インタプリタかなくぎ流

いつか役に立つことがあるかもしれません。

自分をいったん括弧に入れる必要

都内の日本語教室で社会人向けのクラスを担当している同僚からこんな話を聞きました。仕事で来日した外国人やその家族のために区役所が開設している、まだほとんど日本語を話せない方向けの初級クラスでの話です。「相手の家族についてたずねる」というロールプレイをしたところ「初対面の人に家族構成を聞くなんて失礼ではないか。特に日本人には、そんな習慣はないではないか」と言ってロールプレイを拒否する方がいたというのです。

私はこれ、とても興味深い話だなと思いました。というのも、かつて中国語学校で教えていた際にも似たようなことをおっしゃる方が時々いらしたからです。拒否するまではいかなくても「何人家族ですか?」と聞いたら「一人暮らしですから」とか「プライバシーに関することはちょっと……」などと答えて会話が続かないという方がいるのです。ペアになった生徒さんも困惑気味で。

もちろん、どう答えようともその方の自由です。話したくないことは話さなくても構いません。ただ、こと語学の練習に関する限り、そこはもう少し頭を柔らかくして、実際には一人暮らしであっても十人とか二十人とかの大家族を頭の中でこしらえて、覚えたばかりの文法と、数詞や量詞や家族の呼称に関する名詞などの語彙を使いまくればいいのです。なんなら犬も飼ってます、猫もたくさんいます、そのうち一匹は三毛で可愛くて……とかね。

思うに「一人暮らしですから」とか「失礼ではないか」という方は、とても誠実なのだと思います。自分の気持ちに反することができない。それはそれで美徳ではありますが、語学は、特に外語は畢竟「お芝居」なんだという感覚なりマインドセットなりが必要なんじゃないかとも思います。ディベートなどでは、自分の思想信条とは異なる主張であってもゲームとして論理を組み立てる、みたいな「バーチャル性」がありますよね。あれと似ています。

逆に言えば、そういうお芝居やバーチャル性を楽しめる性格の方でないと、外語の学習は味気ないものになるかもしれません。もっと身も蓋もない言い方をしてしまえば、語学(外語の習得)には向き不向きがあるのです。もちろん向いていなくても学んだってオーケーですし、なにも会話だけが語学ではありません。例えば書籍を読むためだけに語学を学ぶ方もいると思います。ですが、少なくとも「聴いて話す」という外語の習得を目指す方には、多少なりとも「芝居っ気」が必要です。

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https://www.irasutoya.com/2016/04/blog-post_5.html

もうひとつ、聴いて話す外語の習得を目指す方の中にときおり「実際に現地で、ネイティブスピーカー同士で話されているような会話を学びたい」という方がいらっしゃいます。実用本位と言えば聞こえはいいですが、ひょっとするとこれは実用からいちばん遠い考え方かもしれませんよ。

例えば日本語を学びたいと思っている外国の方が、初手から「あざーす!」とか「チョーウケるんだけど」などを学ぶと想像してみてください。「ありがとうございました」ではなく「ありあったしたー(コンビニの店員風?)」のほうがネイティブっぽいじゃないかと。

まあそこまで極端ではなくても、いわゆる「うなぎ文」や「こんにゃく文」――「ぼくはウナギだ」「こんにゃくは太らない」などの――を外国人が率先して学ぼうとしていたら「まあ待て、落ち着け。その前にだな……」と言うでしょう。こうした文は、実はネイティブスピーカーだからこそできるとても高度な発話だからです。

その言語の非母語話者が学ぶ場合には、きちんとした発音の、きちんとした文法に則った文章を聴き取り、話し、書き、読むことから段階的に習熟していかなければいけません。ここでも自分をいったん括弧に入れて、折り目正しい自分を演じるような気持ちが必要です。この点で、母語の習得と外語の習得には大きな違いがあります。

語学の初学段階で、自分をいったん括弧に入れて素直に演じてみることができない。そういう方が一定数いることが興味深いと思いました。これだけ英語を始めとする語学熱が高いというのに、そういう「キホンのキ」を教わることが少ないというのは考えてみれば不思議なことです。

テニスの入門者が「まずは『エアK』をやりたい」とか野球の入門者が「チェンジアップで投げたい」とか言えば「まあ待て、落ち着け」と言うんじゃないでしょうか。なのにこと語学となると、初手から「ペラペラ」とか「ネイティブっぽい」を目指し「“This is a pen.”なんて言うシチュエーションがあんのかよ!」とdisるのです。外語を学ぶとはどういうことかについての「キホンのキ」を理解していないからだと思います。