研究」が、日本では直近の三十年ほど途絶えていたというお話。また中国でも文化大革命期はもちろん、その後の時代においても漢字の原初の形を今に伝える甲骨文や金文の科学的な研究はあまり進んでこなかったというのです。

中国の、現代史を背景にした状況はさておき、日本でそれだけのブランクがあったというのはある意味興味深いです。著者もおっしゃるように、字源研究には戦後幾人かの大家がおり、そうした研究者が権威化したことで「彼らの学説に反駁しにくい状態になった」というのは、いかにも忖度とヒエラルキーが幅を利かせる日本的でさもありなんという感じがします。

この本ではそうした「大家」である加藤常賢氏・藤堂明保氏・白川静氏の学説について、多くの紙面を割いて批判が展開されています。でもそれは新しく明らかにされた研究成果から、誤りは誤りとして指摘するというスタンスであり「かつての研究を完全に否定することが目的ではない」。そう述べる著者は、古い研究に誤りが多いことは当然であり、「どのような分野の学術であっても、過去の研究を検証し、誤りを正さなければならない」としています。

三十年にわたる研究のブランクを埋めようとする意欲に心打たれますが、逆に学術界にあっては当たり前すぎるほど当たり前のこうした姿勢が、かくも長きにわたって放置されてきたという部分に、門外漢としてはちょっとした驚きを感じます。白川静氏の学説に対しても「分かりやすい=学術的に正しい」ではないとする著者は、その白川静氏が長く教鞭を執った大学のご出身です。こういうのは下種の勘繰りなんでしょうけど、けっこう勇気が要ったのではないかと拝察いたします。

それはさておき、本書でたっぷりと紹介される古代の漢字、とくに線で様々な事象を表そうとした甲骨文字や金文は不思議な魅力に満ちています。私はつねづね、甲骨文字や金文は、事物、特に人間を極限まで細長い形で表現したジャコメッティの彫刻に似ているなあと思っていました。中国語で犬を数える数量詞は“条(tiáo)”で、これは他にも紐や川や蛇など細長い物を数える時に使われるんですけど、私は初めてこれを教わったときにジャコメッティの犬の彫刻を連想しました。

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おっと閑話休題。線で表したのはそれが一番効率的だったからでしょうけど(最初は尖ったもので獣骨や金属に文字を彫りつけただろうから)、三次元の事物や抽象的な事柄までも平面に線で表すという発想は何かこう、人間が森羅万象を切り取ろうとするときのある種素直な理路を体現しているような気がします。この本でも古代の文字の解釈について、先達の牽強付会な説を廃しつつよりシンプルな解に迫ろうとしている箇所がいくつもありますが、私の持っているような俗耳に入りやすい=分かりやすい呪術的な解釈よりも、より説得力のある(そして最新の研究からも裏付けられている)論が紹介されています。

他にも、字源研究のなかではその役割は限定的だとされる字音からの分析(字の形は今に残されているけど、音は残っていないですもんね)などでも、上古音や中古音と現代中国語の違いも面白いし、なにより読んでいてさらに自分の中にある中国語の漢字音と日本語の漢字音が交錯して非常におもしろかったです。これは中国語を学んだ余録だと思います。

巻末には用語解説が索引付きでついており、字源研究のための資料や参考文献についても懇切丁寧に紹介されています。これからこの分野の研究をしてみようと考える若い方々にとっても、とても参考になるのではないでしょうか。あああ、私だって若い頃に読んでおきたかった。

ところで私が買ったこの本の帯には「その漢和辞典、まちがってますよ!」との惹句があって、たぶん編集者さんがつけたんでしょうけど、これは少々いただけません。確かに新しい研究成果を踏まえて、既存の漢和辞典には多くの修訂が必要になるだろうと筆者も述べているのですが、上述したような筆者の学術に対する姿勢と、「まちがってますよ!」的センセーショナルな惹句(ま、惹句とはそういうもんですが)には大いに径庭あり、と思うからです。