インタプリタかなくぎ流

“Might come in handy one day.”

働かざる者たち

端的に言ってこの習慣をやめたら「バカになっちゃう」ような気がして、いまだに紙の新聞を講読して毎朝隅々まで目を通しています。

記事を読むだけならネット版の方が手軽で便利(大判の紙の新聞はスペースを取るので、例えば朝食を食べながら読むとか、混み合った交通機関の中で読むなどといった状況では極めて不便です)なんですけど、一度しばらく電子版に切り換えてみたら全然頭に入って来ないことが分かったので、紙媒体に舞い戻ってきたのです。

新聞紙って、雨の日に帰宅して、濡れた革靴の中に押し込む紙を確保できるくらいしかメリットが思い浮かばないし(ごめんなさい)、資源ゴミの日にひもで縛って出すのも面倒(特にその日が雨だったりすると)だし、検索やら記事のブックマークやらスクリーンショットやらいろんな意味で電子版のほうが断然便利なのですが、新聞(紙)を読むという習慣が以外に根強く自分に残っていて、ちょっと不思議ではあります。こういう言葉は自縄自縛になるから嫌いですけど、やはり「古い人間」ということになるんですかね。

しかも紙の新聞、広告がもう中高年向けのものばかり。全部が全部じゃもちろんないですけど、例えば今日の東京新聞朝刊をざっとめくってみても……

「リウマチはしっかりよくなっていく!」
「身近な人が亡くなった後の手続きのすべて」
「ピントだけが目の悩みではありません」
「全国に届ける“感動葬儀”」
「200億個の乳酸菌が入った青汁」
ちあきなおみの世界CDコレクション」
「我慢してきたその腰痛を内側から治していくお薬」
「夜、何度も…」

……と如実に読者層が想定できるラインナップ。

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この最後の「夜、何度も…」なんて、具体的な症状の説明が一切ないのに、分かる年代の人には即座に分かるこの「ハイコンテキスト性」。ちょっとした感動すら覚えます。ことほどさように「古い人間」のための媒体なわけです。

そんな、いわば「斜陽」産業とも言われて久しい新聞業界ですが、その「新聞社の働かない人たちの生態を描く、サラリーマン漫画の最低到達点」(帯の惹句より)と銘打たれた、サレンダー橋本氏の『働かざる者たち』を読みました。最初はcakes(ケイクス)で有料購読していたんですけど、結局単行本を買っちゃいました。
cakes.mu


働かざる者たち (エヌ・オー・コミックス)

いやあ、面白い。目次の横にはもちろん「※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません」とクレジットが入っていますが、この小さなクレジットがやけに重みを持って感じられるくらいに、インパクトのある作品。多分にデフォルメされているであろうけれども、それが実はデフォルメじゃないんじゃないか……という気持ちを起こさせ、ある意味ホラーにも近い味わいを持っています。

誰しも労働に関しては自分なりのポリシーなり世界観なりを持っていて、それが組織、特に規模の大きな組織で働いている時には、組織のあり方と自らの「志」との間で多かれ少なかれ引き裂かれた状態にあることが多いですが、このマンガはそのあたりの機微をかなり露悪的なトーンと小っ恥ずかしいくらいの正論で交互にたたみかけてくる、そのストーリーテリングが爽快です。裏表紙に刷られた「すべての社会人に、彼が抱いたものと同じ問いをつきつける」っての、ホントにその通りですよ。

ところで、新聞は地域の販売店さんと契約して購読していますが、半年ごとに直接訪問されて契約更新のハンコを押すのがとても面倒です。醤油とか洗剤とか要らないのでネットでの直接購読契約みたいにできないかなと思うんですけど、こういうところにも地域の販売店さんなりの事情がからんでいるんでしょうね。上記のマンガには販売店にまつわるいわゆる「押し紙」についても一話が割かれています。いろんな側面で新聞ってのは古いメディアなんだなと思います。