インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

語学と「恥」あるいは「芝居っ気」

日ごろ語学を教えたり、自らも生徒となって語学を学んだりしていてよく思うのは、語学学習の過程というのは一種の「演技」なんだな、ということです。

唇や舌や声帯を日本語とは違うやり方でぎこちなく用いながら、そしておそらく日本語を話している時にはあまり使わないであろう脳の一部を刺激しながら、発音し、統語を行い、先生やクラスメートとやり取りをする……これはまさしく「非日常」であり、お芝居ごとの世界です。

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https://www.irasutoya.com/2015/10/blog-post_270.html

外語と芝居っ気

明治から昭和にかけて、随筆家や俳人などとしても活躍したジャーナリストの杉村楚人冠(すぎむら・そじんかん)に『外國語と芝居氣』という文章があり、こんなことが書かれています。

年を取ると外國語を使ふのが馬鹿におつくうになる。(中略)これは老人の氣無性といふばかりではない。外國語を使ふといふやうな芝居じみた事がいやになつたのである。

わははは。楚人冠氏のこの文章じたい*1は、日本が国際的に孤立への道をひた走る中で英語教育の全廃を主張する内容で、今の感覚からすればとてもついて行けません。それでも「外国語は芝居」と喝破したのは、実は外語が達者だったという氏ならではです。さらには、こうたたみかけます。

つまり通譯などといふことは、一種の芝居であることが知れる。(中略)豈にひとり通譯のみならんや。總じて外國語を使ふのは、皆一種の芝居である。

そうですね。どなたかに成り代わって発言する通訳者*2にも適度な芝居っ気は必要ですよね。

どんな英語の達人でも、ドアに指をはさんで、痛いと思つた瞬間、それがロンドンの眞ン中でも『あ痛ツ!』といふ日本語が出る。それに相應する英語Ouch!といふ言葉がなかなか出るものではない。

うんうん。私も台湾赴任中、車の助手席に乗っていた時、前の車にぶつかりそうになって思わず「危ない!」と叫んだら、同乗していたクライアントさんから「へえ、やっぱり日本人だね。ずっと中国語をしゃべっていても、いざというときは日本語が出るんだ」と言われたことがあります。まあこれは、私がもっと語学の達人だったら中国語で叫んだかもしれませんが、母語ではない外語を操る自分は、やはり「かりそめの姿」なんですね。

恥を捨てる必要

芝居というもの、演劇というものは、人前に出て様々な表情を発露させるのですから、ある種「恥」を捨てることが求められます。ご本人が恥ずかしがって演技しているのを見る観客は、もっと恥ずかしくていたたまれなくなりますから。というわけで、演劇訓練の最初の関門は、この恥を捨てられるかどうかにかかっていると思います。

そのために私が通っていた大学の劇研では、キャンパス内の広場に一人で立ち、行き交う学生や教職員の前で大声で自己紹介する……などということを新入生に課していました。いやはや、はた迷惑というか何というか。でも他の大学の劇研ではさらに過激に、山手線の車内で服を全部着替えるなんてことを課していたそうです。ここまでくると「恥」を捨てるのが目的なんだか、単に奇矯な行動なのか区別がつきませんが。

閑話休題

いま私が勤めている専門学校では、日本語や通訳技術を学ぶ留学生のカリキュラムに演劇訓練を取り入れています。これもひとえに語学や通訳には多分の「演劇性」が含まれていることを踏まえたものです。そこまで行かなくても、大概の語学訓練では状況を設定してのロールプレイや、大声で発音したりリピートしたりといった練習が含まれていますよね。そこで恥ずかしがっていては語学の上達はおぼつきません。

語学教師の役割

そして教師として観察していると、やはり恥を捨てて演技に徹することができる方は、語学の上達も速いように感じています。先生や音声教材の発音をとことん「モノマネ」できる方、恥ずかしがらずに大声で話そうとする方、ロールプレイでも実際の自分の状況とは違う架空の自分を作り上げて*3、どんどん会話練習に励む方……。そういう方はどんどん伸びていきます。

通訳訓練でも、実際にはお客様が目の前にいないのに、あたかも目の前にいるように相手に語りかけるように訳すことができる人は上達が速いです。そういうバーチャルな環境を目の前に自然に立ち上げられるかどうか、そういった資質は語学の出来不出来にかなり影響しているのではないかと思うのです。

よく帰国子女が日本の学校で英語の授業に出ると、そのあまりに「ネイティブっぽい発音」に周囲が笑い、それを嫌がってわざわざ母音をひとつひとつ判で押すようなベタベタの日本風英語に寄せてしまうといった話がありますが、こういうところはいかにも同調圧力の強い日本社会ならではの現象で、本当に残念です。むしろ周囲の生徒が率先して、面白がりながら演じるような気持ちで「ネイティブっぽい発音」に寄せていけばいいのにね。

そして教師の役割(おお、まさに「役」です)はそうした「芝居っ気」をもっと焚きつけてあげることじゃないかと思うのです。……ということはつまり、教師自身にある種の芝居っ気が必要ということですね。もちろん「やりすぎ」は禁物ですが。私? 私はいつも芝居っ気が過ぎるので、もう少し抑えてくださいと言われています。

*1:資料日本英学史 2 英語教育論争史』所収。

*2:あまり知られていないことですが、通訳をする際には基本的に一人称で訳します。つまり「〜と言っています」とか「この人が言いたいのは〜」などと三人称で訳すことはまずありません。

*3:例えば自己紹介をしてみましょうというロールプレイで「何人家族ですか?」と聞かれても「私は独身ですから」とか「そういうプライベートはちょっと……」などとおっしゃる方が時々いますが、なんてもったいない。ここは十五人くらいの大家族で暮らしてます〜、犬や猫もいっぱいいます〜、みたいな設定を作って、どんどん話すのが吉です。